三
これまで積み重ねてきた布石——まつの独自の動き、黒田如水という新たな介在者——が、この「三」でついに一つの形として結実します。「双方、面目の立つ形での和議を、模索されては如何か」という如水の書状は、次郎兵衛が第十一章で口にした構想を、外側から後押しする決定的な一手です。
ですが次郎兵衛は、ここでもただ喜ぶだけではありません。「我らも、決して弱みを見せるべきではございませぬ」という進言には、和議を単なる妥協ではなく、対等な立場から勝ち取るべきものだという、これまでの戦い方と一貫した姿勢が表れています。
黒田如水の密使が携えてきた書状は、次郎兵衛の予感を裏付けるものだった。
――此度の戦、いずれの陣にとっても、これ以上の長期化は益なし。まつ殿の御意向、家康殿もまた、無下にはできぬご様子。双方、面目の立つ形での和議を、模索されては如何か。
「如水殿は、家康様の御意を汲んだ上で、動いておられるのでしょうか」
次郎兵衛の問いに、達安が首を傾げた。
「分からぬ。如水殿は、隠居の身とはいえ、独自の思惑で動くお方でもある。だが、家康様の御意向を全く無視して、このような密使を送るとも思えぬ」
次郎兵衛は、書状を握りしめながら、静かに思考を巡らせた。
(家康様も、動きたくても動けぬのだろう)
加賀の脅威、そして関ヶ原で得られなかった決定的な勝利。家康にとって、この均衡を打破する術は、もはや軍事力だけでは見出しにくくなっていた。まつという、政治の埒外にある「情」を通じた和議の申し出は、家康にとっても、面目を保ちながら事態を収拾する、格好の糸口だったのかもしれない。
「殿。この機、逃す手はございませぬ」
次郎兵衛は、深く頭を垂れながら、言葉を続けた。
「和議に向けた話し合いの席を、設けるべきかと存じます。ただし――」
「ただし?」
「我らも、決して弱みを見せるべきではございませぬ。まつ様の御厚意に甘えるのではなく、我らの立場を、確とお示しした上での和議を、目指すべきかと」
秀家は、次郎兵衛の言葉に、静かに頷いた。
「よかろう。次郎兵衛、そなたにも、この話し合いの場に加わってもらう」
次郎兵衛は、深く平伏した。
史実になかった道が、少しずつ、しかし確かに、切り開かれようとしていた。
この場面で書きたかったのは、次郎兵衛の分析力が、ここでもう一段深まっているという点です。「家康様も、動きたくても動けぬのだろう」という読みは、単なる願望ではなく、加賀の脅威と関ヶ原での不徹底な決着という、これまで積み上げてきた布石を根拠にした、極めて具体的な推論として書きました。まつという「情」の力と、次郎兵衛という「理」の力が、ここで初めて噛み合った瞬間です。
「殿。この機、逃す手はございませぬ」という進言と、それに続く「ただし――」という一言には、次郎兵衛が単なる和平主義者ではないことを込めています。弱みを見せない和議を求める姿勢は、第三章で岡越前守と対峙した際の胆力にも通じるものです。
「史実になかった道が、少しずつ、しかし確かに、切り開かれようとしていた」——この一文で第十二章は幕を閉じます。次の第十三章「和議の座」では、次郎兵衛自身が、いよいよその話し合いの場に立つことになります。




