第四部 大老の盟 第二十二章 将軍風聞
第三部の結びで「これもまた、一つの節目に過ぎない」と自戒した次郎兵衛の予感は、この第二十二章でさっそく的中します。関白位を巡る攻防にひと息つく間もなく、家康が征夷大将軍の宣下を求めているとの報せが届くのです。
これまでの朝廷工作が「豊臣家の家格」を守る戦いだったのに対し、今度の相手は「武家の頂点そのもの」という、より根源的な脅威です。次郎兵衛が案じるのは、将軍職という肩書が徳川家に世襲されていくことで、豊臣家がやがて武家の世界で徳川の風下に立たされてしまうという、長期的な構造の変化です。第四部全体の主題――大老家の結束という、これまでにない規模の連合工作――が、この章から静かに幕を開けます。
一
慶長六年、正月も明けやらぬ頃。近衛信尹の関白宣下という大仕事を成し遂げてから、まだひと月と経っていなかった。
佐和山城の一室に、達安が急ぎ足で入ってきた。
「次郎兵衛殿、京より妙な噂が届いておる」
「妙な噂、とは」
「家康様が、朝廷に対して、征夷大将軍の宣下を求めておられる、との由」
次郎兵衛は、思わず息を呑んだ。
(来た――)
関白の座は、辛うじて守った。だが、征夷大将軍という職は、そもそも豊臣家には縁のない、武家だけの官職だ。関白位が公家の格式を巡る戦いだったのに対し、将軍職は、武家の頂点そのものを意味する。
「戸川殿。これは、関白の一件とは、話の重みがまるで違いまする」
「どういうことだ」
「関白は、豊臣家にしか継げぬ家格にございました。ですが将軍職は違う。武家であれば、誰にでも――否、朝廷から征夷大将軍として任じられさえすれば、その者の子々孫々が、代々その職を継いでいける道が開かれまする」
次郎兵衛の脳裏に、史実の記憶が蘇っていた。家康が将軍職に就き、やがてその子・秀忠に将軍職を譲る。その瞬間、天下の武家たちは、将軍職が徳川家の世襲であることを、否応なく思い知らされることになる。
「秀頼様がいずれ関白に――という道筋は、まだ残っております。ですが将軍職まで徳川家に固定されてしまえば、豊臣家は、朝廷の中でこそ格式を保てても、武家の世界では、徳川の風下に立たされることになりましょう」
二
次郎兵衛は、秀家の御前に参上し、同じ懸念を伝えた。
「殿。将軍宣下そのものを、我らの力で止めることは、恐らくできませぬ」
「うむ……家康殿の官位、御力からして、朝廷もそれを拒みますまい」
「されど、拒めぬからこそ、我らは、それに見合う代償を求めるべきかと存じます」
「代償、とは」
「大老家が、揃って一つの声を上げることにございます。前田、宇喜多、毛利、上杉、島津――関ヶ原に散った五大老のうち、なお力を保つ家々が結束すれば、家康様とて、無下には扱えますまい。将軍宣下への祝賀と引き換えに、秀頼様の御位、大坂城の御扱い、そして諸家の所領安堵――これらを、今一度、確かな形にしていただく」
秀家は、しばし黙考した。
「大老の盟、か……。じゃが、あの者たちが、そう容易く一つにまとまるとは思えぬ。毛利などは、殊に」
「仰る通りにございます。一枚岩には、程遠うございましょう。ですが、たとえ全ての家が心を一つにできずとも、一つでも多くの家が我らに近づけば、それだけ家康様への牽制になりまする」
秀家は、深く頷いた。
「良かろう。次郎兵衛、達安――そなたらに、これを任せる」
三
その夜、次郎兵衛は達安と共に、行灯の灯りの下で絵図を広げていた。畿内を中心に、各大名家の名が書き記されている。
「まずは、どこから手をつける」
達安の問いに、次郎兵衛は迷いなく答えた。
「島津殿からにございます。義弘様は、既に関白の一件で、我らと轡を並べてくださった御方。話は、最も早く進みましょう」
「次は」
「上杉にございます。会津征伐という、家康様への遺恨を、誰よりも深く抱えておられるはず。ですが――上杉家は、此度の和議の本領安堵の埒外にある。そこに、付け入る隙がございます」
「毛利は」
次郎兵衛は、僅かに眉を曇らせた。
「毛利が、一番、厄介にございましょう。吉川広家殿が、既に家康様と誼を通じておるという噂もございます。輝元様御自身のお心と、家中の実情が、一致しておらぬやもしれませぬ」
「前田は、言うまでもなかろう」
達安の言葉に、次郎兵衛は静かに頷いた。
「はい。まつ様が岡山におられる限り、前田家と我らの結びつきは、揺らぎませぬ。この盟の、要にございます」
行灯の炎が、絵図の上で静かに揺れていた。
史実になかった大老の盟――次郎兵衛の新たな戦いが、静かに幕を開けようとしていた。
この章で書きたかったのは、次郎兵衛の危機感の質が、これまでとは変わったという点です。関白位の攻防は、家格という「朝廷内の序列」を巡る戦いでした。ですが将軍職の世襲は、「武家の実力構造そのもの」に関わる、より不可逆的な変化です。次郎兵衛が「将軍職まで徳川家に固定されてしまえば」と危惧する場面には、彼が単なる目先の攻防ではなく、何十年先の天下の形まで見据えていることを示したいと思いました。
「将軍宣下そのものを、我らの力で止めることは、恐らくできませぬ」と、次郎兵衛が最初から力での対抗を放棄している点も、意識して書きました。止められないものを止めようとせず、その代わりに「見合う代償を求める」という発想は、第三章「驕りの刃」以来、彼が一貫して選んできた戦い方です。秀家の「あの者たちが、そう容易く一つにまとまるとは思えぬ」という懸念に対し、次郎兵衛が「一つでも多くの家が我らに近づけば、それだけ牽制になる」と答える場面には、完璧な結束でなくとも構わないという、現実的な妥協点を初めから織り込む彼の柔軟さが表れています。
行灯の下で絵図を広げ、島津・上杉・毛利・前田への調略の順序を思案する場面で章を締めることで、次の第二十三章「義弘の一手」から始まる、大老家一軒一軒への調略劇への期待を持ち越しました。




