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婚約破棄してくれて、ありがとう。準備は三ヶ月前から整っていました  作者: 銀月ソフィ


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第十二話 「十年前の話と、帰り際の問い」

 セレスト・アルバは、お茶を一口だけ飲んだ。


 一口だけ。

 それから、カップを置いた。


 今日来た他の令嬢は、全員もう少し飲んだ。

 お茶の温度を確かめるように、あるいは間を持たせるように、何度かカップを持ち上げた。


 セレストは一口だけ飲んで——それから、まっすぐに私を見た。


「単刀直入に申し上げます」


「どうぞ」


「昨夜のことを、お見事だと思いました。

 それだけ伝えたくて、参りました」


 私は少し考えた。


「それだけ、ですか」


「はい」


「……ご丁寧に」


「お世辞ではありません」


「存じております」


 セレストが、少しだけ目を細めた。


「信じていただけないのでしたら、仕方ありませんが」


「信じていますわよ」

 私は微笑んだ。

「ただ、それだけではないとも思っています」


 セレストが、少しだけ黙った。


 今日来た誰も、私にそんなことを言わなかった。

 言えなかった、というより——気づいていなかった。


 セレストは、気づいている。

 そして、気づかれたことに、慌てていない。


「……鋭くていらっしゃいますね」


「お互い様ですわ」


 セレストが、また黙った。

 それから、ゆっくりと息を吐いた。


「一つだけ、聞いてもいいですか」


「どうぞ」


「アリシア様は——陛下が今後、どういう方を王太子妃に望まれていると思いますか」


 広間が、静かになった。


 私はセレストを見た。

 セレストは、私を見ていた。

 その目は——揺れていない。


「……それは、難しい問いですわね」


「ご意見を伺いたかっただけです」


「今すぐにはお答えできかねます」


「構いません」


 セレストが立ち上がった。

 お茶は、まだ半分残っていた。


「では、また伺います」


「ええ、ぜひ」


 私は立ち上がって、見送った。


 セレストが扉に向かいながら、一度だけ振り返った。


「白い薔薇、きれいですね」


「……ありがとうございます」


「辺境伯からですか」


「なぜ、そう思いますか」


 セレストが、少しだけ笑った。

 今日初めて見た、笑顔だった。


「昨夜の舞踏会で、ずっと見ていましたので」


 扉が、閉まった。



 私はしばらく、扉を見ていた。


「お嬢様」


 リゼットが、横から言った。


「あの令嬢は、何を考えているのでしょう」


「私にも、まだわかりません」


「よろしいのですか」


「わからないものは、急いで判断しない方がいい」


 リゼットが、少し間を置いた。


「……賢明かと存じます」


「カイへの返事を書きますわ。便箋を用意してください」


「かしこまりました」


 リゼットが動く。


 私は窓際の机に移った。


 玄関の薔薇が、まだそこにある。

 セレストが「昨夜の舞踏会で、ずっと見ていた」と言った。


 昨夜の舞踏会で、カイを見ていた——ということだ。


 いつから見ていたのか。

 何のために見ていたのか。


 それは、まだわからない。


 でも今は、返事を書く。



 便箋は、ローゼンベルク家の紋章入りのものが出てきた。


 私は少し考えて——別の、紋章なしの便箋を出してもらった。


「そちらでよろしいのですか」


「ええ」


 リゼットが、何も言わなかった。

 言わないことで、何か言っている気がしたけれど。


 私はペンを持って、書いた。


 ご都合のよいときにどうぞ、と。

 それだけ書いて——少し止まって——白い薔薇が届いておりました、と足した。


 それだけにした。


「使いに持たせてください」


「はい」



 カイが来たのは、翌日の午後だった。


 早い、とは思った。

 でも、驚かなかった。


 応接室に通すと、カイはいつもと同じ、落ち着いた様子で座っていた。

 軍服ではなく、今日は少し柔らかい色の上着を着ていた。


「白い薔薇が届いておりました、とだけ書いてくださったので」


「ええ」


「返事はそれだけでしたが——来てよかったですか」


「どうぞ、と書いた覚えがあります」


「そうでした」


 カイが、少しだけ口元を動かした。


 私は向かいの椅子に座った。


「いつから王都にいらっしゃるのでしたか。」「四ヶ月前、でしたね」


「はい」


「辺境の仕事は、よろしいのですか」


「信頼できる副官がいます」


「そうですか」


 お茶が出てきた。

 カイはカップを持って、一口飲んだ。


 セレストとは違う飲み方だった。

 ゆっくりと、温度を確かめるように。


「四ヶ月前に王都へ戻った理由は、父からの手紙だとおっしゃっていましたね」


「はい」


「父は、何と書いていましたか」


 カイが、少し間を置いた。


「アリシアが危ない立場にいる。

 自分一人で全部やろうとしている。

 様子を見てほしい、と」


「……父らしい頼み方ですわね」


「そうでしたか」


「派手に動かれると困る、という意味も含まれていたはずです」


「気づいていました」


 私は、カイを見た。


「あなたは、四ヶ月の間——何をしていたのですか」


「調べていました」


「殿下の動向を、と昨夜おっしゃっていましたね」


「はい。それから——」


 カイが、少し止まった。


「他にも、いくつか」


「他にも」


「はい」


 私は待った。


 カイは、窓の外を少し見て、それからこちらに戻った。


「あの書状のことを、先に話しますか」


「どちらでも」


「では——後にします」


 私は少し考えた。


「なぜ、後ですか」


「今日は別の話をしたいので」


「別の話」


「はい」


 カイが、カップをソーサーに置いた。


「十年前の話です」


 広間が、静かになった。


 私は扇を持っていないことを、また思い出した。

 今日は、持ってこなかった。

 意識して、持ってこなかった。


「聞かせてください」


 カイが、一拍置いた。


「私が十二のとき、父が辺境に戻ることになりました。

 急な話で——ヴァルナー領で問題が起きたので、すぐに帰らなければならなかった」


「あなたも、一緒に帰ったのですね」


「はい。選べなかった——というより、選択肢がなかった」


 選べなかった。


 昨夜、カイは「ずいぶん遅かった」という言葉に「申し訳ありません」と答えた。

 その「申し訳ありません」の意味が——少し、見えた気がした。


「九歳のアリシアに、それを伝えることが——できませんでした」


「……伝えようとしたのですか」


「はい。でも」


 カイが、少しだけ目を逸らした。


「屋敷に行ったら、あなたはいなかった」


「どこにいたか、覚えていませんわ」


「庭にいたと聞きました。後から」


「誰から」


「リゼット嬢から。最近」


 私は、思わず窓の方を見た。


 リゼットが教えた。

 最近。


 ——あの人は、どこまで知っているのだろう。


「アリシア」


 カイが、静かに呼んだ。


「はい」


「十年分、遅れました。それは事実です。

 でも、理由だけは——知っていてほしかった」


 私は、カイを見た。


 カイは、真っ直ぐに、こちらを見ていた。


 十年前に言えなかったことを、今日、言っている。


 私は少しだけ——扇が欲しいと思った。


 でも持っていないので。


「……知りました」


 私は答えた。


「それだけですか」


「今日は、それだけにします」


 カイが、少し目を細めた。


「十年かかって、一日で返せとは言いません」


「公平ですわね」


「努力します」


 私は、小さく笑った。


 扇がなくても、笑えた。


 窓の外で、白い薔薇が、風に少しだけ揺れた。

 ここまでお読みいただき、ありがとうございます。


 カイが話しました。


「屋敷に行ったら、あなたはいなかった」


 十年前、カイはアリシアに伝えようとしていた。

 でも、伝えられなかった。


 アリシアは「今日は、それだけにします」と答えました。


 扇なしで、笑えました。


 そしてセレスト・アルバが残した問いが、まだあります。

「陛下が今後、どういう方を王太子妃に望まれているか」


 次話で、この問いの意味が、少しずつ見えてきます。


 お気に召していただけましたら、ブックマークと評価をいただけますと、大変励みになります。

 次話もお待ちいただけると嬉しいです。またお会いしましょう。

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