第七十二話 「賛同の、条件」
二十一日目の朝、父の書斎に昨日の手紙を持って上がった。
父は既に机に着いていた。私は封筒を机の上に置いて、便箋を三枚、順に並べた。
「読んだか」
「昨夜、二行目までで止めました」
「なぜ止めた」
「日付を先に見てしまいましたので。先に日付を見ますと、中身の読み方が変わります。変わった読み方で読みますと、書いていないことまで読んでしまいます」
「一晩置いたか」
「置きました」
父が一枚目を手に取った。
グルゼマン伯の字は細くて、行の間が広かった。読む者が余白に何か書き込むことを見越した書き方だ。
一枚目は、賛同の理由だった。
コーデルの商業評議会にも、同じ形の困りごとがある。評議会の書面に署名できる者が、家ごとに一人しかいない。その一人が港に出ていれば、書面は三日止まる。止まった三日のあいだに、船は出る。
「同じことを、言うておるな」
「同じでございます。当家が記録院で数えたものを、あちらは港で数えておられます」
「二枚目は」
「条件でございます」
二枚目には、三つ書かれていた。
一つ。王国の貴族院の名簿に六つ目の役が加わった暁には、コーデル側もこれに倣い、評議会の名簿を改める。
二つ。両国の書面のやり取りにおいて、六つ目の役に就いた者の署名を、当主の署名と同じものとして扱う。
三つ。右の二つが整い次第、国境の通行に関する書面についても、同じ扱いとする。
父が二枚目を机に戻した。
「一つ目と二つ目は、こちらに得だな」
「得でございます」
「三つ目は」
「三つ目だけ、種類が違います」
私は三枚目——署名と日付のある紙——を父の方へ滑らせた。
「一つ目と二つ目は、紙の上のお話でございます。名簿と署名の扱いを揃える、というだけの。三つ目は、人と荷が動きます」
「国境の通行か」
「はい」
「いま、通行の書面は、誰が出す」
「王国側は、辺境伯家でございます。ヴァルナー領の関で、辺境伯か、その副官が署名いたします」
「コーデル側は」
「評議会の副議長でございます」
父が指を止めた。
「グルゼマンだな」
「グルゼマン伯でございます」
窓の外で庭師が梯子を立てる音がした。
「三つ目が通りますと、どうなる」
「王国側で通行の書面に署名できる者が、増えます」
「辺境伯家のほかに」
「六つ目の役に就いた者が、署名できるようになります。名簿に載っている限り、王都でも署名できます」
父が椅子の背に体を預けた。
「関を通さずに、王都で、通行の紙が出せるようになる」
「出せるようになります」
「それは、辺境伯家の手から、関が半分離れる、ということだな」
「離れます」
私は自分の手元の余白に、線を一本引いた。
国境の関は辺境伯家が二百年、自分の目で見て、自分の判で通してきたものだ。誰を通し、誰を待たせるか。その判断が家の仕事の中身そのものだった。
六つ目の役ができて、その役に王都で署名する権限が付けば、関の前に立たない者が、関を通る紙を出せる。
関に立つ者は、荷を見て、人を見て、季節を見る。冬の初めに南から来る荷は、雪の前に急いでいる荷か、雪を見越して早めた荷か。急いでいる荷には理由があり、理由のある荷には、たいてい、後ろに人が付く。その見分けは、書面には書けない。書けないものを、二百年、家の中で受け渡してきた家だ。
王都で出した紙にはその見分けが載らない。載らない紙が関に届いて、関の者は通せと書かれた紙を読む。
「アリシア」
「はい」
「これを書いた者は、お前が断りにくい形で書いてきておるな」
「断りにくうございます」
「なぜ断りにくい」
「一つ目と二つ目を頂戴しますと、制度案は、国の外にも通る形になります。四十七家の中には、外の国が先に倣うと聞けば、票を動かす方がおられます」
「三つ目だけ断れるか」
「書面の上では、断れます。三つは並べて書かれているだけで、束ねてはございません」
「では、断ればよい」
「断りますと、一つ目と二つ目も、たぶん、消えます」
父が私の顔を見た。
「束ねていないが、束ねてある、ということか」
「そういう書き方でございます。束ねた形にしておきますと、こちらが束を解けと言えます。並べただけにしておきますと、解くものがございません」
「うまい」
「うまうございます」
私は一枚目に戻った。
うまい書き方をする人は、うまい書き方を教わった場所がある。
この方は弁明の七日が終わった時に、評議会の舵を王室へ戻した。自分の手から離した形にして、副議長の席にはそのまま残った。当家はあの時、引かれた、とは書かなかった。続け方をお変えになった、と書いた。
続け方を変える人は変えた時点で次に何をするかを決めている。決めてから、決めた通りに動ける場所へ、静かに座り直す。座り直した先が副議長の席で、そこは国境の通行に署名できる席だった。
今度は当家の名簿の話に乗ってきた。乗り方も、あの時と同じだ。自分は表に出ない。紙の並べ方だけでこちらの手を決めにくる。
「父上。この方は、なぜ、十一日前に、これをお書きになれましたか」
父が三枚目の日付を見た。
「昨日、お前が出したものを、十一日前に知っていた、という話だな」
「当家の書斎と、ハイデン子爵家と、昨日の窓口の書記官。中身を知る者は、それだけでございます」
「子爵が漏らしたか」
「漏らしましたら、条件の三つ目が、こう書けません」
「書けぬか」
「子爵にお見せした下書きに、国境の通行は、一行もございません。あの方がご覧になった紙からは、三つ目は出てまいりません」
父が黙って、便箋の端を揃えた。
「では、どこから出た」
私は鞄から議事日程表を出して、机に置いた。
十二日前に四十七家へ配られた、ただの事務の紙だ。三ヶ月分の予定が日付順に並んでいる。
その中の一行を、指で押さえた。
名簿改定に関する採決日。
「父上。この一行は、いつ、書かれましたか」
「書記局が今期の日程を組むのは、先月の末だ」
「当家が第一稿を書き始めましたのは、今月の三日目でございます」
父の指が止まった。
「順が、逆だな」
「逆でございます」
私は日程表の紙を、手紙の隣に並べた。
当家が案を作る前に、貴族院の日程には名簿改定の採決日があった。
誰かが、当家が名簿を触ることを、当家より先に日程へ書き込んだ。
書き込まれた紙は、四十七家に配られる。配られた紙は、国の外へも出る。商いをする家の書面は、港を通って、あちらの評議会にも届く。
十一日前に、この一行は既に海の向こうにあった。
「アリシア」
「はい」
「その者は、お前の味方か」
「わかりません」
「敵か」
「それも、わかりません。ただ、一つだけ、はっきりしております」
「なんだ」
「当家が名簿を触ることを、当家より先に決めていた方がおられます」
父が便箋を封筒に戻した。
「決めていた者は、決めた通りに進むことを、望んでおる」
「望んでおられます。ですから、進めます」
「進めるのか」
「進めます。ただし、進む道は、こちらで選びます。三つ目の条件は、いま、返事をいたしません」
「保留か」
「保留ではございません。確かめに参ります」
「どこへ」
「関へ」
父が書類の角を揃えた。
「ヴァルナー領か」
「明日、発ちます。月に二度、往復すると取り決めました。今月の一度目が、まだでございます」
「取り決めが、早速、役に立つな」
「役に立ちますように、取り決めました」
三ヶ月のうちの二十一日目。あと六十九日ある。
書斎に戻って、白い紙を四枚とも机に出した。
三枚目——採決日までに説明を済ませておく順番——の、いちばん下に、一行足した。
国境の関。署名できる者を増やす話は、辺境伯家に先に通す。
通してから決める。通す前に決めれば、それは王都で決めたことになる。
王都で決めたことを辺境が受け取る形は、この十年、当家が散々見てきた形だ。関の前に立ったことのない者が、関の通し方を決める。決められた側は決めた側の名前を覚える。
私が嫁ぐ家に、その形を私が持ち込むわけにはいかない。
旅の支度はリゼットが半刻で整えた。二度目の支度は、一度目より速い。
賛同の条件は三つ。一つ目と二つ目は当家に得で、三つ目だけ、人と荷が動きます。
当家が案を作る前に、貴族院の日程には、名簿改定の採決日がございました。明日、関へ参ります。
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