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婚約破棄してくれて、ありがとう。準備は三ヶ月前から整っていました  作者: 銀月ソフィ


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第三十八話 「王宮からの、内密のお召し」

 カイが来たのは、翌日の昼前だった。


 馬車から降りる姿が、玄関越しに見えた。

 旅装ではなく、王都用の落ち着いた上着を着ていた。


「お早いですね」


 私は玄関で迎えた。


「夜のうちに発ちました」


「夜にですか」


「四件目の話は、手紙より早く伝えたかった」


 カイが、少し息を整えた。


「中へどうぞ。父もおります」


「はい」



 応接室で、お茶が三人分出てきた。


 リゼットが昨日の宣言通り、湯気の立ったままのカップを三つ並べていた。


 父が、机の向こうで頷いた。


「ヴァルナー卿」


「ご無沙汰しております」


「夜通しか」


「はい」


 父が、少しだけ間を置いた。


「無理をするな、と言っても聞かないだろう」


「申し訳ありません」


「いや、助かる」


 カイが、地図を一枚出した。


 ヴァルナー領の交易路と、その先の街道が、細い線で結ばれている。


「四件目は、三日前に国境を通過しました。荷物は通常の検査を通っています。ただし——通過後、街道で姿を消しました」


「消した」


 私は確認した。


「街道沿いの宿で、二日目の朝までは確認されています。三日目の朝には、宿の客名簿から名前が消えていた。荷物だけが残っていた」


「身代わりですか」


「その可能性が高いです」


 父が、地図を覗き込んだ。


「王都に入った可能性は」


「三日あれば、入れます」


 応接室が、少しだけ静かになった。


 国境を通った人間が、王都に入っている。

 まだ、宿の場所も、人数も、目的も、わからない。


 わからないものは、急いで判断しない。

 ただし——置いておく場所を、もう用意した方がいい。


「ルーカスに連絡します」


 私は言った。


「記録官室から、王都の宿の出入りを当たれます。最近一週間、商人以外で入った客の記録を確認してもらいます」


「私も、副官に追加の確認をさせます」


 カイが、頷いた。


「ヴェルナーは辺境に残しています。王都側は、私が動きます」


「では、二方向で」


「はい」



 午後になって、王宮からの使いが来た。


 封筒は、見慣れない紋章だった。

 王太子の紋章ではない。

 王家の紋章——だが、少し小さく、隅に別の印が添えられている。


「父上、これは」


「……レオン殿下だ」


 父が、封筒を一度だけ眺めた。


「第二王子の、個人印だ。正式な王家の召喚ではない」


「呼び出しですか」


「内密の、と書いてある」


 私は、封を切った。


 文字は丁寧だった。文章は短かった。


『ローゼンベルク家のご令嬢に、内密にお話ししたいことがある。本日夕方、王宮東棟の小書斎まで。父にも、ヴァルナー辺境伯にも、お伝えいただいて構いません。レオン』


 書状を、父に渡した。

 父が読んで、机に置いた。


「行くか」


「行きます」


「理由は」


「王宮の動きを、こちらが把握しないと外交の設計ができません」


 父が、少し間を置いた。


「カイ君も同行する形にしておこう。書状にもそう書いてある」


「はい」


「ただし——」


 父が、私を見た。


「殿下のお話は、たぶん、お前ひとりに聞かせたい話だ」


「なぜですか」


「内密、という言葉の使い方が、そうだ」


 私は、書状をもう一度見た。


『お伝えいただいて構いません』とは書いてあるが、『同席いただきたい』とは書いていない。


 父の読みは、たぶん正しい。


「わかりました」



 夕方、王宮へ向かった。


 馬車の中で、カイが少し前に身を乗り出した。


「アリシア」


「はい」


「第二王子に、お会いしたことは」


「ありません。お顔だけは、舞踏会で遠くから見たことがあります」


「どういう方ですか」


 私は、少し考えた。


「目立たない方です。王太子殿下の影に、いつも一歩下がっておられた」


「噂は」


「悪い話は、聞きません。ただ、話そのものが少ない方です」


 カイが、頷いた。


「では、私の方も静かにします」


「と、いいますと」


「殿下が父上のお話通り、アリシアにだけ話したい内容を持っておられるなら——途中で席を外す方がいいでしょう」


「私が一人で話すのですか」


「はい」


 私は、馬車の窓を見た。


 王都の屋根が、また切れ切れに流れていく。


「……扇は、持っていません」


「知っています」


「それで、よろしいですね」


「それで、お願いします」



 王宮東棟の小書斎は、思ったより狭かった。


 正式な謁見の間とは違う。

 暖炉が一つ、机が一つ、椅子が三脚。

 壁には、王家の紋章ではなく、地図がかかっていた。


 部屋に入ると、第二王子が、机の向こうに立っていた。


 舞踏会で遠くから見た顔より、近くで見る方が、少し若かった。

 二十代の前半。やや痩せていて、目が静かだった。

 兄王子のような華やかさはない。けれど——目が、よく動いている。


「ローゼンベルク嬢」


「殿下」


 私は、礼をした。


「ヴァルナー卿も、ありがとうございます」


「いいえ」


 カイも、礼をした。


「お席を」


 殿下が、椅子を指した。


 三人で座った。


 お茶は、出てこなかった。

 給仕は、最初から部屋にいなかった。


 ——本当に、内密の話だ、と思った。



「単刀直入に申し上げます」


 殿下が、椅子に座ってすぐ言った。


「コーデル方向で、動きがあると聞いています」


「はい」


「正式な報告は、まだ上がっていません。ですが、私の耳には、入ってきました」


「どちらから、ですか」


「ヴァルナー領の副官から、辺境伯に。辺境伯から、ローゼンベルク卿に。ローゼンベルク卿から、私の父上に。父上から、私に」


 私は、カイを見た。

 カイが、わずかに頷いた。


 ——四ヶ月前の、ローゼンベルク卿からカイへの手紙と、同じ筋だ。

 家と家の私的なやりとりが、まだ動いている。


「殿下は、その動きについて、どこまで」


「人員が王国内に入りつつあること。コーデル国内の派閥対立が背景にあること。ローゼンベルク家とコーデル安定派の、非公式な接触が始まっていること——そこまでです」


「正確ですね」


「父上の耳が早いだけです」


 殿下が、少し間を置いた。


「父上は、私に、こう言われました」


「はい」


「『ローゼンベルク家の令嬢に、家のルートを使ってもらえ。ただし——王家の名は、出すな』」


 小書斎が、静かになった。


「殿下」


「はい」


「それは、王家がこの件に関与しない、という意味ですか」


「半分は、そうです」


「半分は」


「半分は、関与したいけれど、王家の名で動けば、相手も王家の名で動く、という意味です」


 私は、その言葉を聞いた。


 ——建前と本音。

 昨日、アルブレヒトから聞いた話と、同じ構造だった。


 公式の外交は、建前で動く。

 建前同士で動かすと、本音は流れない。


 王家の名で動かなければ、相手も国家の名で動かない。

 その間で——本音を交換できる。


 それを、国王が、わかっている。


「殿下」


「はい」


「陛下のお言葉、確かに承りました」


「お返事は、いまでなくて結構です」


「いま、お返事します」


 殿下が、少しだけ目を開いた。


「お早いですね」


「お受けします。ローゼンベルク家のルートを、使います。ただし——」


「ただし」


「私一人で動かすことは、しません。父上と、ヴァルナー辺境伯と、それから記録官室と。複数で動かします」


「結構です」


「もう一つ」


「はい」


「定期的に、殿下に状況を共有させてください。王家の名は出しません。けれど——殿下の耳には、入っていてほしい」


 殿下が、少し間を置いた。


「……それは、私には、ありがたいお話です」


「お互い様、ですわ」


 殿下が、少しだけ笑った。


 舞踏会で遠くから見た時には、見えなかった笑い方だった。


「兄上の代の人とは、少し違いますね」


「殿下」


「いいえ、独り言です」


 私は、聞こえないふりをした。



 帰り際、廊下で、殿下が一言だけ足した。


「ローゼンベルク嬢」


「はい」


「明日以降、王宮の廊下で——少しお声がかかるかもしれません」


「どなたから」


「保守派の中堅です」


「越権、という話ですか」


「予想がお早いですね」


「想定の中には、入っておりましたから」


 殿下が、また少し笑った。


「では、お任せします。私からは何も申しません」


「結構です。ご自身の手で、お返しください」


 殿下が、礼をした。


 私とカイは、廊下に出た。

 馬車に戻るまで、カイは何も言わなかった。

 馬車の中で、ようやく口を開いた。


「お疲れさまでした」


「いいえ」


「ひとりで、お話しなさいましたね」


「途中から、殿下が席を立つお気配がなかったので」


「私を、置き去りにされる気配もなかった」


「はい。同席でいい話だった、ということです」


 カイが、頷いた。


「明日、廊下で声がかかると」


「想定の中に、入っております」


 馬車が、王宮の門を抜けた。

 窓の外で、夕暮れが、王都の屋根に落ちていた。


 扇は、今日も、持っていない。


 準備は、また、整い始めている。


 ここまでお読みいただきありがとうございます。


 第二王子レオン殿下が、登場しました。


「父上は、私に、こう言われました。『ローゼンベルク家の令嬢に、家のルートを使ってもらえ。ただし——王家の名は、出すな』」


 国王陛下の意向が、間接的に届きました。

 舞踏会の夜のあと、ずっと静かだった陛下の視線が——少しだけ、動きました。


 そしてレオン殿下は、別れ際に「明日、廊下で声がかかるかもしれません」と。


「越権、という話ですか」


 アリシアは、想定済みでした。


 次話、宮廷の保守派が、動き出します。

 続きをお楽しみに。


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