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婚約破棄してくれて、ありがとう。準備は三ヶ月前から整っていました  作者: 銀月ソフィ


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第三十三話 「国境の、音」

 高台から帰って二日目の午後、カイの副官が来た。


 名前をヴェルナーといった。三十代半ばの、無駄のない動きをする人間だ。


 応接室に三人が集まった。カイと、ヴェルナーと、私。リゼットは少し遠いところに立っている。


「話してください」


 カイが言った。


 ヴェルナーが、細かく折りたたんだ紙を広げた。地図だった。ヴァルナー領と、コーデル王国の国境を示している。


「過去三週間で、国境近くの交易路に変化が生じています」


「変化の内容は」


「通行者の数は、変わっていません。ただ——通行者の構成が変わっています」


「具体的に」


「以前は商人が七割、旅人が二割、その他が一割でした。この三週間は、商人が四割、その他が五割になっています」


「その他とは」


「荷物の少ない男性が、複数人で移動しているケースです。荷物は小さいが、持ち方が整っている」


 私は、地図を見た。


「整っているとは」


「荷物の重さが、均一です。商人は荷の種類によって重さが変わります。彼らは全員、ほぼ同じ重さの荷物を同じ持ち方で運んでいます。訓練されている人間の持ち方です」


 カイが、ヴェルナーを見た。


「向かっている方向は」


「西です。コーデルの方向から、この王国の内側へ向かっています」


 応接室が、静かになった。


「密輸では、ありません」


 私は確認した。


「密輸なら、荷の量が不自然に多いか、関税を避ける動きがある。今回はその形跡がありません。荷物は検査を通っています。中身は問題のないものです」


「荷物は通過している。でも人間が変わっている」


「はい」


「同じ人間が繰り返し通っていますか」


「一度だけ確認しました。三週間で、同じ顔を二度見た事例が七件あります」


 七件。同じルートを、同じ人間が二回以上通っている。商人ではない。


「コーデル王国内での動きは確認できますか」


「この領の権限では、難しいです。ただ——」


 ヴェルナーが、少し間を置いた。


「コーデルの側からも、同様の動きを確認した、という連絡がありました」


「誰からですか」


「コーデル国境の管轄官です。私人としての非公式な連絡です。正式なルートではありません」


 私は、カイを見た。


 カイは、静かに地図を見ていた。


「カイ」


「はい」


「これは、密輸でも、旅行者の増加でもない。組織的な動きですね」


「はい」


「目的は」


「まだわかりません。ただ——この王国の内側に、人を送り込んでいる。それは確かです」


 私は、少し考えた。


「コーデル側に、この動きと関係のある人間がいる可能性は」


「ある、と思っています」


「コーデル王国として動いているのか、コーデルの一部の勢力として動いているのか」


「それも、まだわかりません」



 ヴェルナーが、地図を片付けた。


「続きは後ほど。今日の確認はここまでです」


 ヴェルナーが部屋を出た後、カイと二人になった。


「アリシア」


「はい」


「どう思いますか」


 私は少し考えた。


「宮廷の話ではありません」


 私は言った。


「はい」


 カイが、静かに答えた。


「オーステン侯爵の件は、この王国の中の話でした。証拠を集めて、書状を作って、正しい場所に届ける——それは、私が設計できる話でした」


「はい」


「これは——外の話です」


 応接室が、静かになった。


「外の話というのは、どういうことですか」


「コーデルという別の国が関わっている。その国の内部のことは、宮廷の記録を見ても書いていない。私の情報網は、王都の中にあります。辺境の外には、届いていない」


 カイが、少し間を置いた。


「では、どうしますか」


「王都に戻って——ローゼンベルク家の外交の記録を調べます」


「外交の記録、とは」


「父から聞いた話があります。コーデルとローゼンベルク家の間に、以前から続く外交のルートがある、と。今は動いていないと思っていましたが」


 カイが、少し目を細めた。


「知っていましたか」


「先日、父から聞きました。祖父が維持していたルートだそうです」


「それが——今回の動きと関係するかもしれない」


「可能性はあります。ただ、確認しないとわかりません」


 カイが、うなずいた。


「戻るタイミングを、考えましょうか」


「はい」


 私は、窓の外を見た。


 今日も、空は広い。


 三日前に、高台から見た景色が——まだ、頭の中にある。


 見えたものを見た。感じるものを感じた。


 それは終わった。


 次が、始まった。


「カイ」


「はい」


「設計したことのない種類の話です」


「はい」


「でも、設計したことのないことを、今まで一度もやらなかったわけではありません」


 カイが、また口元を動かした。


「扇なしで、歩けるようになりましたから」


「そうです」


 私は前を向いた。


「今度も、整えます」


「一人ではないです」


「わかっています」


 応接室に、静けさが戻った。


 国境の向こうで、何かが動いている。


 まだ、音は聞こえない。でも——確かに、何かが動き始めている。


 ここまでお読みいただきありがとうございます。


 副官ヴェルナーからの報告でした。


 国境の交易路で、組織的な動きが確認されました。

 荷物ではなく、人が変わっている。

 密輸ではない。訓練された人間が、この国の内側に入ってきている。


「宮廷の話ではありません。外の話です」


 アリシアはそう気づきました。

 設計したことのない種類の話。

 でも——一人ではないし、扇なしで歩けるようになりました。


「今度も、整えます」


 次話、王都へ帰ります。

 続きをお楽しみに。


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