第三章 検地の刃 一
第二章までの次郎兵衛は、いわば「良かれと思って動く」段階にありました。ですがこの「一」から、事情が変わります。
属奉行人として国の仕置の多くを任された次郎兵衛は、文机の帳面と向き合う中で、自分自身が「史実の引き金」そのものだったことに気づかされます。豪姫や達安との関わりが、いわば周囲を変える働きかけだったのに対し、ここで彼が対峙するのは、他ならぬ自分自身の立場と評判——「金銀を好む人也」という、ある意味で正しい人物評です。
誰かを変えようとするのではなく、自分自身が振るう采配のあり方を変えられるか。次郎兵衛にとって、これまでで最も個人的な戦いが、ここから始まります。
豪姫のもとで危機感の種を蒔き、達安との間に小さな信頼を築いてから、十日ほどが経った。
属奉行人として国の仕置の大半を委ねられた次郎兵衛は、文机に広げた検地帳と課役の書付を前に、背筋の凍る思いをしていた。
思い出したのだ。修士論文の史料の片隅に、確かに記されていた一節を。
――慶長四年夏、属奉行人として国の仕置を任されていた家老・中村家正は、軍役・普請の費えを賄うため、諸家中に新たな課役を課す。文禄三年の惣国検地で定めた石高を根拠に、蔵入地拡大のための検地をも強行した。対象となったのは、戸川達安、岡越前守、花房正成ら譜代の重臣が代々治めてきた知行地。「金銀を好む人也」と評された家正は、重臣たちの猛反発を招き、ついには刺客を放たれるに至った――。
(これだ。これが、対立の本当の引き金だ)
豪姫への働きかけや達安との交流は、あくまで対立を和らげる下地に過ぎない。だが、この検地こそが、宇喜多騒動という火薬庫に、直接火を放つ導火線だった。
秀家は、豊臣政権下での軍役負担の増大に苦しんでいる。蔵入地――秀家が直接掌握する土地――を増やし、財政を強化したいという欲求そのものは、次郎兵衛にも痛いほど理解できた。文禄三年の惣国検地では、次郎兵衛はまだ先達の仕置に従うだけの立場だった。だが今、属奉行人として国の仕置の大半を委ねられた身では、課役の采配は己の裁量に委ねられている。史実の家正は、その裁量を、長船・浮田ら側近派に有利な形で振るい、譜代の重臣たちの知行地を削る検地を断行してしまったのだ。
結果、譜代衆は「家正が己の派閥のために、我らの土地を奪おうとしている」と確信し、憎悪を募らせた。
家中では、いつしか次郎兵衛を「金銀を好む人也」と評する声が広まっていた。課役の算段に長け、金の流れを誰よりも把握している――その評判は、秀家の信を得るための武器であると同時に、譜代衆の憎悪を一身に集める的にもなっていた。次郎兵衛は、そのことを、痛いほど自覚していた。
(もう一度、同じ轍を踏むわけにはいかない)
だが、検地そのものを取りやめることはできない。秀家の財政難は、この世界でも変わらぬ現実だ。何もしなければ、いずれ別の形で同じ対立が噴き出す。
次郎兵衛は、帳面を睨みながら、静かに拳を握った。
この場面で次郎兵衛が直面したのは、「知っているのに、逃げられない」という状況です。史実を知る彼にとって、一番簡単な解決策は、検地そのものをやめてしまうことでした。ですがそれでは、秀家の財政難という現実の問題を放置するだけで、いずれ形を変えて同じ対立が噴き出します。
書いていて意識したのは、「金銀を好む人也」という評判を、次郎兵衛に単純に否定させなかったことです。彼はその評判を、秀家の信を得るための武器であると同時に、譜代衆の憎悪を集める的でもあると、正確に自己分析しています。史実の人物評をそのまま悪者扱いにせず、次郎兵衛自身の強みと弱さの両面として引き受けさせたことで、彼というキャラクターに少し陰影が出せたのではないかと思います。
次の「二」では、この自覚を抱えたまま、次郎兵衛はいよいよ秀家から正式に検地の差配を命じられ、譜代衆との緊張が具体的な形を取り始めます。




