第二章 対立の芽 一
豪姫に危機感を植え付けた次郎兵衛ですが、ここからが本当の勝負です。言葉で種を蒔くだけでは、何も変わりません。
この「一」では、次郎兵衛が経理と土木という、地味だけれど家中の隅々に目が届く自分の立場を使い、宇喜多騒動の構造そのものと向き合います。史料の上では「対立」の一言で片付けられていたものが、帳面の走り書きという生々しい現実として立ち上がってくる場面です。
「力づくで対立を止めることはできない」——そう悟った次郎兵衛が、現代人としての知恵を武器に、どんな策を思いつくのか。彼の戦い方の原点が、ここに描かれています。
豪姫の屋敷を辞した次郎兵衛は、その足で自らの執務部屋に籠もった。
文机の上には、宇喜多家大坂屋敷の勘定帳や普請の割り振り書が積まれている。経理と土木――それが、この身体に与えられた役割だった。地味だが、家中の隅々にまで目が届く立場でもある。
(まず、現状を把握しないと)
次郎兵衛は帳面を繰りながら、頭の中で史料の記憶と照らし合わせていった。
宇喜多騒動の発端は、複数の要因が絡み合っている。増封に伴う知行割りの不満、キリシタン家臣と反キリシタン派の対立、そして何より、秀家に近い側近たち――長船綱直や次郎兵衛自身、浮田太郎左衛門――と、譜代の重臣たち――戸川達安、宇喜多詮家、岡越前守、花房正成、角南重義、楢村玄正――との、権力を巡る根深い確執だ。
史料の上では「対立」の一言で片付けられていたその実態が、今、生々しい現実として次郎兵衛の目の前にあった。
帳面の余白に記された走り書き。知行の書き換えを巡って重臣の一人が抗議に来たという記録。普請の人足割り当てを巡る小競り合い。どれも些細に見えるが、積み重なれば大きな亀裂になる。
「……このままでは、史料通りになる」
次郎兵衛は筆を置き、腕を組んだ。
力づくで対立を止めることはできない。次郎兵衛自身、対立の一方の当事者として名を残す人物なのだ。下手に動けば、かえって疑心を煽りかねない。
ならばどうするか。
(対立そのものを、意味のないものにしてしまえばいい)
知行や普請を巡る争いは、突き詰めれば「限られた資源の奪い合い」だ。ならば、資源の使い方そのものを変えてしまえば、争う理由が薄れる。
次郎兵衛には――いや、悠人には、その武器があった。現代の知識だ。
三百年以上先の治水技術、検地の合理化、年貢徴収の効率化。この時代の常識からすれば革新的な、しかし現代人からすれば基礎的な知恵の数々。それを、あくまで「中村次郎兵衛個人の工夫」として、少しずつ家中に浸透させていく。
パイを奪い合うのではなく、パイそのものを大きくする。
それが、次郎兵衛の描いた第一の策だった。
この場面で次郎兵衛が出した結論——「対立そのものを、意味のないものにしてしまえばいい」は、実はかなり地味な発想です。派手な政治工作でも、誰かを説得する演説でもありません。ただ、限られた資源を奪い合う構造そのものを変えるという、いわば裏方の仕事です。
書いていて意識したのは、次郎兵衛(悠人)の武器が「未来を知っていること」そのものではなく、「三百年以上先の、基礎的な知恵」だという点です。歴史を動かす大きな力ではなく、治水や検地といった地味な技術の積み重ねから始まる——このスケール感が、次郎兵衛という主人公らしさだと思って書きました。
次の「二」では、この策が実際に、対立の当事者である戸川達安との関わりという具体的な形を取り始めます。




