第六十四話 「記録院の、数え方」
翌々日の午前、王宮の記録院に上がった。
記録院は王宮の西棟の三階から上を全部使っている。階段を上がるほど、紙の匂いが濃くなる。三階がこの十年の書面。四階がその前の二十年。五階から上は、それより古い。
四階の廊下でルーカス・ハルトが待っていた。
「ローゼンベルク様」
「記録官長様」
「その呼び方は、まだ、慣れません」
「半年、お経ちですね」
「半年で、慣れる役では、ないようでございます」
ルーカスが四階の一室の扉を開けた。
中は、机が一つと、書棚が、四方に。机の上に、帳面が、三冊。三冊とも同じ厚さだった。
「お待ちしておりました。お申し越しの数え物、お作りしております」
「お早いお仕事ですね」
「お便りをいただいたのが、一昨日の夕でございます。昨日、丸一日、数えました」
「お一人で」
「書記が二人、手伝ってくれました。セレスト様が、その二人に、お茶を、お運びくださいました」
「セレスト様が、記録院に」
「昼から、夕まで。ご自分の家の書面のお写しを、取りにいらして、そのまま」
私は椅子に座った。
窓の外に王宮の中庭の木の上の方だけが見える。四階からは、庭の地面は見えない。
「では、伺います」
「はい」
「過去二年で、貴族院に出た書面のうち、家督ご本人の署名でないもの。何通ございましたか」
ルーカスが一冊目の帳面を開いた。
「四百十二通でございます」
私は数を、頭の中に置いた。
「全体は」
「千八十六通」
「四割近い」
「三十七分でございます」
私はもう一度、数を置き直した。
四割ではない。四割近い、でもない。三十七分。
この数え方は記録官の数え方だ。近い、では書面にならない。
「四百十二通の、署名は、どなたのお名前で」
「家督代理が、百九十八通。後見が、七十四通。代訴人が、五十一通」
「合わせて、三百二十三」
「はい」
「残りは、八十九通」
「八十九通でございます」
「その八十九は、どなたの署名で」
ルーカスが二冊目の帳面を開いた。
「五十一通が、ご当主様ご本人の署名で、ございます。ただし——」
「ただし」
「ご当主様が、その日、王都におられなかったお家のものが、五十一通のうち、三十四通」
私は指を、机の上で止めた。
「王都におられない当主の署名が、王都の議事に、出ている」
「出ております」
「どうやって」
「お家の中の、どなたかが、お書きになったのだと思われます。誰が、とは、記録には、ございません」
「記録に無いものを、記録官長は、どうお扱いになりますか」
「受け取っております」
「受け取る」
「差し戻す規則が、ございません。差し戻せば、そのお家の議事が、止まります。止めたことの責めは、記録院に参ります」
私はゆっくり、息を吸った。
「残りの三十八通は」
「お名前の欄に、役の名が、書かれておりません。お名前だけでございます」
「役の無い署名」
「役の無い署名でございます。ローゼンベルク家の書面も、この中に」
「何通」
「二十九通」
三十八のうち、二十九が当家だった。
私が作って、父が署名した書面だ。父は当主で、家督で王都にいた。だから、署名は、正しい。
正しいのに、役の欄は埋まっていない。埋める役の名が、名簿に、無いからだ。
「記録官長様」
「はい」
「三十八通のうち、当家以外の、九通は」
「四家でございます。北の、小さなお家が三つと、南のお家が一つ」
「そのお家では、どなたが、書面を」
「ご当主様のご息女、ご当主様のご次男、ご当主様のご従兄弟。もう一家は、家令でございます」
「みなさま、名簿に無い」
「名簿に、無いお立場でございます」
私は帳面を見た。
当家だけの話ではなかった。
名簿に無い役は当家の書斎で父が付けた呼び名だと、父は言った。当家だけの内側の呼び名だと。
実際には、王国のあちこちの書斎で同じことが起きていた。呼び名が、無いまま。
起きているのに、名前が無いものは、記録に、残らない。記録に残らないものは、規則に、ならない。規則にならないものは——いつでも、誰かの都合で無かったことにできる。
「記録官長様」
「はい」
「この数え物を、書面にしていただけますか」
「議事にお出しになりますか」
「まだ、出しません。出す前に、お一人ずつ、お見せに参ります」
「どなたに」
「まず、反対なさる方に」
ルーカスが帳面から、目を上げた。
「反対なさる方に、先に」
「はい」
「お差し支えなければ、お理由を、伺ってもよろしいですか」
「反対なさる方が、いちばん、この数を、ご存じないからでございます」
「ご存じない」
「ご存じないまま、家というものはそういうものではない、とおっしゃいます。おっしゃった後に、この数をお見せしても、遅うございます。おっしゃる前に、お見せいたします」
ルーカスがしばらく帳面の上に指を置いていた。
「ローゼンベルク様」
「はい」
「私の役は、半年前に、できたばかりでございます」
「初代記録官長でいらっしゃいます」
「私の前に、この役は、ございませんでした。私が最初で、私の後に、続くかどうかは、まだ、わかりません」
「お続きになります」
「お見立てを、伺ってもよろしいですか」
「役が続くかどうかは、その役が居ないと困る人が、何人いるかで、決まります。記録官長がいなくなって困る方は、いま、四百十二通ぶん、いらっしゃいます」
ルーカスがわずかに口元を動かした。
「では、私も、数え物を、続けます」
「お願いいたします」
「もう一つ、お伝えしてよろしいですか」
「どうぞ」
「四百十二通を数えます折に、お家ごとに、束ねました。束ねますと、どのお家が、いちばん、名簿に無い役に、助けられているかが、見えます」
「見えますね」
「いちばん多いお家は、ローゼンベルク家では、ございません」
私は顔を上げた。
「どちらでしょう」
「マレンドルフ侯爵家でございます」
窓の外の木が、風で、一度大きく、傾いだ。
「処分を、お受けになった、四家の」
「はい。過去二年で、六十三通。ご当主様は、ご高齢で、王都にほとんどお出ましになりません。書面は、家令補佐の方が、お作りでいらっしゃいました」
「その家令補佐は」
「先の議事で、書面の証拠に、お名前が出ておりました」
私は帳面の上に指を置いた。
置いてから、少しの間、動かさなかった。
名簿に無い役がいちばん深く根を張っていたのは私が潰した家だった。
潰した時、私はその家の家令補佐を書面の証拠の中の名前として、見ていた。役の名では見ていなかった。
見ていなかったものがいま数の中から、出てきた。
「記録官長様」
「はい」
「六十三通の、お写しを、いただけますか」
「お出しできます。ただし、処分を受けたお家の書面でございます。お使いになる場面を、お誤りになりますと——」
「わかっております」
「差し出がましいことを、申し上げました」
「差し出がましくございません。記録官長のお役目でございます」
記録院を出た。
階段を降りた。三階、二階、一階。降りるにつれて、紙の匂いが薄くなっていった。
馬車の中で、白い紙を、膝の上に置いた。
左の欄、利害。右の欄、作法。
右の欄に、名前を書き始めた。
三つ、書いた。四つ目を書こうとして、筆を止めた。
左の欄に、一つ、書き足すことがあった。
マレンドルフ侯爵家。
処分を受けて、議席は三年、止まっている。三年後に戻ってくる。
戻ってきた時、その家は名簿に無い役で書面を作り続ける。六つ目の役ができていれば、その家は役の名で書くことになる。役の名で書けば、誰が書いたかが記録に残る。
残れば、次に同じことが起きた時、私は探さなくてよい。
六つ目の役は私を助ける役であると同時に——私が潰した相手を、次にもっと早く見つけるための役でもあった。
どちらの言い方でも、条文は同じ一行になる。
馬車が屋敷の門に入った。
三ヶ月のうちの五日目だった。
名簿に無い役で書かれた書面は、二年で四百十二通。当家だけのお話では、ございませんでした。
いちばん深くその役に頼っていたお家は、私が潰したお家でございました。数え物は、思わぬ方から、返ってまいります。
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