↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
婚約破棄してくれて、ありがとう。準備は三ヶ月前から整っていました  作者: 銀月ソフィ


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
61/75

第六十一話 閑話 「扇立ての、十一日」

 扇立ては、お嬢様の私室の窓際にある。


 二十年、私が磨いてきた。


 朝、お嬢様がお出になった後で、絹を一枚、要の骨に沿わせる。埃は、閉じた扇の内側に溜まる。外からは見えない。見えないところに溜まるものを落とすのが、私の仕事だった。


 磨き終えたら、扇立てに戻す。


 夕方にお嬢様がお戻りになると、扇は扇立てから、お嬢様の手へ移る。翌朝、また扇立てへ戻る。


 二十年、そうだった。


 一日目に、扇が戻らなかった。


 お嬢様が、お持ちにならずにお出になった。


 私は扇立てを見て、それから絹を畳んだ。磨くものが無い朝は、二十年で初めてだった。


 二日目も、戻らなかった。


 三日目に、私は数え始めた。


 記録は、私の仕事でございます。お嬢様がそうお決めになったわけではない。ただ二十年のあいだに、そうなった。何日、どなたがいらして、どの癖がお出になったか。帳面には書かない。書かないものを覚えておくのが、記録役でございます。


 四日目。辺境伯が、お見えになった。


 お嬢様は応接室で、前を向いてお話しになった。手は膝の上にあった。


 扇があれば、口元に上がっていた手でございます。


 五日目。辺境伯が、お見えになった。


 六日目。お見えにならなかった。お嬢様は書斎で書面を三度、同じところをお読みになった。


 七日目。お見えになった。


 お嬢様は扇立ての前で、一度、足をお止めになった。手が、少し動いた。


 伸びかけて、やめた。


 私は、見ていない顔をした。


 八日目、九日目、十日目。


 辺境伯は、上着の色を変えてお見えになる。同じ色を、続けてお召しにならない。あの方も、何かを数えていらっしゃる。私はそう思った。


 十一日目の朝、王宮から書状が届いた。


 お嬢様が封をお開けになった。お読みになる速さが、いつもより少しゆっくりだった。


 私は新しいお茶をお持ちした。


「お嬢様。お読みになりましたか」


「はい」


「いかがでしたか」


「……静かですね」


「さようでございますか」


 静か、とお嬢様はおっしゃった。


 二十年で、私はお嬢様の「静か」を三種類、存じております。何も無いときの静か。抑えていらっしゃるときの静か。それから——終わったときの静か。


 今朝のは、三つ目でございました。


 ならば、今日でございます。


 私は廊下の方を見た。


「辺境伯が、今日もいらっしゃいます。昨日は、招集状のお話でお時間が取られましたので」


 お嬢様が、私をご覧になった。


「あなたは今、何を言いたいのですか」


「別のことが、まだ残っております」


 お嬢様の手元に、扇は無い。


 十一日目でございます。


 私はその手元を、見ないことにした。二十年、見ないことにしてきた種類のものでございます。


「招集状の返事は、出しましたわ。王宮の件も、カイと整理しました。他にすることは——」


「ございません」


 声が、思ったよりはっきり出た。


「今日は、他にすることは、ございません」


 お嬢様は、何もおっしゃらなかった。


 差し出がましいことでございました。


 二十年で、初めてでございます。お嬢様のご予定に、私が何かを足したことも、引いたことも、これまで一度もございません。私は記録役でございます。記録役は、記録するだけでございます。


 それでも今日は、引いた。


 昼前に、辺境伯がお見えになった。


 上着は、昨日と違う色だった。


 私はお茶をお持ちして、置いて、下がった。


 下がって——廊下で、止まった。


 足が動かなかった。


 これは、いけないことでございます。使用人が、主のお話を扉の外で聞く。二十年、したことがない。


 私はそのまま立っていた。


「別のことを、話してもよいですか」


 辺境伯の声だった。


「……どうぞ」


 お嬢様の声は、低かった。


 それからしばらく、声が続いた。十年前の話でございました。庭の話。帰ることになった理由の話。


 私は扉の木目を見ていた。


「好きでした」


 辺境伯が、そうおっしゃった。


「十年前も。今も」


 私は、木目を見ていた。


 十年前、あの方が塀の外に立っていらしたのを、私は存じております。半刻、お立ちだった。門を叩かずに、お帰りになった。


 私はそのことを、五年、申し上げなかった。


 申し上げる日ではなかったからでございます。


 記録役は記録を、いつ出すかを選びます。それだけが、記録役に許された、たった一つの差し出がましさでございます。


 扉の向こうで、お嬢様が何かをお尋ねになった。声が小さくて、聞き取れなかった。


「扇なしで十一日、生きていけたので」


 それは、聞こえた。


 十一日。


 あの方も、数えていらした。


 私は扉から離れた。


 足音を、殺さなかった。


 二十年、私は足音を殺して歩いてまいりました。それが侍女の歩き方でございます。


 今日は、殺さなかった。


 聞こえるように、歩いた。


 ——聞いておりました、と申し上げる代わりに。


 夕方に、辺境伯がお帰りになった。


 玄関先で、白い薔薇のお話をなさっていた。次は何がいいか、と。お嬢様は、また白でいい、とおっしゃった。


 馬車が出て、お嬢様が屋敷にお戻りになった。


 お顔が、赤かった。


「お嬢様。お顔が——」


「言わなくていいです」


「かしこまりました」


 私は、笑ってしまった。


 いけないことでございます。侍女が、主の前で顔に出す。


 お嬢様は、見なかった顔をなさった。


 二十年で初めて、お嬢様が私に、見ないふりをしてくださった。


 夜、私室に上がって、扇立てを見た。


 扇は、そこにある。十一日、そこにある。


 絹を出して、手に持った。


 閉じた扇の内側に、埃は溜まっている。見えないところに溜まるものを落とすのが、私の仕事でございます。二十年、そうしてまいりました。


 磨けば、明日も扇立てに戻る。


 磨かなければ——それは、私が決めることではございません。


 私は絹を畳んだ。


 扇は、扇立てにある。


 明日、磨くかどうかは——まだ、決めておりません。


 二十年、扇を磨いてまいりました。

 次にお持ちになるかどうかは、お嬢様がお決めになることでございます。


 お気に召しましたら、ブックマークと評価をいただけると励みになります。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。