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婚約破棄してくれて、ありがとう。準備は三ヶ月前から整っていました  作者: 銀月ソフィ


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第四十三話 「使者を、こちらから出す」

 リゼットが宿に入ったのは、翌日の昼前だった。


 給仕の補助は、配膳と片付けを手伝う仕事だ。

 午前から夕方まで、ひと続きの時間で動く。

 その間、客の食卓に三度は近寄ることになる。


 外で、カイが待機していた。

 ルーカスは別の角度から、宿の出入りを記録していた。


 屋敷にいた私は——書斎で、書状を書いていた。


 ファルクへの返信。

 シュタイン子爵への、最初の手紙。


 手紙は、ファルクを経由する形にした。

 直接の宛先には、子爵の名を入れた。

 ただし、王家の名は、入れなかった。

 ローゼンベルク家の、私的な手紙、として。


 書きながら——時計を、何度か見た。


 時計を見ても、リゼットが早く戻ってくるわけではない。

 わかっているが、それでも、見た。



 夕方、リゼットが戻った。


 扉の音で、私はペンを置いた。

 応接室に下りていくと、リゼットがすでに、紙を一枚、机に置こうとしていた。


「ご苦労さま」


「いえ」


「お茶を、先に」


「先にご報告を、よろしいですか」


「どうぞ」


 リゼットは、座らなかった。

 座る前に、整理した言葉を渡したい——そういう姿勢だった。


「四件目の宿には、八名の客がおりました」


「八名」


「はい。三部屋に、二〜三名ずつ。全員、男性。年齢は三十代から四十代半ば」


「ヴェルナーが描いた絵の顔は」


「おりました。三部屋目の中央の席で食事をしておりました」


 私は、頷いた。


 絵の人物が、四件目の宿の中にいる。

 ヴェルナーの報告と、リゼットの目撃が、一致した。


「食事中の様子は」


「商人らしい話は、まったくしておりませんでした。代わりに——」


「代わりに」


「使用人を介した、書類のやりとりがございました」


「書類」


「はい。マレンドルフ家の家令の補佐が、午後二時に来訪し、封筒を一通、絵の人物に手渡しました。絵の人物は、その場で開封せず、上着の内側に収めました」


「封筒の大きさは」


「片手に収まる大きさです。中身は、おそらく書状一枚」


「家令の補佐は、すぐに帰りましたか」


「はい。十分以内に。会話は、ほぼなしでした」


 私は、紙を見た。

 リゼットが書き留めたメモには、時刻と位置が、整然と並んでいた。


「封筒の中身を、見る方法は」


「ございません。今日は」


「ですよね」


「ただし——」


 リゼットが、紙の下に、もう一行を指した。


「絵の人物は、明日の朝、宿を出る予定です。給仕の同僚から聞きました」


「明日の朝」


「はい。馬車の手配が、午前八時に入っております」


「行き先は」


「西の街道、と聞いております」


 西の街道。

 王都から西へ抜けると、コーデル方向に戻る道だ。

 ヴァルナー領を経由しない、もう一本のルートがある。


「西街道」


 私は、頷いた。


「明日の朝、絵の人物は、王都を出る。封筒を持って」


「はい」


「行き先は、コーデル方向。ただし、辺境を経由しない。グルゼマン伯の領地は、コーデル王国南東部——西街道から南へ折れる道筋に、ぴったり合う」


「お嬢様」


「はい」


「封筒の中身を、知る方法が、もう一つございます」


 リゼットが、少しだけ目を細めた。


「途中で、止めることです」


 応接室が、静かになった。


 止める——という言葉は、選び方が難しい言葉だ。

 武力で止めることもできる。

 言葉で止めることもできる。

 書類の手続きで止めることもできる。


 いま、リゼットは、どの止め方を指しているか、明示しなかった。

 明示しなかったのは、私に選ばせるためだ。



 夜、応接室に、六人が集まった。


 父、私、カイ、ルーカス、アルブレヒト。

 そしてリゼットも、給仕として——ではなく、椅子に座って、卓についていた。


 今夜は、六人目もいる、と私は決めた。


「明日の朝、絵の人物が、西街道を発ちます」


 私は、まず、状況を整理した。


「封筒を、持っています。中身は、おそらく書状一枚。マレンドルフ侯爵家から、グルゼマン伯への報告か、指示書」


「報告か、指示書」


 カイが、確認した。


「報告だとすれば、王都内の動向。指示書だとすれば、グルゼマン伯側からマレンドルフへの何らかの依頼への返答か、新たな依頼」


「どちらでも、重要だな」


 父が頷いた。


「読みたいですね」


 ルーカスが、静かに言った。


「お嬢様、止める方法ですが」


「リゼットが提案したのは、これですね」


 私は、リゼットを見た。

 リゼットが、頷いた。


「私が考えていたのは、武力ではございません」


「では」


「使者を、こちらから出すことです」


 応接室が、少し静かになった。


 使者を、こちらから。


「アリシア」


 カイが、少し前に身を乗り出した。


「説明してください」


「明日の朝、絵の人物が西街道を出る前に——」


 私は、ゆっくりと言葉を選んだ。


「ローゼンベルク家の、私的な使者を、グルゼマン伯宛に出します。コーデル王国へ。シュタイン子爵経由で」


「使者の用件は」


「『マレンドルフ家との今後のお取引について、当家もご相談に与りたい』」


 応接室が、もう少し静かになった。


「……割って入る、ということですか」


 ルーカスが、目を細めた。


「正面から、ですか」


「正面からです」


「グルゼマン伯は、警戒します」


「警戒します」


「警戒すれば、マレンドルフへの指示書が、ぶれます」


「ぶれます」


 カイが、頷いた。


「ぶれた指示書が、絵の人物の封筒の中身と矛盾を起こす可能性がある」


「ある」


「相手が動けば、相手の姿が見える」


「父の手筋、ですね」


 父が、少しだけ口元を動かした。


「だいぶ似てきたな」


「祖父の代から、引き継いだものですから」



「ただし——」


 カイが、少し間を置いた。


「使者を、こちらから出す、というのは、リスクが大きい」


「大きいですね」


「マレンドルフが、自家への割り込みと受け取る可能性が、まず一つ」


「あります」


「グルゼマン伯が、マレンドルフを切り捨てる方向に動く可能性が、もう一つ」


「あります」


「そして——使者本人の身の安全」


「あります」


 私は、頷いた。


「全部、想定の中です」


「使者は、誰を、ですか」


 カイが、聞いた。


 応接室が、また少し静かになった。


「私が、行きます」


 ルーカスが、言った。


「記録官室の、独立機関の長官として、私的な依頼の体裁で動けます」


「ルーカスさん」


 私は、首を振った。


「あなたは、独立機関の長です。独立機関の長は、家の私的な使者にはなれません」


「では、私の補佐として、形式を整えれば」


「整えられません。形式は、後から書類で残ります」


 ルーカスが、頷いた。


「私が行きます」


 カイが、続けて言った。


「辺境伯の私的な訪問という形式は、可能です」


 私は、カイを見た。


「カイ」


「はい」


「辺境伯の私的な訪問は、コーデル王国への入国記録に残ります。グルゼマン伯の側に、辺境伯が動いた事実が伝わります」


「伝わります」


「ヴァルナー領の警備が、その間、緩みます」


「副官が、引き締めます」


「ヴェルナーが、絵を描かせた人物です。同じ顔が、もう三人辺境を抜けてきています。ヴェルナー一人では、足りない場面が出ます」


「では」


 カイが、私を見た。


「アリシアが、行かれますか」


 応接室が、もう一度、静かになった。


「行きます」


 私は、答えた。


「ローゼンベルク家の私的な使者として、当家のルートで、私が動きます」


「アリシア」


 父が、書類の角を揃えた。


「私的な使者は、家督代行が出すものだ」


「父上のお名前で、私を出してください」


「私が行く、という選択肢は」


「父上が動かれると、王家の名が見えます。家の名で動く以上、家督代行の私が出るのが、いちばん家の名らしいです」


 父が、少し間を置いた。


「……いつから、家督代行の自覚を」


「謁見の間に出仕した日から」


「そうか」


 父が、頷いた。


「許可する」


「ありがとうございます」



「アリシア」


 カイが、また少し前に身を乗り出した。


「はい」


「あなたが行くなら——隣に、私も」


 応接室が、静かになった。


 今夜、もう何度目だろう、と思った。


「カイ」


「はい」


「辺境の警備は」


「ヴェルナーで、足りるように、追加の手配を、これから入れます。今夜のうちに」


「ヴェルナーは」


「副官は、私の判断を理解します」


 私は、カイを見た。


 目が、いつものカイだった。

 ただし——いつもより、少しだけ、揺れていなかった。


「あなたが、隣にいる理由は」


「ローゼンベルク家の家督代行が、コーデルに私的に入る時——辺境伯が隣にいれば、辺境の協力という体裁を、相手側にも示せます」


「体裁、ですか」


「体裁、です。それから——」


 カイが、少し間を置いた。


「それから」


「あなたが、設計したことのない場所に行くなら、私は、その隣にいたい」


 私は、少し黙った。


 扇は、持っていない。

 今日も、ない。

 頬が、少し熱かった。


 隠す必要が、なかった。


「……わかりました」


「ご一緒します」


「はい」


 父が、書類の角を、もう一度揃えた。

 ルーカスが、視線を落とした。

 アルブレヒトが、わずかに頷いた。

 リゼットが、廊下の方向を見て——音を立てずに、頷いた。



「では、明日の朝」


 私は、立ち上がった。


「絵の人物が出る前に、こちらの使者の手配を、シュタイン子爵経由で動かします。出発は、三日後で」


「三日後」


「準備の時間です」


「整えますか」


「整えます」


 応接室の窓の外で、王都の夜が、いつも通りに静かだった。

 ただ、いつも通りではない朝が、もうすぐ来る。


 扇は、要らない。


 準備は、また、整い始めている。

 ここまでお読みいただきありがとうございます。


 使者を、こちらから出すことになりました。


「割って入る、ということですか」

「正面から、です」


 マレンドルフからグルゼマン伯への封筒は、追わずに——ぶれさせる。

 ぶれた相手の動きから、姿を見る。

 舞踏会の夜と同じ、父の手筋——祖父の代から続く手筋です。


 使者は、アリシア自身。

 家督代行として、家の名で。


「アリシアが行くなら、隣に、私も」


 カイが、隣にいる体裁を、自分から申し出ました。


「あなたが、設計したことのない場所に行くなら、私は、その隣にいたい」


 扇は、持っていません。

 頬は、少し熱かったそうです。


 次話、ヴァルナー領に、もう一度行きます。

 今度は、第二王子レオン殿下も、ご同行です。

 続きをお楽しみに。


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