第八十話 「整え直す、という作法」
第二稿を書記局へ出したのは、四十八日目の朝だ。
第一稿の九条に答弁で出した三条を組み込んで、全十二条にした。組み込む時に、条の順番を入れ替えた。第一稿では役の権限を先に書いて、責めを後ろに置いていた。第二稿では、責めを先にした。
誰が書いたかが残る。責めは、書いた者と、書かせた家督の両方が負う。それを読んでから、権限の条に入る。
得の話から始まる書面は、読む人が身構える。負う話から始まる書面は、読む人が、まず自分の家で誰が負うかを数え始める。数え始めた人は、もう、その案の中に入っている。
受付の書記官は、前と同じ方だった。表題を読んで、一枚目をめくって、第一条の役の名の欄を見た。
「空欄のままでございますね」
「空欄のままでございます」
「差し戻しは、いたしません」
「ご理由を、伺ってもよろしいですか」
「第一読会で、議場が、この空欄について三十分お話しになりました。三十分お話しになったものは、もう、書式の不備ではございません」
書記官が判を押した。
書記局を出ると、廊下で当家の書記官が待っていた。
「ローゼンベルク様。書記局より、内々のお伺いが一つ、ございます」
「伺います」
「採決日を、後ろへ二週間、動かす案がございます。第二稿の提出を受けて、四十七家がお読みになる時間を取る、という理由でございます」
私は廊下の窓の外を見た。
動かせば、婚儀と採決が離れる。婚儀の翌日に傍聴席へ上がる、という無理な段取りが要らなくなる。作法としても、そちらが正しい。
正しい方には、いつも、少しだけ甘い匂いがする。
「お断りいたします」
「よろしいのですか。お輿入れの翌日でございますが」
「翌日で結構でございます。書記局には、こうお伝えくださいませ。当家は、日程を動かしていただく理由を持っておりません」
「かしこまりました」
理由はもう一つあった。
先月の末にあの一行を日程へ入れた人がいる。入れた人はこちらが日程を動かしたがるかどうかを見ている。動かしたがれば、こちらが日程を気にしている、と知れる。知れば、次は動かせない場所に何かを寄せてくる。
動かさない家には、寄せる意味が無い。
書記局を出てから、貴族院の中庭を回って帰った。
中庭には四十七家の紋を彫った石が並んでいる。並びは議席と同じで、古い家から順だ。石は家が議席を失っても外されない。三年停止の四家の石も、そのまま置かれている。苔の付き方だけが、他の石と違っていた。誰も触らない石は、苔が均等に付く。
当家の石は右から十一番目にある。祖父が議席に出ていた頃、私はここで待たされていた。待っているあいだ、石の並びを端から数えるのが癖になった。
四十七。数えるだけなら、半刻もかからない。
説明して回るとなると、半刻では済まない。
午後、カイが王都に着いた。月に二度の、二度目だ。
玄関で出迎えると、真っ先に苗の方を見た。
「蕾が、三つに増えております」
「二つと申し上げましたのは、十日前でございます」
「十日で一つ増えるなら、婚儀の頃には、七つでございますね」
「そのように、計算いたしましたか」
「馬車の中で」
応接室で婚儀の段取りを二人で並べた。
辺境の作法と、王都の作法がいくつか噛み合わない。辺境では、婚儀の朝に家の者が関へ一度上がる。関の門を開けてから、婚儀を始める。王都では、朝は屋敷を出ない。
「どちらに合わせましょうか」
「合わせずに、両方いたしましょう」
カイが少しだけ目を上げた。
「両方、と申しますと」
「朝に関の門を開けていただいて、その報せを、王都で受けます。報せを受けてから、屋敷を出ます」
「王都と辺境で、三日かかります」
「三日前に開けていただければ、間に合います」
「三日前の朝に開けた門を、婚儀の朝に開けたことにいたしますか」
「いたしません。三日前に開けた、とそのまま申します。辺境の関は、婚儀の三日前に開いております、と」
カイが、はじめて、声を出して少し笑った。
「うちの副官が、喜びます」
「ヴェルナー殿が」
「あの者は、作法を一つ増やすのが好きな男です。今年から、婚儀の三日前に関を開ける、という行事が当家にできます」
「一度いたしますと、次の代も、いたしますね」
「いたします。理由は、たぶん、三代で忘れられます」
「忘れられた頃が、いちばん強うございます」
夕方、父と三人で書面の方の段取りも並べた。
貴族院への届け——当家の者がヴァルナー辺境伯家へ嫁す、という届けは婚儀の一週間前に出す。届けの様式は決まっている。当家の当主が当家の者の名と、続柄と、嫁ぎ先を書く。
「役の名の欄は、どういたしますか」
当家の書記官が聞いた。
様式にはその者の家中の役を書く欄がある。家督代行は名簿に無いから、書けない。
私は少し考えて、答えた。
「空けてください」
父が私を見た。
「二度目だな」
「二度目でございます」
「書記局は、また、三十分話すぞ」
「話していただければ、結構でございます」
様式の欄を空けて出すのは、これで二度目になる。
一度目は、四十七家に名を決めてもらうためだった。二度目は、違う。届けの様式は貴族院が四十年前に決めたもので、そこには当時あった役しか書けない。書けない役に就いている者が、当家に一人いる。その一人が嫁ぐという届けを出す時に、欄が埋まらない。
埋まらないことを当家が黙って埋めれば、様式は正しく回る。回ってしまえば、誰も、その欄が足りていないことに気づかない。
四十年、そうやって回してきた欄だった。
届けが出るのは、婚儀の一週間前。採決日の八日前だ。
その日、四十七家は当家の届けを受け取る。届けの役の欄が空いている。空いている欄を見た四十七家は、そこに何と書くべきかを、八日後に自分たちで決めることになる。
夜、カイが辞去する前に、玄関で少しだけ二人になった。
「アリシア」
「はい」
「関の書面の件、当家で決めました」
「伺います」
「副官を、六つ目の役に載せます。名簿ができましたら、当家から届けを出します」
私はすぐには返事をしなかった。
二百年、名簿の外にいた家が、名簿の中に入る。それを決めるのに、あの方は十日と少し使った。
「よろしいのですか」
「よくはございません。当家の中で、二人、反対しました」
「ヴェルナー殿は」
「あの者が、いちばん強く反対しました」
「ご自分の名が載る話でございますね」
「載る話です。載ると、関で通した荷の責めが、あの者の名で残ります。二百年、当家では、関の責めは辺境伯が全部負ってまいりました。負う者が増えるのを、あの者は嫌がりました」
「では、なぜ」
「私が、こう申しました。責めを負う者が増えるのではない。負っている者の名が、はじめて紙に載るだけだ、と」
私は玄関の苗を見た。蕾が三つ、まだ固い。
「カイ」
「はい」
「準備は、また、整え直しでございます」
「整い直しますか」
「二稿目でございます。一稿目の時に整っていたものが、いま、半分ほど、並べ替わっております」
「三稿目は」
「ございません。三稿目を出す家は、四十七家に、まだ迷っていると読まれます」
カイが馬車に乗る前に、一度だけ振り返った。
「アリシア。三日前に、門を開けます」
「お待ちしております」
三ヶ月のうちの四十八日目。あと四十二日ある。
馬車の音が門の外へ遠ざかってから、私はしばらく玄関に立っていた。
二稿目を出し、日程を動かさず、届けの欄を空けると決めた。一日で三つ決めたことになる。三つとも決めた時に胸が動かなかった。動かないのは前から用意してあったからだ。
用意していないものが、今日は一つだけあった。三日前に開く関の門のことだ。あれは、その場で決まった。
書斎に戻って、机の端の輿入れの支度表を見た。人の行は、まだ空いている。期限は輿入れの前日だから、あと三十二日ある。あの人が三度書き直して三度止まった行を、私は一度も聞いていない。聞けば答えを作ってしまう人だと知っているからだが、聞かずに待つのも、こちらの都合ではある。
第二稿は全十二条。責めの条を先に置き直しました。得の話から始まる書面は、読む方が身構えます。
採決日を動かす案は、お断りいたしました。動かさない家には、寄せる意味がございません。
お気に召しましたら、ブックマークと評価をいただけると励みになります。




