第七十一話 「空欄のまま、書記局へ」
二十日目の朝、父と二人で王宮へ上がった。
通されたのは謁見の小広間だった。玉座の間ではない。窓が二つと椅子が一つ、その手前に立つための場所が二人分あるだけの部屋だ。
陛下は、思っていたよりも近くにおられた。
「ローゼンベルク公」
「陛下」
父が礼をした。私は半歩下がって、同じように礼をした。
「そちらが、書斎の方か」
「娘の、アリシアでございます」
「アリシア・フォン・ローゼンベルクでございます」
陛下が私をご覧になった。四度目の設計は任せる、と仰せになった時と同じ目の色だった。
「宮廷府の職制に、一つ、加える」
「承ります」
「名は、家督代行とする。そなたの家の書斎の呼び名を、そのまま使う。異存はあるか」
「ございません」
「書式は三月で整う。整えば、そなたの名で宮廷へ書面が出せる。父の名を借りずともよくなる」
「ありがたく、頂戴いたします」
父が私の半歩前で頭を下げた。今日の父の役目はここまでだと、上がる馬車の中で本人が言っていた。同席はする。口は利かない。
「陛下」
「なんだ」
「一つ、お願いを申し上げてもよろしいでしょうか」
「申せ」
「宮廷の職制は、ありがたく頂戴いたします。そのうえで、貴族院の役職名簿にも、六つ目の役を加えとう存じます」
陛下がしばらく私をご覧になった。
「宮廷の職制では、足りぬか」
「足ります。陛下の代の間は、足ります」
父の肩が、わずかに動いた。動いただけで、何も言わなかった。
「……そなたは、私の代の後の話を、私の前でするか」
「いたします」
「なぜ」
「陛下の代の後にも残るものを、陛下の代のうちに作らせていただきたく存じます。次の代に入ってからでは、次の陛下の都合でお作りになった役になりますので」
窓の外を、鳥が二羽、続けて横切った。
「ローゼンベルク公」
「はい」
「娘御は、そなたには似ておらぬな」
「祖父に似ましてございます」
「そうであろうな」
陛下が椅子の肘に手を置き直された。
「止めはせぬ。ただし、宮廷は手伝わぬ」
「承知しております」
「わかっておるか」
「宮廷がお手伝いになりますと、王家が名簿を触った、という話になります。そうなりました案は、通りません」
「わかっておるなら、よい」
陛下が窓の方へ目を移された。
「紙が、実物に追いつかぬ。……そういうものは、そなたの家だけの話ではない」
私は頭を下げた。
「お言葉、承りました」
それだけを申し上げて、それ以上は申し上げなかった。
廊下に出て、父と二人で階段を降りた。
「言うたな」
「申し上げました」
「私は、何もしなかった」
「お座りいただきました」
「座るのは、手を出したことにはならん」
「なりません」
父が階段の途中で一度立ち止まった。
「アリシア」
「はい」
「陛下は、お前が言うと思って、あの部屋の椅子を一つにしておられた」
「一つ、でございましたね」
「三脚あれば、話は三人でするものになる。一つなら、お言葉を賜る形になる。それでも言うか、を見ておられた」
「では、見ていただきました」
「見ていただいた」
父が階段を降り切って、馬車へ向かった。私は、そのまま貴族院へ回った。
貴族院の書記局は議場の北側にある。窓口が三つ並んでいて、いちばん右が案件の受付だった。
私は鞄から綴じたものを出して、台の上に置いた。
表題は、役職名簿の改定に関する案、第一稿。全九条。
受付の書記官は五十ほどの男で、老眼鏡を上げて表題を読み、それから一枚目をめくった。
めくって、指が止まった。
「ローゼンベルク家」
「はい」
「第一条の、役の名の欄が、空いておりますが」
「空けてございます」
「書き忘れでは、ございませんね」
「ございません」
書記官が老眼鏡を下げて、私の顔を見た。
「書式としましては、差し戻しの対象になり得ます」
「差し戻しになりましたら、その時に書き足します」
「なぜ、空けてお出しになりますか」
「名を書いて出しますと、当家が付けた名になります」
「空けてお出しになりますと」
「議場でお決めいただく名になります。四十七家がご自分でお決めになった名は、四十七家のものでございます」
書記官がしばらく黙って、一枚目をもう一度見た。
「……そういうお出し方をなさる方は、久しくおられませんでした」
「祖父の代の書面を、読んでまいりましたので」
「先代のローゼンベルク卿でございますか」
「はい」
書記官が判を持ち上げて、受付の日付を押した。紙に判が落ちる音が、窓口の外まで届いた。
「本日付で、お預かりいたします。写しは、明後日、四十七家へ配られます」
「お願いいたします」
窓口を離れて、北側の通路をゆっくり歩いた。
九条の中身は頭の中で何度も並べ直したものだった。六つ目の役は当主か家督が書面で指名して、貴族院に届け出て、名簿に載る。期限は置かない代わりに、届けは毎年出し直す。できることは指名の書面に一つずつ書き並べたものだけで、書いていないものはできない。書いた者の名は書面に残る。責めは、書いた者と書かせた家督の両方が負う。
書かなかったものも、同じだけある。
六つ目の役に就く者がどこに住むか。誰と縁を結ぶか。その二つを第一稿には一言も書かなかった。書けば、私自身の話になる。私自身の話になった条文は、私が居なくなれば要らなくなる。
書かなかったところは、たいてい後で誰かに突かれる。突かれた時に書き足すのが、いちばん強い。突かれる前に書いておくと、なぜ書いたのか、という話から始めなければならない。
三日前に、条文の下書きは、ハイデン子爵家へ届けてある。
子爵からは翌日に戻ってきた。余白に、鉛筆で三箇所だけ印が付いていた。二つは書式の指摘だった。残る一つは中身だった。
代わりに書いた者の名を書面に残すのであれば、書かせた側の名も、同じ行に残すべきである。
私はその一行を第五条に入れた。責めの所在を辿れるようにする、という話は、私の方が先に口にした。ただし、辿れるようにする書き方を思いついたのは、家令を置かずに全部を自分で書いている方だった。
第五条には、ハイデン子爵の名は載らない。載るのは、条文の形だけだ。
それでよかった。いちばん人手の無い家が、いちばん先に下書きを見て、そこから一条が入った、という順序は残りの三家に伝わればそれで足りる。伝えるのは、私ではない方がよい。
屋敷に戻ったのは、日が傾いてからだった。
玄関でリゼットが待っていた。手に、封書が一通ある。
「お嬢様。お戻りをお待ちしておりました」
「お預かりものですか」
「本日の夕方、外交府の窓口を経由して届いております。コーデル王国からでございます」
私は封書を受け取った。
差出人の名を見た。
グルゼマン伯。コーデル商業評議会、副議長。
書斎に上がって、封を切った。
一行目は、こう始まっていた。
貴族院の役職名簿の改定に、賛同を申し上げます。
私は二行目を読まずに、日付へ目を落とした。
手紙の日付は、十一日前だった。
第一稿を書記局に出したのは、本日の午後だ。写しが四十七家に配られるのも、まだ先だ。この案の中身を知っている者は、当家の書斎とハイデン子爵家と、今日の窓口の書記官しかいない。
十一日前に、コーデルの副議長は、当家がこの案を出すことを知っていた。
私は封筒を裏返した。封蝋は一度も割られていない。途中で誰かが開けて読んだ形跡はない。
知っていたのは、この手紙を書いた人だ。
机の上に白い紙を三枚とも出した。一枚目、反対なさる方のお名前。二枚目、助かる方のお名前。三枚目、採決日までに説明を済ませておく順番。
どの紙にも、この方の名前を書く欄が無かった。
私は四枚目を出して、いちばん上に日付を書いた。その下に、こう書いた。
当家が出す前から、知っていた方。
一行目に、グルゼマン伯、と書いた。
二行目は、まだ空けておいた。空けておく、というのは、たいてい、一人では終わらないと思っている時の書き方だ。
三ヶ月のうちの二十日目。名簿の空欄が一つ、書記局に置かれた。あと七十日ある。
準備は三ヶ月前から、というのは、当家だけの作法ではなかったらしい。
宮廷の職制は頂戴し、貴族院の名簿は自分で取りに参ります。第一稿の、役の名の欄は、空けたまま出しました。
同じ日に、コーデルから一通。十一日前の日付で、賛同、と書かれておりました。
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