第二十二話 「また知っていたのですか、カイ」
カイへの手紙に、オーステン侯爵の名前を書いた。
白い薔薇の返事のついでに、という形にした。
「次の花は白でよいですわ。それから、ヴィルヘルム・オーステン侯爵という方をご存知ですか」
返事は、翌朝届いた。白い薔薇の話は、一行だった。承知しました、と書いてあった。オーステン侯爵の話は、三行だった。
知っています。四ヶ月前から調べていた中に含まれていました。今日伺ってよいですか。私は手紙を置いて、少し天井を見た。
「リゼット」
「はい」
「辺境伯が今日いらっしゃるそうです」
「承知しました。お時間は」
「書いてありません」
「では、午後にお茶の用意を」
「ありがとうございます」
「——お嬢様」
「なんですか」
「また知っていたのですか、という顔をしていらっしゃいます」
「していません」
「かしこまりました」
リゼットが出ていった。——少し、していたかもしれない。
王宮の二日目は、午前中に候補者たちとの所作確認から始まった。昨日と同じ三名が、同じ部屋で待っていた。
コルディア嬢は、昨日より少し動きが落ち着いていた。一日で改善している。素直だ。マリナ嬢は、昨日より間が縮まっていた。家で練習してきたのだと思う。まじめだ。エヴァ嬢は、昨日と同じだった。完璧で、表情が読めない。
今日の指導は、歩き方の実践だった。廊下を歩き、扉を開け、部屋に入る。その一連の動作を、一人ずつ見る。
コルディア嬢は、扉を開ける力が少し強かった。指摘すると、次から直した。マリナ嬢は、部屋に入る前に一瞬止まる癖があった。自分では気づいていなかったようだ。エヴァ嬢は、すべて正しかった。
私はエヴァ嬢の動作を見ながら——昨日気になったことを、もう一度確認した。完璧すぎる。でも、どこかが——作られている。
生まれつき身についた所作と、後から訓練した所作は、微妙に違う。前者は、意識していない。後者は、わずかに意識の跡が残る。エヴァ嬢は、後者だ。
家の者に幼い頃から習った、と昨日言っていた。でもこれは、かなり最近まで訓練を重ねている人の動き方だ。
「シュレーダー嬢」
私は、廊下を歩き終えたエヴァ嬢に声をかけた。
「はい」
「一つ確認させてください。この所作は、いつ頃から意識して練習なさっていますか」
エヴァ嬢が、少し間を置いた。
「……幼い頃から、と申し上げましたが」
「はい」
「最近も、続けています」
「いつ頃から、最近も、とお考えですか」
エヴァ嬢が、今度は少し長く間を置いた。
「アリシア様は」
エヴァ嬢が、こちらを見た。
「舞踏会の夜の方ですね」
エヴァ嬢の声は、廊下の広さのわりに、よく通った。コルディア嬢とマリナ嬢が、こちらを見た。二人とも、何かを察した顔をした。
「ええ」
私は答えた。
「そうですわ」
「あの夜のことは、よく存じています」
「そうですか」
「見事でいらっしゃいました」
私はエヴァ嬢を見た。エヴァ嬢は、真っ直ぐにこちらを見ていた。挑発でも、媚びでもない。ただ——測っている、という目だ。
「ありがとうございます」
私は微笑んで、コルディア嬢に向き直った。
「では、もう一度歩いてみましょうか。扉の開け方から」
コルディア嬢が、はい、と答えて動き始めた。背中で、エヴァ嬢の視線を感じた。——なるほど。あなたもまた、準備している人ですね。
何のための準備かは、まだわからない。でも、目的がある人の動き方を、私は知っている。
カイが来たのは、昼過ぎだった。今日は、いつもより少し早い。
「オーステン侯爵のことを、四ヶ月前から調べていたのですか」
私が座るより先に、言った。
「はい」
カイが落ち着いた顔で椅子に座った。
「王都に戻ってきた当初から、宮廷内の動きを調べていました。
殿下の件だけでなく、その周辺も含めて」
「オーステン侯爵は、周辺に含まれていた」
「はい。殿下が謹慎になった後、次に動く可能性が高い人物として」
「なぜ私に言わなかったのですか」
カイが少し間を置いた。
「舞踏会の前は、優先度が低かった。
舞踏会の後は——アリシアが必要とするタイミングを待っていました」
「また、ですか」
「また、です」
カイが短く答えた。私は少し黙った。
「……聞いてもいいですか」
「はい」
「あなたは、いつも先に知っていて、後から渡す。
なぜ、最初から言わないのですか」
カイが少し考えた。
「アリシアが自分で判断する前に情報を渡すと、判断が変わる可能性があります」
「それは、私の判断を信頼していないということですか」
「逆です」
カイがこちらを見た。
「アリシアの判断を、純粋な状態で見たい。
情報を与えてから出てくる答えより、自分で動いて出てくる答えの方が——正確だと思っているので」
私は少し考えた。
「それは褒めているのですか」
「はい」
「……悔しいですわね」
「申し訳ありません」
カイが少しだけ口元を動かした。
「でも、これからは——もう少し早く言います」
「なぜ、今回は変えるのですか」
「一人じゃないので」
私はその言い方を、頭の中で二度、繰り返した。廊下の気配が、また止まった。
「……続けてください」
私は言った。
「オーステン侯爵について」
「はい」
カイが少し前に身を乗り出した。
「陛下に確認を取りました。昨日」
「どういう内容ですか」
「招集状の本当の目的と、オーステン侯爵の件が関係しているかどうか」
「答えは」
「関係している、とおっしゃいました」
「陛下はこの件を知っていた」
「はい。三年前から把握していたそうです」
私は紅茶を一口飲んだ。
「では、陛下はなぜ今まで動かなかったのですか」
「それが——」
カイが少し間を置いた。
「動かなかったのではなく、先に動いてほしかった、とおっしゃっていました」
「オーステン侯爵に、ですか」
「はい」
「なぜ」
カイがまた間を置いた。
「理由がある、とおっしゃっていましたが——そこから先は」
「教えてもらえなかった」
「はい」
私はカップをソーサーに置いた。三年前から把握していた。動かなかったのではなく、先に動かせたかった。理由がある。
「カイ」
「はい」
「陛下は私に何をさせたいのだと思いますか」
「——動いた後で、詰めることだと思います」
「オーステン侯爵が表に出てきたところを」
「はい」
私は少し考えた。舞踏会の夜と、同じ構造だ。相手が動くのを待つ。動いたところを、証拠ごと詰める。
違うのは——今回は国王が設計している、ということだ。
「陛下が先に動かせたかった理由が、わかりません」
「私もわかりません」
「でも」
私はカイを見た。
「理由がわかれば——今回の準備が変わります」
「はい」
「どうやって確認しますか」
「陛下に、直接聞きます」
カイが少しだけ目を細めた。
「……直接、ですか」
「招集状を受けた以上、私にはその権利があるはずです」
「そうですね」
「異論はありますか」
「ありません」
カイがうなずいた。
「では、謁見の申請を手伝います」
「ありがとうございます」
リゼットが新しいお茶を持ってきた。廊下の足音は、さっきより少し早かった。——急いで持ってきた、という意味だ。
もしくは、聞いていたことを悟られないようにしている、という意味かもしれない。どちらでもいい。
今日も、リゼットに聞かれて困ることは何もなかった。
困ることが何もない、というのは、たいてい、まだ何も始まっていないという意味だ。
先に知っていて、後から渡す人が——少しだけ、順番を変えるそうです。
陛下が先に動かせたかった理由は、まだわかりません。直接、お聞きします。
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