第十二章 使者 一
第十一章の終わりで動き出した和議への道筋が、この「一」で最初の答えを得ます。ただしそれは、次郎兵衛が想定していた以上の形で返ってきました。まつ自身が、次郎兵衛の描いた「仲介」という筋書きを見抜いた上で、自らの意志でその役を引き受けようとするのです。
これまで次郎兵衛が働きかけ、動かしてきた人々——豪姫、達安、秀家——とは異なり、まつは、次郎兵衛の知略を上回る大胆さで動き始めます。策を仕掛けた次郎兵衛自身が、その策の受け手に、逆に驚かされる。この構図の逆転が、この章の見どころです。
岡山からの返書が届いたのは、十日ほど後のことだった。
まつ自らが認めたという文には、次郎兵衛の予想を超える、力強い決意が綴られていた。
「――此度の戦、いずれの陣にも、多くの母が子を送り出しておりましょう。老いの身なれど、この命、無駄にはしとうございませぬ」
豪姫を通じて次郎兵衛のもとに届けられたその文面を読み、次郎兵衛は思わず息を呑んだ。
まつは、かつて夫・利家と共に、織田信長、そして豊臣秀吉の時代を生き抜いてきた女性だ。政の機微にも、決して疎くはない。次郎兵衛の描いた「仲介」という筋書きを、まつは正確に見抜いた上で、自らの意志で、その役を引き受けようとしていた。
「豪姫様。まつ様は、如何なる形でお動きになるおつもりでしょうか」
次郎兵衛の問いに、豪姫は静かに答えた。
「母上は、御自ら書状をしたためられ、家康様のもとへ、使者を送るおつもりのようです」
「家康様に、直接……」
次郎兵衛は、内心で驚きを隠せなかった。史実のまつからは、想像もつかないほどの大胆さだった。だが、考えてみれば道理でもあった。まつにとって、家康は、亡き夫・利家と共に豊臣政権を支えてきた、旧知の間柄でもある。
この場面で書きたかったのは、まつという人物を、単なる「次郎兵衛の駒」にしないことでした。「まつは、次郎兵衛の描いた筋書きを、正確に見抜いた上で、自らの意志で、その役を引き受けようとしていた」という一文には、まつが受動的に動かされる存在ではなく、織田・豊臣の時代を生き抜いてきた政治的な力量を持つ、独立した人物であることを込めています。
「家康様に、直接......」と驚く次郎兵衛の反応は、彼がどれほど周到に策を巡らせても、なお読み切れない人間の意志があるという、この物語の一貫したテーマの再確認でもあります。史実を知る次郎兵衛の優位性が、ここでもう一段階、薄れていく場面です。
次の「二」では、まつの独自の動きが西軍内に波紋を広げると同時に、黒田如水という新たな人物が、思わぬ形で物語に関わってきます。




