第六十六話 「同じ日に、二つ」
九日目の朝、貴族院の書記局から、当家に一枚の紙が届いた。
今期の議事日程表だった。三ヶ月分の予定が日付順に並んでいる。四十七家に同じものが配られる、ただの事務の紙だ。
私は書斎でその紙を暦の隣に置いた。
置いてから、動かなくなった。
三ヶ月先の印のある日。父が当家の暦に入れた、婚儀の日付。その同じ日に、議事日程表の方も、一行あった。
——名簿改定に関する採決日。
「リゼット」
「はい」
「暦を、もう一枚」
「同じものを、でございますか」
「同じものを。並べて見たいので」
リゼットが二枚目の暦を持ってきて、机に並べた。並べても、同じ日だった。二枚あっても、日付は増えない。
「お嬢様」
「はい」
「重なっておりますね」
「重なっております」
「どちらを、お動かしになりますか」
いい聞き方だった。どちらかを動かす、という前提で聞いてくる。動かせないかもしれない、とは聞かない。
「動かせるものと、動かせないものが、ございます」
「婚儀の方は、動きます」
「動きますか」
「お日取りは、当家とヴァルナー家のお決めでございます。両家がお決めになれば、明日にでも変わります」
「議事日程は」
「貴族院がお決めになります。当家の都合では、動きません」
「では、婚儀を動かせばよい、ということになりますね」
「なりますね」
私は二枚の暦をそのままにした。
なりますね、と口では言った。ただ、頭の中では別のものが動いていた。
婚儀を動かすのは簡単だ。簡単だから、まず疑うべきだった。
「リゼット」
「はい」
「議事日程表は、いつ、お決まりになりますか」
「今期の分は、先月の末に、書記局で組まれたはずでございます」
「先月の末」
「はい」
「当家が、貴族院に届けを出す予定の日は、いつでしたか」
「三ヶ月先の、婚儀の日から逆算して、一週間前でございます」
「届けの内容は」
「当家の家督代行が、ヴァルナー辺境伯家へ嫁す、というお届けでございます」
私は指を暦の上で止めた。
届けを出すのは一週間前。届けが出れば、三日で貴族院の全員が知る。知った四日後が婚儀の日で——名簿改定の採決日だった。
「リゼット」
「はい」
「先月の末に、当家の婚儀の日を、ご存じだった方は」
「当家の中では、ご当主様と、お嬢様と、私。ヴァルナー家では、カイ様と、ヴェルナー殿と、セレスト様」
「貴族院の書記局は」
「存じ上げないはずでございます」
「では、偶然でございますね」
「偶然、でございます」
リゼットがそう言った。言い方がいつもの言い方より、半段だけ平らだった。
この人は平らに言う時に、平らでないことを言う。
「リゼット」
「はい」
「あなたは、偶然と、お思いですか」
「私が思うかどうかは、お嬢様のご判断には、入れないでくださいませ」
「入れます」
「では——申し上げます。書記局の日程は、先月の末に組まれます。ただし、日程表が四十七家に配られますのは、本日でございます」
「先月末に組んで、今日、配る」
「はい。その間、およそ二十日ございます」
「二十日あれば」
「日程を、後から動かすことは、できます。書記局の中の一行を、書き換えるだけでございますので」
窓の外で庭師の鋏の音が二度鳴った。
私は暦を一枚、裏返した。
誰かが当家の婚儀の日を知って、採決日をそこへ寄せた。そう考えるには、まだ、材料がない。ただ、寄せた側に何の得があるかは、材料がなくても、考えられる。
採決日に、私が居ない。
制度案の中身を、いちばん説明できる者が、その日、議場にも傍聴席にもいない。父は出られる。ただし父は「手を出さない」と決めている。制度案について議席で話さない、と自分で言った。
当家の側に、その日、説明できる者が一人もいなくなる。
私は筆を取った。
「リゼット」
「はい」
「婚儀の日取りを、動かします」
「ご当主様と、ヴァルナー家へ、お伺いを立てますか」
「立てます。ただし——動かす先を、二つ、お出しいたします」
「二つ、でございますか」
「一つは、採決日の一週間後。もう一つは、採決日の前日」
リゼットが少しだけ目を細めた。
「前日、でございますか」
「はい」
「婚儀の翌日に、議場へお出ましになる、ということでございますね」
「なります」
「作法としては、いかがなものかと存じます」
「作法としては、いかがなものかと、私も思います」
私は二つの日付を紙に書いた。
一週間後に動かせば、何も起きない。婚儀は婚儀、採決は採決で、順番に片付く。作法としても、こちらが正しい。
ただ、一週間後に動かすと——動かしたことが外から見える。
当家が採決日を避けて婚儀をずらした形になる。ずらしたのなら、重なっていた。重なっていたことに、当家が気づいた。
寄せた者がいるなら、その者は当家が気づいたことを知る。知れば、次の一手を、別の場所に置き直す。
「リゼット」
「はい」
「前日に動かしますと、婚儀は動いた形になりますか」
「一日だけ、でございますね。……いいえ。一日でしたら、書式の都合、日和の都合、いくらでも理由が付きます」
「気づいて動かした、とは、見えませんね」
「見えません」
「では、前日で」
「かしこまりました。ご当主様には」
「私から、お話しいたします。ヴァルナー家には、私が、お手紙を」
夕方、父の書斎に上がった。二枚の暦と、議事日程表を机に並べた。
父はしばらく三枚とも見ていた。それから、書類の角を揃えた。
「重なったか」
「重なりました」
「偶然か」
「わかりません」
「お前は、どう動かす」
「前日へ、一日だけ」
父が私の顔を見た。
「一週間後ではなく」
「一週間後に動かしますと、当家が気づいたことが、外へ出ます」
「出るな」
「出ます。ですから、一日だけにいたします」
「婚儀の翌日に、議場か」
「議場ではございません。傍聴席でございます」
父が少しだけ口元を動かした。
「そうだったな。お前は、まだ、傍聴席だ」
「はい」
「アリシア」
「なんだ、と伺ってよろしいですか」
「その日、私は議席に出る。ただし、名簿改定については、何も言わない」
「存じております」
「お前が、傍聴席から、何も言えないことも、知っているな」
「存じております」
「では、その日までに、何を済ませておく」
私は暦を一枚、父の方へ滑らせた。
「採決の日に、私が何かを言わなくても、通る形にしておきます」
「言わなくても、通る」
「はい。その日に説明が要る案は、その日に落ちます。落ちない案は、その日より前に、全部の説明が済んでおります」
父が書類の角をもう一度揃えた。
「祖父も、そう言っていた」
「祖父もですか」
「議場で説明する者は、議場に来る前に負けている、と」
「祖父の代の書面から、同じことを、教わりました」
「進めなさい」
「進めます」
書斎に戻って、白い紙を三枚目まで出した。
一枚目、反対なさる方のお名前。二枚目、助かる方のお名前。三枚目のいちばん上にこう書いた。
「採決日までに、説明を済ませておく順番」
三ヶ月のうちの九日目。婚儀の日が、一日だけ、前へ動いた。
動いたことに、たぶん誰も気づかない。
三ヶ月先の同じ日に、婚儀と採決が並びました。一週間ずらせば片付きますが、ずらしたことが外から見えます。
一日だけ前へ。日和の都合、ということにいたします。
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