三
これまで次郎兵衛が丹念に積み上げてきた布石——宇喜多家中の結束、まつを介した前田家との結びつき——が出揃ったところで、この「三」から、いよいよ史実の本流そのものが動き出します。
会津征伐、そして石田三成の挙兵。次郎兵衛が研究者として何百回と読んだはずの出来事が、今、彼自身の目の前で現実になります。「来た――」という一言に滲む昂りは、恐怖よりも、長く待ち続けた者の高揚に近いものです。
ですがこの章の終わりで、次郎兵衛は静かに気づかされます。ここから先は、もはや彼の知識が通用しない、誰も答えを知らない道だということに。
だが、均衡は永遠には続かない。
慶長五年に入ると、天下の情勢は、次郎兵衛の知る史実の流れへと、急速に収斂していった。
会津の上杉景勝に謀反の疑いあり、として、家康が諸大名に号令をかけ、会津征伐へと兵を進めたのだ。
(来た――)
次郎兵衛は、報せを聞いた瞬間、全身の血が沸き立つのを感じた。史実で知る、関ヶ原へと至る最後の引き金。家康が大坂を離れ、東国へと軍を進めたその隙を突き、石田三成が兵を挙げる――。
「戸川殿。事が動き始めましたぞ」
「うむ。家康様が会津へ向かわれたとあっては、大坂・佐和山の動きも、無縁ではいられまい」
達安の声にも、緊張が滲んでいた。
果たして、家康が会津へと軍を進めた隙を突くように、大坂では石田三成が動いた。毛利輝元を総大将に担ぎ、家康の非を鳴らす檄文が、諸大名のもとへと送られ始めたのだ。
宇喜多秀家のもとにも、当然のように、その檄文は届いた。
「殿は、西軍に与する覚悟を固められた」
豪姫からもたらされた報せに、次郎兵衛は静かに頷いた。史実と同じ道だ。だが、この世界の宇喜多軍は、史実とは違う。家臣団は分裂することなく結束し、戸川達安をはじめとする有力な家臣たちも、皆、変わらず秀家の下にいる。
そして――大坂には、まつがいる。
前田家という、百万石の巨大な後ろ盾が、江戸で人質として恭順するのではなく、西国に近い岡山に、その心情的な楔を打ち込まれたまま、金沢で去就を決めかねている。
(前田がどちらに転ぶか。それが、この戦の帰趨を左右するかもしれない)
次郎兵衛は、庭先から見上げる夏の空に、静かに目を細めた。
史実で知る関ヶ原まで、あと数ヶ月。
だが、次郎兵衛の知る歴史は、もはやこの世界の未来を保証してくれない。ここから先は、誰も答えを知らない道だった。
この場面で書きたかったのは、次郎兵衛にとっての「既知」と「未知」の境界線です。会津征伐や三成の挙兵そのものは、彼の知る史実通りに進みます。ですが宇喜多家臣団が分裂せず結束していること、まつが金沢ではなく岡山にいること——次郎兵衛自身が変えてしまった要素が、その先の展開をどう変えるのかは、もはや誰にも、次郎兵衛自身にも分かりません。
「前田がどちらに転ぶか。それが、この戦の帰趨を左右するかもしれない」という独白は、次郎兵衛が仕掛けた最大の変数が、ここでついに天下分け目の帰趨に直結する可能性を持ち始めたことを示しています。
「史実で知る関ヶ原まで、あと数ヶ月」――この一文を境に、物語は次章から、いよいよ史実の関ヶ原へ向けた進軍そのものを描いていきます。第六章はここで幕を閉じ、次の第七章「進軍」では、次郎兵衛たち宇喜多軍が、戦場そのものへと動き出します。




