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婚約破棄してくれて、ありがとう。準備は三ヶ月前から整っていました  作者: 銀月ソフィ


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第五十九話 「お気持ち、最後の」

 十日後の朝、貴族院の傍聴席に、また、入った。


 席は、前回と、ほぼ同じ位置。

 後方の私と、リゼット。

 中ほどの、エヴァ。

 別の中ほどの、レオン殿下。

 前方の辺境伯席に、今日は、カイがいた。

 昨夜、ヴァルナー領から、お戻りに、なっていた。


 オーステン侯爵が、議席に、座っていた。

 マレンドルフたち四家の弁明日の時より、もう一段、整った身なりだった。

 整った身なりは——内側で抑えているものが、もう一段、多い、ということだった。


 議事が、始まった。


 議長が、本日の議題を、読み上げた。

 ローゼンベルク家からの追加書面、オーステン侯爵家への、商業改革遅延を目的とした、不当な対外接触の告発。

 書面の証拠の項目を、議長が、淡々と、読み上げていった。


 一つ。旧オーステン領の管理人が、コーデル方面のクルト・フォン・ベルクの使いの者と、過去半年、八度、面会した記録。

 二つ。マレンドルフ家令補佐が、オーステン侯爵側近の者と、王都の特定の宿で、計十一度、会合した記録。

 三つ。当家家令補佐ザンダーから、書面化された証言。

 四つ。ベルガーから、書面化された証言。

 五つ。北山中の墓所から、当家先代家督が、二十年前に残した文書の控え。

 六つ。コーデル安定派、シュタイン子爵閣下からの、書面のご証言。


 議席が、わずかに、ざわめいた。

 六つ目の、コーデル側からの書面、というのが、議席の貴族の作法に、めったにない種類の書面だった。

 国境を越えた書面の証言が、貴族院の議事に、正式に出る——というのは、近年に、例のない手順だった。


 ただし、議長は、淡々と、続けた。


「以上、合計六つの書面の証拠は、議事録に綴じられております。書面反論の期日は、本日午前まで。提出は、ございましたか」


 書記が、応えた。


「ございません」


 議席が、もう一段、ざわめいた。


「ローゼンベルク家のご当主、お言葉をお願いいたします」


 父が、議席の前方に、立った。

 書類の角を、揃えてから、わずかに、礼をして、立ち上がった。

 いつもの父の動きだった。


「ローゼンベルク家のエドワードでございます」


 父の声は、書斎で聞く声より、半段、低かった。

 書斎での父と、議席に立つ家督の父は、声の出し方が、少し、違った。


「本日のご告発は、当家の家督代行が、過去半年、おまとめいたしました書面に、基づきます。書面の項目は議事録の通り。お言葉として、お加えするべきことは、ほぼ、ございません。ただし、お一つだけ——」


 父が、議席を、見渡した。


「オーステン侯爵が、合議制対案の精査の折に、最終的に書面でお認めくださいました『借財懐柔』のお話は、本件とは、別件でございます。本件のご告発は、商業改革遅延を目的とした、対外接触の事実に、ございます。本件の書面の重さは、借財懐柔の事実とは、別の重さでございます」


 議席の何人かが、頷いた。

 別件、と父が明確に言った。

 別件、と明確に言うことで——侯爵に、二度の異なる経緯で、政治の力が削られる、という事実を、傍聴席の貴族たちが、書面の中で、確認した。


 舞踏会の夜の処分が、第一の重し。

 今日の処分が、第二の重し。

 二つ重ねて、初めて、オーステン侯爵の議席は、空に、なる。


 オーステン侯爵が、立ち上がった。

 発言を、求めた。


「侯爵」


 議長が、応えた。


「書面反論はございませんが、お言葉として、議事録に、お残しになりたいお話が、おありですか」


「あります」


「お聞かせください」


 オーステン侯爵が、議席を、見渡した。

 その目は、傍聴席の、後ろの私の方を、二度、見た。

 二度、見て、視線を、議長の方に、戻した。


「本日のご告発の、書面の中身につきましては、私の方から、お足しできることは、何一つ、ございません。書面の通りでございます。否認も、肯定も、お言葉として、申し上げません」


「ただし——」


 オーステンが、一拍、置いた。


「合議制対案の精査の折に、私が、書面でお認め申し上げました『借財懐柔』のお話と、本日のご告発との、二度の処分の重ねによって、私の家督継承は、私一代で、お止めになる、と理解いたします。次代に、お渡しできる議席は、もう、ございません」


「お続けくださいませ」


「お続け、というよりは——お結び、でございます」


 オーステンが、わずかに、目を細めた。


「私の代で、お結びにいたします。次代の者に、政治のお仕事は、お引き継がせません。家業のお続けについては、別途、整えます」


「家督継承の停止のご決定は、貴族院がいたします。侯爵のお言葉は、議事録に、お残しいたします」


「結構です」


 オーステンが座った。

 座り方は、舞踏会の夜の王太子の座り直しとは、違った。

 ご自分の力で、ご自分のご決断を、議席の前で、書面に、変えた座り方だった。


 書面の沈黙で、勝つ、という祖父のお手筋に、もう一段、お続けの形がある——と、私は、傍聴席で、見ていた。

 書面で反論できない側が、ご自分の言葉で、ご自分の処分を、書面の通りに、お受け入れになる。

 お受け入れになる時の、その人の、お顔の作法。

 オーステンには、その作法が、まだ、残っていた。


 議長が、裁定を、下した。


 オーステン侯爵家、家督継承の停止、商業評議会員資格の剥奪、貴族院議席の終身停止。

 爵位は、残る。

 ただし、次代への、政治の力は、消える。


 議事が、閉じた。


 傍聴席を、出た。


 廊下に、オーステン侯爵が、立っていた。

 以前と、同じ廊下の、同じ位置だった。


「ローゼンベルク嬢」


「侯爵様」


「お早うございました」


「ご早朝の作法でございますか」


「議事のお早うございますの方です」


「ありがとうございます」


「お言葉、というのは——」


 オーステンが、目を、わずかに、伏せた。


「便利な言葉、というのは、もう、本日で、お終いでございます」


「『お気持ち』というお言葉は」


「本日で、お結びにいたします。私の口の中の、別の引き出しから、お一つ、お出しになるよう、先日、お嬢様にお言いつけいただきました」


「お出しになりましたか」


「議席で、お一つ。『お結び』と」


「結構なお言葉でございました」


「結構、と仰っていただけますか」


「結構です」


 オーステンが、わずかに、礼をした。

 礼が、いつもより、ずっと、深かった。


「ローゼンベルク嬢」


「はい」


「私の家業のお続けに、もし、お差し障りがございましたら——お知らせください。私の代で、お結びにいたしますお仕事のお話と、家業のお続けのお話は、別でございます。商業のお仕事は、家督継承とは別の手筋で、お続けの作法が、ございます」


「お続けの作法、というのは」


「私のご親類が、商業のお仕事を、お続けでございます。私の家督の力ではなく、ご親類のお力で、お続けに、なります」


「結構なお話でございます」


「お差し障りがございましたら、ですが」


「ご差し障りは、ございません。商業のお続けについて、当家からの追及は、本日で、お結びでございます」


「ありがとうございます」


「侯爵様」


「はい」


「『お気持ち』というお言葉、お聞かせいただきまして、ありがとうございました」


「私の口の中の、引き出しの一つを、お預けすることに、なります」


「お預け、いただきます」


「ローゼンベルク嬢」


「はい」


「お祖父様も、こうやって、お引き出しをお預けに、なっておられましたか」


「お聞きしておりません。ただし、お受け取りに、なっておられたと、思います」


「結構です」


 オーステン侯爵が、もう一度、礼をした。

 礼の深さが、廊下で、止まった。

 止まって——侯爵は、廊下の向こうへ、歩き出した。

 以前と、同じ西の方向ではなかった。

 今日は、東の方角——貴族院の出口の方向だった。


 西側の控え室には、もう、お戻りに、ならないのだ、と私は思った。


 屋敷に戻って、応接室で、父と、二人になった。


「終わったな」


「終わりました」


「オーステンが、自分から、お結び、と言うとは、思っていなかった」


「私も、想定の中には、ありませんでした」


「想定の外で、相手が、自分の処分を、引き取った」


「祖父のお手筋の、外側です」


「祖父も、こういう外側を、見ていたか」


「ご覧になっていた、と思います」


「お前の代では、その外側が、もう一段、広がるかもしれない」


「広がりましたら、お知らせいたします」


「結構だ」


 父が、書類の角を、揃えた。


「アリシア」


「はい」


「明日から、お休みなさい」


「お休み、ですか」


「七日のうちの後も、弁明日二回の準備で、お休みなく、動いていただろう」


「父上も」


「私は家督だ。お休みの作法は、別だ」


「父上の作法も、私の作法と、似ております」


「お前の方が、似てきた、というのが、正確だな」


「ありがとうございます」


 夕方、玄関に、馬の蹄の音。

 カイが、ヴァルナー領から、お戻りに、なっていた。

 昨夜のお到着の後、本日の議事に、辺境伯席にお出ましだった。

 いまは、お辞めのご挨拶のため、屋敷に、お寄りくださった。


 応接室で、お茶を、二人で、向かい合った。


「アリシア」


「はい」


「お疲れさまでした」


「カイも」


「明後日から、ヴァルナー領にお越し、というご予定で、お変わりございませんか」


「変わりません」


「ご準備は」


「リゼットが整えております。三日間のご予定」


「お宿は——」


 カイが、わずかに、口元を、動かした。


「先代の、お一人になる場所、を、お整えいたしました」


「セレスト様から、伺っております」


「明後日、お見せします」


「順番に、ですね」


「順番に、お見せいたします」


「最後の場所は、最後で」


「最後の場所は、最後でございます」


 応接室の、お茶の湯気が、私の頬の方向から、わずかに、逸れた。

 リゼットが、いつもの作法を、いまも、続けていた。


 頬は、隠さなかった。

 頬を、隠す必要のない応接室の中に、いま、二人で、いた。


 想定の外で、侯爵様が、ご自分の処分を、ご自分のお言葉で、お引き取りになりました。祖父のお手筋の、外側でございます。

 明後日、ヴァルナー領へ。見せていない場所を、順番に。最後の場所は、最後で。


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