二
「一」で開戦を迎えた次郎兵衛が、この「二」で対峙するのは、これまで何度も恐れてきたあの瞬間——小早川秀秋の裏切りです。
宇喜多本隊と福島隊の激突という「変えられた」戦況の一方で、松尾山の小早川勢だけは、次郎兵衛の記憶に刻まれた通りの不気味な沈黙を保っています。問鉄砲、そして裏切り——史実で読んだ光景が寸分違わず目の前で再現されるこの場面は、次郎兵衛にとって、自分の知識が正しかったことの証明であると同時に、最も恐れていた瞬間の到来でもあります。
変えられた部分と、変えられなかった部分。その両方が同時に姿を現す、この物語の一つの分岐点です。
辰の刻、霧が晴れると同時に、戦端が開かれた。
中央では、宇喜多秀家率いる本隊と、福島正則率いる東軍先鋒とが、激しくぶつかり合っていた。鬨の声、鉄砲の轟音、怒号が、関ヶ原の盆地に満ちていく。
史実で伝わる激戦そのままに、両軍は一進一退を繰り返した。宇喜多軍は、史実で失われたはずの戸川・宇喜多詮家らの兵力こそ達安隊に割いてはいたが、それでも家中の分裂がなかった分、統率と士気は史実以上に高い。福島隊もまた、猛将・正則自らが陣頭に立ち、一歩も退かぬ構えを見せていた。
「殿の御本隊、よく持ちこたえておられる」
達安が、遠く聞こえる喊声に耳を澄ませながら呟いた。
だが、次郎兵衛の目は、松尾山の頂に据えられていた。小早川秀秋、一万五千余りの大軍が、未だ動かぬまま、山上に留まっている。
史実を知る次郎兵衛には、それがどれほど不気味な沈黙か、痛いほど分かっていた。
巳の刻を過ぎ、午の刻に差し掛かる頃――次郎兵衛の脳裏に刻まれた記憶と寸分違わぬ瞬間が、訪れた。
家康の本陣から、松尾山に向けて、一斉に鉄砲が撃ちかけられたのだ。
「問鉄砲……!」
次郎兵衛は思わず声を漏らした。裏切りを促す、家康の催促の合図。史実で読んだ、その通りの光景が、今、目の前で繰り広げられていた。
「達安殿! 今にも、小早川が動きまする!」
「承知! 者ども、油断するな、盾を構えよ!」
達安の号令が飛ぶと同時に、松尾山の山上で、旗印が一斉に翻った。
小早川勢、一万五千。山を駆け下り、大谷吉継隊の側面へと、雪崩を打って襲いかかった。
この場面で書きたかったのは、次郎兵衛の「知っていることの無力さ」です。小早川が動く瞬間を、彼は誰よりも正確に予期していました。ですがその予知は、事態を防ぐ力にはなりません。「問鉄砲……!」と思わず声を漏らす次郎兵衛の姿は、これまで先回りして策を仕掛けてきた彼が、初めてただ「知っているだけの傍観者」に引き戻される瞬間として書きました。
一方で、達安の「者ども、油断するな」という即座の号令は、次郎兵衛が積み上げてきた備えが、決して無駄ではなかったことを示しています。知識だけでは防げない裏切りに対し、それでも「備えていたこと」自体が、この世界とその他の場合とで唯一の違いです。
小早川一万五千が山を駆け下りる場面で章を締めることで、次の「三」への緊張感をそのまま持ち越しました。史実で崩壊した大谷隊が、この世界ではどう持ちこたえるのか——次郎兵衛が変えた「余剰の戦力」の真価が、いよいよ試されます。




