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「一」で目覚めたばかりの次郎兵衛は、まだ状況を把握しただけの傍観者でした。この「二」で、彼は初めて自分の意志で動きます。

相手は豪姫——前田利家とまつの娘であり、宇喜多秀家の正室。この対面は、単なる挨拶の場面ではありません。次郎兵衛が「知っている」ことを、どこまで、どう使うか。その最初の選択がここで試されます。

知りすぎている人間は、時に危険視される——そう自覚しながらも一歩を踏み出す次郎兵衛を、見届けていただければと思います。

豪姫は、噂に違わぬ気品を纏った女性だった。前田利家とまつの四女として生まれ、豊臣秀吉夫妻の養女となり、宇喜多秀家に嫁いだ――五大老の一角と天下人の血筋をつなぐ、政治的にも重要な立場の女性である。


「次郎兵衛、少し痩せたのではありませぬか」


「豪姫様……お気遣い、痛み入ります」


 平伏しながら、悠人は必死に「家正としての記憶」を探ろうとしていた。だが、断片的な感覚があるだけで、詳細な記憶は驚くほど乏しい。まるで、この身体を借りているだけのような感覚だった。


(都合がいいんだか悪いんだか……)


 内心でぼやきつつ、悠人は表向きは平静を装った。


「殿は近頃、長船殿や浮田殿らとの間に、些か気まずいご様子。そなたも聞き及んでおろう」


 豪姫の言葉に、悠人の――家正の胸が、どくりと跳ねた。


 長船綱直。浮田太郎左衛門。そして対立する側の戸川達安、宇喜多詮家。まさに、史料で読んだ「宇喜多騒動」の当事者たちの名前が、目の前の女性の口から語られている。


 これは本物だ。空想でも夢でもない。


「豪姫様。差し出がましいことを申し上げるようですが……」


 悠人は覚悟を決めた。もしこの体が本当に中村家正であり、自分が知る歴史の通りに事態が進むなら、ここで動かなければ、宇喜多家は分裂し、関ヶ原で史実通りの結末を迎える。


 だが、下手に動けば「なぜそんなことを知っているのか」と疑われかねない。知りすぎている人間は、時に危険視される。


 悠人は、経理と土木に明るいとされた家正の立場を最大限利用することにした。


「殿の御家中、近頃は年貢の算用や普請の割り振りを巡って、対立が生じているやに聞き及んでおります。これは些細な行き違いに見えて、実は御家の根幹を揺るがしかねぬ火種かと」


「……そなた、随分と踏み込んだことを申すのだな」


 豪姫の目に、警戒とも興味ともつかぬ光が宿った。


「差し出口、平にご容赦を。ですが、御家中が割れれば、困るのは殿であり、豪姫様であり――ひいては、前田のご実家にも累が及びかねませぬ」


 前田の名を出した瞬間、豪姫の表情がわずかに動いた。


「……前田家に、何か」


「いえ、まだ何も。ですが、天下の情勢は決して穏やかではございませぬ。太閤殿下が身罷られてより、諸家の均衡は日々揺らいでおります。かような時に御家中が割れることは、何としても避けねばなりませぬ」


 悠人は言葉を選びながら、慎重に、しかし確実に、豪姫の中に「危機感」を植え付けていった。


 これが、全ての始まりだった。


 宇喜多騒動を防ぎ、前田家を守り、関ヶ原の帰趨そのものを変える――中村家正としての、長い戦いの第一歩が、静かに動き出した。


「これが、全ての始まりだった」——次郎兵衛自身がそう振り返るように、この場面で彼は初めて、知識を言葉に変えて他者に届けました。

ここで意識して書いたのは、次郎兵衛が嘘をついていないという点です。「年貢の算用や普請の割り振りを巡って対立が生じている」というのは、事実の指摘でしかありません。それでも彼は、その事実の並べ方ひとつで、豪姫の中に危機感という種を蒔いてしまう。歴史を変えるというのは、大きな嘘や派手な行動よりも、こうした小さな言葉の選び方の積み重ねなのだと思います。

次の第二章からは、次郎兵衛がこの「危機感」を具体的な行動——普請の場での戸川達安との関わり——へと落とし込んでいきます。

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