↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
74/81

第六部 最後の一手   第三十九章 信尹の遺言

慶長十九年霜月。

京の空に立ち上る荼毘の煙は、一つの時代の終わりを静かに告げていた。

関白・近衛信尹――

豊臣と徳川の均衡を支え続けた、朝廷の柱が倒れたのである。

その死は、単なる摂家の交代ではない。

秀頼を左大臣に据え、

大老の盟を成立させ、

鐘銘の一件でも朝廷の権威をもって家康の言いがかりを退けた、

あの信尹の死は、

天下の力の流れを大きく揺るがす。

次の関白を誰に据えるか――

それは、豊臣家の未来を左右する「最後の一手」へと繋がる。

第六部は、ここから始まる。


 慶長十九年霜月、京の空に、荼毘の煙が静かに立ち上っていた。関白・近衛信尹、薨去。享年五十。


 次郎兵衛は、佐和山にてその報せを受け取り、しばし瞑目した。


「達安殿。信尹様が身罷られた今、朝廷では、次の関白を誰にするかで、既に評定が始まっておりましょう」


「信尹様には、御子がおられぬのだったな」


「はい。後陽成院の御子・信尋様を養子に迎えてはおられましたが、まだ元服されて間もない若さ。本来ならば、次の関白は、他の摂家――九条家、鷹司家、あるいは二条家あたりから選ばれるのが、順当な流れにございましょう」


 次郎兵衛は、静かに続けた。


「ですが、それがしには、思うところがございます」



 京の朝議では、案の定、次の関白を巡って、五摂家の間に静かな駆け引きが生じていた。


「近衛家の信尋殿は、あまりに若すぎる。ここは、経験豊かな者が継ぐべきであろう」


 九条家の当主が、そう主張すれば、鷹司家からも異論が上がった。


「いや、そもそも、近衛信尹殿が関白であったこと自体が、本来の慣例からは外れておった。ここらで、摂家の本来の持ち回りに戻すべきではないか」


 この評定の場に、思いがけない意見が投じられたのは、二条家の当主からだった。


「――待たれよ。豊臣家の秀頼殿には、関白を継ぐ、正当な血筋がござろう」


 一同が、怪訝な顔を向けた。


「太閤秀吉殿は、確かに関白であられた。その跡を継いだ秀次殿は、あくまで猶子――養子にすぎなんだ。だが、秀頼殿は、太閤殿下の実の御子。血筋の正しさで申せば、秀次殿よりも、遥かに正統な後継者と言えような」


 この一言に、評定の場は、にわかにざわめいた。



 この議論は、程なくして、京の高台院、そして佐和山の次郎兵衛のもとにも伝わった。


「次郎兵衛殿、聞いたか。二条家の当主が、秀頼様の血筋を持ち出したそうだ」


「はい。願ってもない流れにございます。ですが、これを確かなものにするには、朝廷の総意――そして何より、帝の御意志を得ねばなりませぬ」


 次郎兵衛は、まつ・豪姫を通じ、高台院にも内々に働きかけを依頼した。太閤秀吉の縁者として、高台院の声は、朝廷内でも重んじられていた。


「わらわからも、然るべき方々に、それとなくお伝えしておきましょう。太閤様の御子が、太閤様と同じ座に就く――これほど筋の通った話もございますまい」


 次郎兵衛は、深く頭を下げた。


「有り難きお言葉にございます」


 だが、この話が本当に実を結ぶかどうかは、まだ、帝御自身の御意向にかかっていた。



信尹の死は、朝廷に空白を生み、

摂家の間に静かな駆け引きを呼び起こした。

九条、鷹司、二条――

それぞれが自家の権威を取り戻そうとする中で、

二条家が放った一言は、

まるで闇に差し込む光のようだった。

「秀頼殿こそ、太閤の正統なる後継者」

この言葉は、豊臣家にとって願ってもない流れであり、

同時に、家康にとっては最も避けたい展開だった。

だが、この流れを確かなものにするには、

朝廷の総意と、

何より帝の御意志が必要となる。

高台院の情、

まつと豪姫の縁、

そして次郎兵衛の理――

それらが静かに結び合い、

一つの大きな流れを形づくろうとしていた。

信尹はもういない。

だが、彼が残した「道筋」は、

確かに次の者たちへ受け継がれていた。

第三十九章はここで幕を閉じる。

次の一手は、すでに動き始めている。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。