第六十三話 「名簿に、無い役」
昼前に、王宮からお使いが来た。
封は宮廷の書式のものだった。レオン殿下の私信ではない。
書斎で、父と二人で開けた。
中身は三行だった。十日後、王宮にて、陛下がローゼンベルク家の家督代行にお言葉を賜る。家督のご同席を求める。以上。
「来たな」
「参りました」
「レオン殿下のお手紙から、どれほどになる」
「ヴァルナー領へ発ちます前の夕でございました。あれから、弁明日が、二度」
「弁明日が二度あれば、宮廷の予定は、二度、後ろへ動く」
「動きました」
「動いたが、消えてはいなかった」
「消えておりませんでした」
父が机の上の書類を二つの束に分けた。
左の束は、厚い。右の束は三枚だけだった。
「右を、読みなさい」
三枚を手に取った。
一枚目は、貴族院の役職名簿の写しだった。当主。家督。家督代理。後見。代訴人。五つの役が並んでいる。
二枚目に、その五つの役のそれぞれの権限。
三枚目は白紙だった。
「三枚目は」
「白紙だ」
「なぜ、お加えに」
「お前の役が、そこにある」
私は三枚目を机の上に置いた。
「家督代行、という役は、名簿に、ございませんね」
「無い」
「一枚目に、家督代理、はございます」
「別のものだ。家督代理は、家督が病か不在の時に、家督の代わりに書面へ署名する役だ。期限がある。三ヶ月を超えれば、貴族院に、事由の届けが要る」
「私は、三ヶ月を、とうに、超えております」
「超えている」
「届けは」
「出していない」
私は一枚目をもう一度、見た。
当主。家督。家督代理。後見。代訴人。
どこにも、私はいない。
「父上」
「なんだ」
「では、私の役は、どこから、参りましたか」
「当家の書斎からだ」
「書斎」
「私が、そう呼んだ。お前が動きやすいように、名前を、付けた。当家の中の呼び名だ。貴族院に、そういう役は、無い」
「当家の内側の、お取り決め」
「そうだ」
私が貴族院に出した書面は、全部、父の名前で出ている。私が作り、父が署名した。議事の場に立ったのも、父だ。私は傍聴席にいた。
私の名前は、どこにも出ていない。
出ていないことを私は便利だと思っていた。名前が出ないから相手が、私を狙う先を決めかねる。オーステン侯爵が、廊下で待つしかなかったのはそのせいだ。
便利だった。
便利なものは、たいてい期限が来る。
「父上。十日後、陛下は、なんと、仰せになりますか」
「レオン殿下のお手紙の通りなら、宮廷の正式な役回りとして、再定義する、という話だ」
「宮廷の、役回り」
「宮廷府の職制に、一つ、加える。陛下のお声がかりだ。三月もあれば、書式まで、整うだろう」
「お早いお話でございますね」
「陛下は、お前を、信頼しておられる」
私は三枚目の白紙を指で押さえた。
押さえたまま、しばらく考えた。
宮廷府の職制。陛下のお声がかり。
いい話だ。いい話であることは間違いがない。
ただ——
「父上」
「なんだ」
「宮廷の役回りは、どなたの代のものになりますか」
父が書類の角を揃える手を止めた。
「陛下の代のものだ」
「陛下が代替わりなさいましたら」
「次の陛下が、職制を、お見直しになる」
「見直して、要らないと、お決めになりましたら」
「消える」
窓の外で、庭師の鋏の音が一度鳴った。
「アリシア」
「はい」
「陛下のお声がかりを、断る気か」
「断りません」
「では」
「お受けいたします。ただし——お受けするだけでは、足りません」
私は一枚目の名簿の写しを二枚目の上に重ねた。
「宮廷の職制は、宮廷がお決めになります。貴族院の名簿は、貴族院が決めます。二つは、別の紙でございます」
「別だ」
「陛下が下さるのは、宮廷の紙の方でございます」
「そうだ」
「私が欲しいのは、貴族院の名簿の、六つ目でございます」
父が私の顔を見た。
見て、それから椅子の背にわずかに体を預けた。
「宮廷の職制なら、陛下のお言葉一つで、三月で通る。貴族院の名簿は、議事だ。四十七家の、書面と、票が要る」
「存じております」
「三月では、通らない」
「三ヶ月ございます」
「三ヶ月しか、無い」
「三ヶ月あれば、届けを出す日には、もう、済んでおります」
「何が済む」
「家督代行を、私一人のお話でなくしておくことが、でございます」
父がしばらく黙っていた。
それから左の厚い束の、いちばん上をめくった。
「アリシア。一つ、言っておく」
「はい」
「私は、手を出さない」
私は父の顔を見た。
「お手を、お出しにならない」
「一切だ。書面も作らない。議席でも、この件は、話さない」
「ご理由を、伺ってもよろしいですか」
「家督が作った役は、家督の都合で作った役だ」
父が一度、言葉を置いた。
「その役は、家督が代わった時に、消える。次の家督が、都合が悪いと思えば、それで終わりだ。制度ではない。当家の内側の呼び名が、貴族院の紙に、移っただけになる」
「陛下がお作りになる場合も、同じでございますね」
「同じだ。王家の都合で作った役になる。お前がいま、気づいた通りだ」
「では、誰が作れば、消えませんか」
「その役に、いま、座っている者だ」
「私が」
「お前が、自分で作る。自分で作った役は、作った者が居なくなっても、残る。作り方が、紙に、残るからだ」
私は白紙を机に置いた。
置いてから父の言葉をもう一度、頭の中で並べ直した。
家督が作れば、家のもの。陛下が作れば、王家のもの。私が作れば、制度になる。
その差は、紙の上では、署名の一行の違いでしかない。署名の一行の違いが、十年後に、残るか、消えるかを決める。
祖父が、二十年前の秋に、紙を一枚で使わなかった理由と、たぶん同じ場所の話だった。
「父上」
「なんだ」
「十日後、陛下のお言葉は、ありがたく、お受けいたします」
「受けるのか」
「お受けいたします。宮廷の職制は、宮廷の職制として、三月で、整えていただきます」
「その上で、貴族院の名簿を、狙うと」
「二つの紙が、両方あることに、意味がございます」
「どういう意味だ」
「宮廷の職制に、その役が既にある、というのは、貴族院の議事では、たいへん、都合のよい前例でございます」
父がわずかに口元を動かした。
「陛下の紙を、貴族院の議事の、踏み台にするのか」
「踏み台では、ございません。一枚目の書面でございます」
「一枚では、使わない」
「祖父のお言葉でございます」
「結構だ」
父が書類の角を揃えた。
「アリシア」
「はい」
「お手は出さない。ただし、一つだけ、聞いておく。反対する者が、私のところへ回ってきたら、なんと答えればいい」
「お回りになりますでしょうか」
「回ってくる。お前では話が通らないと思う者が、必ず、いる」
「その時は、当家の書面のことは、当家の書斎に聞いてくれ、と仰ってくださいませ」
「書斎」
「私が座っている場所でございます」
「それは、手を出したことにならないな」
「なりません。お回しになっただけでございます」
「結構だ」
夕方、書斎に一人で残った。
朝に置いた白い紙を机の中央に戻した。
いちばん上に、今日の日付。その下に、「反対なさる方の、お名前」。
まだ、一つも書いていない。
書く前に、決めておくことがあった。
反対する人を数える時に、私は、たいてい、二つに分けてきた。利害で反対する人と、作法で反対する人。
利害の人は、条文で、片が付く。その人の取り分が、増える形に、書き直せばよい。
作法の人は、条文では動かない。家というものはそういうものではない、と言う人に、条文を見せても、それは条文のお話ですね、と返ってくるだけだ。
これまで私が勝ってきたのは、ほとんど利害の人だった。
オーステン侯爵は利害の人だった。マレンドルフも、そうだった。書面の証拠で、取り分を消せば、黙る。
今度は、違う。
名簿に六つ目の役を足す、という話に、取り分で反対する人はそう多くない。多いのは作法の人だ。
家督は、家督が務めるもの。当主は、当主が務めるもの。六つ目など、要らない。
その人たちは、私が何を書いても、書いたこと自体を見ない。
私は紙の左側に、線を一本引いた。
左に、利害。右に、作法。
右の欄の方がたぶん長くなる。
長くなる欄から先に始める。
筆を置いた。
置いてから、もう一枚白紙を出した。
二枚目の紙の、いちばん上にこう書いた。
「六つ目の役が、あって、助かる方のお名前」
反対する人を数えるのと、同じ日に、始めておく。
三ヶ月は長くない。反対を潰し切るには、短い。
潰し切らなくてよい、という道が、一つだけ、ある。反対の数より、助かる人の数を多くしておく道だ。
その道は、祖父の代にも、父の代にも、無かった道だ。
無かった道は、三ヶ月では通らない。
通らないなら、通る分だけ、先に、敷いておく。
二枚目の紙の最初の一行に、名前を一つ、書いた。
ルーカス・ハルト。王宮の初代記録官長。
書面をいちばん多く扱う人がいちばん先に助かる。
陛下が下さるのは、宮廷の紙。私が欲しいのは、貴族院の名簿の六つ目。二つは、別の紙でございます。
白い紙が、二枚になりました。反対なさる方のお名前と、助かる方のお名前を、同じ日に、数え始めます。
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