第六十八話 「お続けの、順番」
十一日目の朝、書庫に上がった。今度は四半刻と決めずに来た。
北の壁の下段の木箱、右から二つ目。中の額を二つとも出して、湧水の絵の方の裏板をまた外した。留め具は四つ。金気の出ている一つを、最後に外す。
紙は前と同じように、折らずに平らに重なっていた。
いちばん上の一枚——「お続けの、順番」「読む者は、順番に、全部を開けること。一枚だけを、持ち出さぬこと」——を脇に置いて、二枚目を取った。
リゼットが灯りを二つ持って、机の両側に置いた。
「お嬢様」
「はい」
「本日は、何枚まで、とお決めでございますか」
「決めておりません」
「決めずにお読みになるのは、初めてでございますね」
「一枚だけを持ち出さぬこと、と書いてございましたので」
「では、全部でございますね」
「全部です」
二枚目は、表題だけで中身が無かった。
「先代の辺境伯と、私の間で、まだ済んでいない話」
その下は線が引いてあるだけの空の表だった。左に日付、右に用件。行は二十ほどあって、どれも埋まっていない。
「リゼット」
「はい」
「表題だけの紙が、二枚目でございます」
「お書きになる前に、お亡くなりになったのでしょうか」
「そうかもしれません。ただ——」
私は三枚目を取った。
三枚目は埋まっていた。
左に日付、右に用件。祖父の細い字で、十九行。二十年前の秋から、十年前の冬まで。いちばん下の行の日付は、祖父が亡くなった年の秋だった。
「埋まっているのは、三枚目でございました」
「二枚目は」
「たぶん、写しの形でございます。二枚目に線だけを引いて、三枚目に中身を書く。二枚目は——渡すための紙です」
「お渡しになる先は」
「辺境伯家でございましょう」
私は三枚目を灯りの下に寄せた。
十九行。用件の欄は、どれも短い。
「国境の水利、冬の取り決め」「馬の売買、関所の扱い」「辺境の兵の食糧、王都からの分」「北山中の道、通行の一存」——辺境と当家の間で、公式の書面に載せずに済ませてきた事柄が日付順に並んでいた。
十九行のうち、上から十七行までの右端に、小さく丸が付いている。
残り二行だけ、丸が無かった。
「リゼット」
「はい」
「この丸は、済んだ、という意味だと思います」
「十七、済んでおりますね」
「残り二つが、済んでおりません」
「お日付は」
「二つとも、十年前の冬でございます」
祖父が亡くなった年の冬。カイの父も同じ年に亡くなっている。
双方の当主が同じ年に亡くなって、その年の冬の二件だけが、丸を付けられないまま残った。
その後、辺境からの十二通が家令に保留され、話は十年止まった。
止まった場所がこの二行だ。
「リゼット」
「はい」
「二行の用件を、読みます」
「はい」
一つ目。「北の湧水の水利、次の代へ。書面にせず、次の代の当主同士で口頭にて」
二つ目。「先代辺境伯より預かりの品、返却の時期。相手方の家の事情が落ち着いてから」
私は二つ目のところで手を止めた。
「預かりの品」
「お品でございますか」
「はい。当家が、先代の辺境伯様から、何かをお預かりしている、ということになります」
「お返しになっていない、と」
「返却の時期が、まだ決まっていない、と書いてございます」
「相手方の家の事情、というのは」
「カイの家の事情でしょう。十年前、カイのお父様が亡くなって、カイが十七で辺境伯を継いだ。落ち着いてから返す、と祖父は決めた」
「落ち着かれる前に、先代様がお亡くなりに」
「なりました」
書庫の中の光が、机の上で少し動いた。
当家に辺境伯家の品が、十年、預かられたままになっている。
どこに預かっているのか、三枚目には書いていない。何を預かっているのかも、書いていない。書いていないのは祖父の作法だ。一枚では使わない。品の中身と場所は、たぶん別の紙にある。
私は四枚目を取った。
四枚目は、また表題だけだった。
「預かりの品について」
その下は、白い。
「リゼット」
「はい」
「四枚目も、空でございます」
「渡すための紙が、また一枚」
「そうかもしれません。ただ、今度は——書きかけて止めた、という気もします」
「お見分けが、つきますか」
「つきません。ただ、二枚目の線は定規で引いてあって、四枚目の線は、手で引いてございます」
リゼットが、灯りを少しだけ近づけた。
「……手で引いた方が、後でございますね」
「後だと思います。定規を取りに立つ時間を、惜しんだ人の線です」
「急いでおられた」
「急いで書き始めて、書かずに、閉じた」
私は四枚とも、机に並べた。
一枚目——順番の指示。二枚目——辺境伯家へ渡すための空の表。三枚目——十九行のうち二行が未了。四枚目——預かりの品について、白紙。
順番に、全部を開けること。開けた。
開けて、出てきたのは、済んでいない二件と、書かれなかった一枚だった。
「リゼット」
「はい」
「本日、カイにお手紙を書きます」
「ヴァルナー領へ」
「はい。ただ、聞くことは一つだけにいたします」
「一つ、でございますか」
「先代の辺境伯様が、当家に何かをお預けになった、というお話を、ご存じですか。それだけ」
「品の中身は、お尋ねになりませんか」
「尋ねません。あちらがご存じなら、あちらから出ます。ご存じないなら、当家の中を先に探すのが順番です」
「お順番でございますね」
「祖父の一枚目に、そう書いてございましたので」
私は四枚を、元の通りに額へ戻した。裏板を当て、留め具を四つ、金気の出た一つを最後に留めた。
箱に戻して、四つの箱を同じ見た目に並べ直した。
三ヶ月のうちの十一日目。済んでいない二件が、十年ぶりに、机の上へ戻ってきた。
順番に、全部を開けました。十九行のうち、丸の付いていない行が二つ。どちらも十年前の冬でございます。
当家は、辺境伯家から何かをお預かりしたまま、十年が経っているようでございます。
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