第三十四章 言いがかり
方広寺の鐘が鋳上がり、開眼供養を目前に控えた慶長十九年。
静かだった水面に、ついに大御所・家康の側近たちが石を投げ入れた。
「国家安康、君臣豊楽」――
その一字一句が、天下を揺るがす火種となることを、
佐和山の次郎兵衛は知っていた。
大坂では片桐且元が駿府へ走り、
淀殿は評定の割れる中で苦渋の判断を迫られ、
豊臣家は初めて、家康の“本気の圧力”を正面から受けることとなる。
罠は姿を現した。
ここから先は、豊臣と徳川の均衡を守るための、
最も危険で、最も緊迫した局面が始まる。
一
供養を目前に控えたある日、大坂に激震が走った。
「金地院崇伝殿、林羅山殿らが、鐘銘の文言を『家康公の御名を分断し、呪詛するもの』と断じ、大御所に言上したとのことにございます」
達安が、急を告げる書状を握りしめていた。次郎兵衛は、静かに頷いた。史料で読んだ通りの展開が、今、目の前で動き出している。
「片桐且元殿は、いかがされておりましょうか」
「弁明のため、急ぎ駿府へ向かったそうだ」
二
だが、駿府での且元の日々は、次郎兵衛の想像以上に過酷なものだった。
且元は、駿府城下の宿所に留め置かれたまま、幾日も家康への目通りを許されなかった。金地院崇伝は、面会のたびに、鐘銘の一字一句を執拗にあげつらった。
「この『国家安康』の文字――家康公の御名を、真っ二つに分断しておる。これが、偶然と申されるか」
「決して、さようなことは。文英清韓が申すには、太閤殿下と大御所様、双方の御安泰を願うた、めでたき文言……」
「めでたき、とな。ならば、なぜ『家康』の二字だけを、かように引き裂く形で配したのか。申し開きをされよ」
且元は、来る日も来る日も、同じ問答を繰り返された。手元に残る唯一の頼りは、あの拓本の写しと、次郎兵衛から届いた、あの内々の書状だけだった。
(宇喜多殿は、この事態を見越しておられたのか……)
大坂へ戻る道すがら、且元の胸には、屈辱と焦燥が入り混じっていた。
三
且元が追い返されるようにして大坂へ戻ると、城内は騒然となった。
「片桐様は、大御所様に、ろくに口も利かせていただけなんだそうだ」
「このままでは、御家の御一大事ぞ」
「いや、まずは穏便に、詫びを入れるべきではないか」
淀の方の御前でも、評定は割れた。
「且元、そなたの不手際ではないのか。なぜ、かように追い詰められる」
「淀の方様、それがしとて、身を尽くして参りました。ですが、大御所様の御側近衆は、端から言いがかりをつけるおつもりであったとしか……」
且元は、懐から、あの拓本の写しを取り出した。
「淀の方様。宇喜多次郎兵衛殿より、この一件が起こる前に、内々にお報せがございました。大老の盟に、この件、お諮りいただけませぬか」
淀の方は、しばし黙り込んだ。
「……あの者、まことに何かを知っておったのだな」
佐和山に、大坂からの悲鳴に近い急報が届いたのは、その翌日のことだった。
「殿より、大老の盟へ、正式なお力添えの願いが参りました。もはや、猶予はございませぬ」
次郎兵衛は、拳を握った。
(ここだ。ここで、動く)
鐘銘への言いがかりは、ついに公の場へと引きずり出された。
片桐且元は駿府で辱めを受け、
淀殿の御前では評定が割れ、
大坂城は騒然となった。
だが、これは罠ではなく、
次郎兵衛にとっては“待ち望んだ瞬間”でもあった。
大御所が根拠なき非難を放つならば、
それを大老の盟と信尹の権威によって退け、
家康自身に「序列上位の家を貶めようとした」という汚名を刻ませる。
そのために、あえて罠を避けず、踏み抜いた。
大坂からの悲鳴に近い急報が佐和山へ届いたとき、
次郎兵衛は拳を握り、静かに覚悟を固めた。
ここからが本番だった。
豊臣と徳川の均衡を守るための、
最大の一手を打つ時が来た。




