表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
婚約破棄してくれて、ありがとう。準備は三ヶ月前から整っていました  作者: 銀月ソフィ


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

31/47

第三十一話 「辺境というのは、こういう場所ですわ」

 王都を出て三日目に、景色が変わった。


 変わった、というより——減った、という感じだった。


 建物が低くなった。道が広くなった。空が、広くなった。


 カイが言っていた通りだ。


 空が広い。


 準備していなかった感覚だった。


 王都の空は、いつも屋根と塔の間にある。青い布を細長く切ったものが、ずっと上の方に見えている——そういう空だ。


 ここの空は、どこまでも続いている。


 馬車の窓から見上げながら、私はしばらく何も言わなかった。



「お嬢様」


 リゼットが、隣で言った。


「はい」


「驚いていらっしゃいますか」


「……少し」


「さようでございますか」


 リゼットは、驚いていなかった。


 馬車が止まる前から、御者に何か確認し、荷物の状態を窓越しに確認し、到着後の段取りを頭の中で整えていた——そういう顔をしていた。


「リゼット、あなたは辺境に来たことがありますか」


「ございません。初めてです」


「初めてのわりに、落ち着いていますね」


「どこへ行っても、やることは同じですから」


 私は少し考えた。


「……なるほど」


「お嬢様はいかがですか」


「やることは、思っていたよりわかりません」


「それもよいかと存じます」



 ヴァルナー領の中心の町に着いたのは、昼過ぎだった。


 出迎えに来たのは、カイと、副官の一人だった。


 カイは、旅装だった。


 王都で見る時の、落ち着いた軍服ではなく——辺境の空気に合った、動きやすい格好だ。同じ人間なのに、少し違って見えた。


「お疲れ様でした」


「ありがとうございます」


 私は馬車を降りた。


 足が、石畳ではなく、土の上に触れた。


 固い土だった。王都の庭の土とは、感触が違う。


「気分はいかがですか」


「……空が、広いですね」


 カイが、少し目を細めた。


「そうです」


「手紙に書いていた通りですわ」


「書いておいて、よかった」


「実物を見る前に言葉で知っていた方が、落ち着きます」


 カイが、また少し口元を動かした。


「そうですか。では——今日は街を少し歩きましょうか。ゆっくりで構いません」



 町を歩いた。


 王都とは、まず人が違った。


 王都の貴族街では、人は互いを見ながら、見ていないふりをする。どこの家の誰か、どういう立場か——全部、視線で測りながら、測っていないふりをする。


 ここでは違った。


 行き交う人が、こちらをまっすぐ見た。


 値踏みでも、警戒でもない。ただ、見た。知らない人間が来たから、見た——それだけだ。


 最初は少し戸惑った。慣れると、むしろ楽だった。



「辺境伯様」


 食料を売っている店の前で、中年の男が声をかけてきた。


 カイが、「ランベルト」と名前で呼び返した。


「今日のお客は、王都からですか」


「そうです。ローゼンベルク公爵家の令嬢です」


 男が、こちらに目を向けた。


「は〜、遠くからようこそ」


 声が、大きかった。王都ではあまり聞かない大きさだ。


「ありがとうございます」


 私が答えると、男はまた大きな声で何か隣の人に話しかけた。


「辺境伯のお客さん、偉いお方らしいぞ——」


「そういうことは、小さい声でお願いします、ランベルト」


 カイが、静かに言った。


 ランベルトが、「ああ、すまん」と笑いながら謝った。


 怒鳴り合っているわけではない。でも音量が、全体的に高い。


 隣でリゼットが、もう店主と話していた。


「この辺りで一番美味しい食材を教えていただけますか」


「おう、それなら——」


 リゼットはすでに、紙にメモを取り始めていた。



「驚きましたか」


 少し先を歩きながら、カイが言った。


「驚いたというより——」


 私は言葉を選んだ。


「準備していなかったことが、たくさんありました」


「それはよかったですか」


「はい」


 カイが、また少し目を細めた。


「ヴァルナー領は、準備が通用しない場所です」


「どういう意味ですか」


「天気が変わりやすい。道が変わる。人が直接話してくる。設計より、その場の判断が大事なことが多い」


「……私には、難しそうですね」


「そうでもないと思います」


「なぜ」


「アリシアは、準備を使って設計する人です。でも——準備なしでどう動くかも、私は見ていました」


「いつですか」


「カイへの手紙を書き始めた頃から、少し」


 私は少し黙った。


「扇なしで動けるようになって、少し変わりました」


 カイが、こちらを見た。


「変わった方が、いいですか」


「よかったです」


 私はそう答えた。



 夕方、宿泊場所に戻る途中に、カイが少し立ち止まった。


 町の端——国境の方角だ。


「何ですか」


「いいえ」


 カイが、また歩き始めた。


「副官から聞いています。国境の方向で、また少し動きがあったようです。今日は何もありませんが」


「何もない、というのは——」


「今日は静かです。ただ、ここ数週間で三度目です」


 私は、カイの横顔を見た。


「くわしくは、明日副官から話を聞かせます。今日は、まず到着の挨拶と夕食を」


「わかりました」


 カイが、また歩き始めた。


 私も歩いた。


 北の方角に、空があった。


 広い空の、向こう側で——何かが動いているかもしれない。


 今日は、まだわからない。


 わからないものは、急いで判断しない。


 でも——頭の中には、置いておく。


 ここまでお読みいただきありがとうございます。


 ヴァルナー領に着きました。


 空が広い。道が土。人が直接見てくる。

 リゼットはすでに地元の店主と話していました。

 アリシアは「準備していなかったことが、たくさんありました」と言いました。


 カイは「変わった方がいいですか」と聞きました。

 アリシアは「よかったです」と答えました。


 そして夕方——北の方角で、また動きがあったようです。


 次話、カイが「見せたかったもの」を見せます。

 続きをお楽しみに。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ