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第十三章 和議の座 一

戦場での駆け引きから、いよいよ政治の駆け引きへ——この「一」は、次郎兵衛にとって全く新しい種類の戦場です。相手は本多正信、家康の懐刀と呼ばれる、柔和な物腰の奥に油断ならぬ知略を隠す人物です。

これまで次郎兵衛が対峙してきたのは、豪姫や達安、岡越前守といった、感情や信頼関係で動かせる相手でした。ですがこの交渉の場に、そうした通用の仕方は望めません。末席から正信の顔を注意深く観察する次郎兵衛の視線には、これまでとは異なる緊張感が滲んでいます。

 交渉の場は、中立の地として、近江国内のとある寺院に設けられた。


 東軍からは、黒田如水を仲介役に、家康の側近・本多正信が名代として出席した。西軍からは、宇喜多秀家を筆頭に、毛利家の重臣、そして次郎兵衛が随員として名を連ねた。石田三成は、当初この場に自ら出向くことを望んだが、周囲の説得により、佐和山城で報告を待つ形に落ち着いていた。


 次郎兵衛は、末席に控えながら、対面する本多正信の顔を、注意深く観察していた。


(史実でも、家康様の懐刀と呼ばれた御仁だ)


 柔和な物腰の奥に、油断ならぬ知略を隠していることは、その眼差しだけで十分に伝わってきた。


「此度の座、まつ殿の御厚意なくしては、実現しなかったこと。家康様も、深く感謝しておられます」


 本多正信が、まず口火を切った。丁重な言葉遣いの裏に、慎重な探りが感じられた。


「まつ様の御厚意、我らも同様に、深く受け止めておりまする」


 秀家が、静かに応じた。


「して、正信殿。此度の和議、家康様は、如何なる条件をお考えでしょうか」


 本多正信は、一瞬の間を置いてから、静かに切り出した。


「まず、大坂の秀頼様への忠節、豊臣家の御家中としての秩序――これは、東西いずれの陣営も、変わらず重んじるべきものと心得ます」


 次郎兵衛は、内心で頷いた。表向きは豊臣家への忠義を掲げつつ、実質的な力の配分を巡る駆け引きが、これから始まる――そういう含みだった。


この場面で書きたかったのは、次郎兵衛が末席という立場を、あえて崩さなかったことです。彼はまだ、この交渉の主役ではありません。主君・秀家と、家康の名代・正信という、格の釣り合った者同士のやり取りを、静かに観察し、行間を読み解く——これまでとは違う種類の「働き方」が、この場面には表れています。

「表向きは豊臣家への忠義を掲げつつ、実質的な力の配分を巡る駆け引きが、これから始まる」という次郎兵衛の内心の分析は、彼がもはや単なる史実の記憶に頼るのではなく、目の前の政治力学そのものを読み解く力を身につけつつあることを示しています。史実という地図を失った第十章以降、次郎兵衛が着実に「この世界のプレイヤー」として成長していることの証です。

次の「二」では、本多正信の口から、この交渉における最大の争点——石田三成の処遇が切り出され、交渉は一気に緊迫します。

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