第七十話 「王家にも、名簿がある」
十四日目の夕方、王宮東棟の小書斎に呼ばれた。
二度目だった。前に来たのは、コーデルの件が動き始めた頃だ。部屋は同じだった。暖炉が一つ、机が一つ、椅子が三脚。壁に、王家の紋章ではなく地図。
今日も、給仕はいなかった。
「ローゼンベルク嬢」
「殿下」
レオン殿下が椅子を目で示した。前回は三脚に三人だったが今日は二人だ。
「六日後に、父上がお言葉を賜ります」
「承っております」
「その前に、私の方から一つだけ、お耳に入れておきたいことがございます」
「どうぞ」
殿下が、机の上に一枚の紙を置いた。書式は宮廷のものだが印は押されていない。
私は表題を読んだ。
「王位継承順位に関する、当面の取り扱いについて」
「殿下」
「はい」
「これは、私が読んでよろしい書面でございますか」
「印を押しておりません。押していないものは、まだ書面ではございません」
「では、拝見いたします」
中身は短かった。ライナルト殿下は第三継承順位のまま、謹慎を継続。当面、公務には出さない。ただし継承順位からは外さない——それだけだった。
「外しておられませんね」
「外せません」
「ご理由を、伺ってもよろしいですか」
「継承順位から外す手続きが、王国に、ございません」
私は顔を上げた。
「ございません、というのは」
「継承順位を定める規則はございます。上から順に並べる規則です。ただ、並びから抜く規則が、書かれておりません」
「抜いた前例は」
「三代前に一度。ただしその時は、当人が亡くなっております」
「亡くなれば、抜けますね」
「亡くなれば、抜けます。生きたまま抜く手筋が、王国には無いのでございます」
暖炉の火が、一度だけ、音を立てた。
「ですから、謹慎でお止めになっている」
「止まっているのは、公務だけでございます。順位は、動いておりません。父上に何かがあれば——兄上は、第三のまま、そこにおられます」
私は紙を机に戻した。
名簿から抜く手筋が無い。だから、名簿に載ったまま止めるしかない。止めているのは、規則ではなく、人の判断だ。人の判断で止めているものは、人が代われば動く。
どこかで聞いた形だった。
「殿下」
「はい」
「当家が、いま、貴族院の名簿に六つ目の役を足そうとしております」
「存じております」
「その話と、この紙は、同じ場所の話でございますね」
殿下が少しだけ椅子を引いた。
「そうお思いになりますか」
「思います。貴族院の名簿には、実際にある役が、載っておりません。王家の名簿には、実際に止まっている方が、止まったままの形では載っておりません。どちらも——紙が、実物に追いついていない、というだけのお話でございます」
「同じだ、と」
「同じでございます」
殿下がしばらく私を見た。それから、暖炉の方へ目を移した。
「私が今日お呼びしたのは、そのお言葉を、お嬢様の口から聞きたかったからでございます」
「試されましたか」
「試したのではございません。確かめたのでございます」
「違いを、伺ってもよろしいですか」
「試すのは、こちらが答えを持っている時でございます。私は、持っておりません」
私は頷いた。
「殿下は、王家の名簿にも、六つ目のような役をお作りになりたい」
「作りたい、というより——作らざるを得ない日が来る、と見ております」
「代行、でございますか」
「父上が病まれた時、兄上が第三のままそこにおられる状態で、誰が王家の書面に署名するのか。いまは、その日が来ていないだけでございます」
「来ましたら」
「来ましたら、その場で誰かが決めます。その場で決めたものは——」
「その場の都合で決まります」
「はい」
私はその紙の余白を見た。
印の押されていない紙。まだ書面ではない紙。宮廷の職制は陛下の代のもので、代が替われば見直される。同じことが王位の継承にも起きる。
「殿下」
「はい」
「一つだけ、申し上げてよろしいですか」
「どうぞ」
「王家の名簿の話を、貴族院の名簿の議事に、混ぜないでくださいませ」
殿下が目をわずかに上げた。
「混ぜるな、と」
「はい。六つ目の役の議事に、王家の継承の話が一言でも乗りますと——四十七家は、王家が自分の都合で名簿を触ろうとしている、と読みます。読まれた瞬間に、あの案は通りません」
「お厳しいことを、仰る」
「厳しいのではございません。順番でございます」
「順番」
「貴族院の名簿が先でございます。四十七家が自分たちで六つ目を作った、という前例が立ちましたら——王家の名簿の方は、その前例の上に置けます。逆はできません」
殿下が、暖炉の火をしばらく見ていた。
「……前例を、お作りになるおつもりですか」
「作るつもりはございません。ただ、できてしまいます」
「できてしまう」
「制度は、作った側の意図より、次に使う側の都合で、形が決まりますので」
殿下が、はじめて、声を出して少し笑った。
「お祖父様も、そういう言い方をなさいましたか」
「祖父は、もっと短く言ったそうでございます」
「なんと」
「一枚では、使わない、と」
殿下が紙を封筒に戻した。
「本日のお話は、六日後の父上のお言葉とは、無関係でございます」
「無関係、と承ります」
「ただ——六日後、父上が宮廷の職制のお話をなさいます。その時、お嬢様が、貴族院の名簿の方も欲しい、とお答えになりましたら」
「お答えいたします」
「父上は、たぶん、お止めになりません」
「ご理由は」
「父上も、抜く手筋が無いことを、二十年、ご存じでいらっしゃいますので」
私は立ち上がって、礼をした。
三ヶ月のうちの十四日目。廊下に出て、東棟の階段を降りた。降りながら、白い紙の三枚目——「採決日までに、説明を済ませておく順番」——の一行目に、何を書くかを決めた。
王家の話はそこに書かない。書かないことを、いま決めた。
書かないと決めたものが一つ増えた。書かずにおいたものは、たいてい、あとで誰かに書かれる。
王国には、継承順位から生きたまま抜く手筋がございません。止めているのは規則ではなく、人のご判断でございます。
六日後、陛下のお言葉を賜ります。王家の名簿のお話は、そこには持ち込みません。
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