これでまたこの世界から害虫が駆除された
<岩神タツヤ>
「わかった」
夕暮れの光も差し込まない薄暗闇の廃ビルで僕は、問いかける坂上へと向かって答える。
「へぇ驚いた。お前は結局選べないと思ってたんだけどな……で、どっちを見捨てるんだ?」
薄く驚きの表情を浮かべた坂上。
しかしすぐに嫌らしい笑みに変えてさらに問うてくる。
その顔をまっすぐに見つめ返し僕は口を開く。
「どっちも」
「あ?」
「僕はどっちも見捨てない」
「……はぁ? お前舐めてんのか、コイツが死んでもいいのかよ」
「ウッ!」
「やめろ! そういう意味じゃない!」
ギリッと少女の首に伸びた坂上の手に力が篭り、少女の顔が苦痛に歪んだ。
それに耐えきれず思わず強く声が出てしまった。
「そういう意味じゃないっていうなら、一体どういう意味なんだ? あぁ?」
坂上の注意がこちらに向き、少女に加えられていた力が緩む。
ゴホッゴホッと苦しげに咳き込む少女だったが、その首には依然手が掛けられたままだ。
その手に注意を払いつつ、慎重に言葉を紡ぐ。
「……お前の狙いは僕のはずだ、だったら――僕が死ねばいいだろ?」
「ほぅ」
「坊ちゃん!」
坂上とサトネの声が同時に響く。
しかし片方は愉快気な、もう片方は悲痛という正反対の声音だった。
「いけません坊っちゃん、そのようなことッ!」
「でもサトネ、僕はあの子とお前のどっちも傷つけることなんてできないよ、ましてや殺すだなんて」
「ですが……! 坂上、本当に坊ちゃんを傷つけたらサトネが即座にその首を撥ねますよ!」
「いいぜいいぜ、別に岩神を殺せれば俺はそれでいいさ。本当はもっと苦しめてやりたかったが、こういう展開も"アリ"だ」
にやにやと坂上が笑う、心の底から愉快気に。
そのまま懐から一本のナイフを取り出し、僕へと床を滑らせて渡してくる。
「これは……って訊くまでもないことか」
「首でも胸でもどっちでもいいぜ……俺としては首の方をお勧めするがね、そっちの方が死ぬまで時間がかかる。お前の苦しみながら死ぬ様を見るっていうのも面白そうだ」
「……悪趣味だね」
足元のナイフを拾い上げる。
折りたたまれていた刃をパチンと開き、そのまま躊躇いなく首へと――
「ッ! サトネ!?」
「早まらないでください、坊ちゃん」
僕の首を掻き斬ろうとしていたナイフはしかし、寸前でサトネの手に握られ止められていた。
刃を掴むサトネの手から血が僅かにだが滲んでいる。
「おいおい、邪魔をするなよメイドさんよぉ。このガキがどうなってもいいのかよ」
「どうぞ」
「……は?」
「サトネ!」
坂上の言葉に一瞬のためらいもなく言葉を返すサトネ。
そんな彼女に非難の声を向けるが黙殺される。
更には動こうにもナイフごと片手を抑えられ、自由に動くことも出来ない。
「どうぞ、と言ったのです。坊ちゃんはお優しいのでその子の事も心配なさっていましたが、私にとっては坊ちゃんが一番大事です。それにその子は従わされていたとはいえ坊ちゃんに刃を向けた、斟酌する余地などありません」
「やめろサトネ、刺激するな!」
「いいえ聞けませんね。――誰であろうと坊ちゃんを傷つけさせたりはしません。例え坊っちゃん自身からでもサトネは守り切って見せます」
「ダメだサトネ! 僕はもう誰も傷ついてほしくないんだ!」
「それはサトネも同じです、坊ちゃんに傷ついてほしくなどありません」
必死にサトネへと言葉を向けるが、その言葉は届かない。
心の中を焦りが占めていく。
サトネの気持ちも分かる。
僕のことを大事に思ってくれていることも、僕のための行動だということも。
だが、それでも僕はあの少女を見捨てることなど出来ない。
こうしてる間に、いつ坂上があの子に手を掛けてしまってもおかしくないのだから。
「頼むサトネ!」
僕がそんな叫びのような声をあげる。それと同時だった――
「君は本当に甘いな、岩神タツヤ」
この場に存在する4人、その誰のものでもない5つ目の声が廃ビルに響く。
突然の声に、素早く聞こえてきた左手の方向に目を向ける。
そこで僕は"波"を見た。
奥からビルの壁や床を震わせながら、押し寄せる波のように不可視の"なにか"が迫ってくる。
その振動で天井のチリが落ち、床の小石は振動で跳ね回らせながら。
しかもそれは僕の対応できる速度以上の速度だ。
何かが来る。そう思った次の瞬間には既に目の前にまで迫っていた。
僕も、ましてや坂上にも対処することのできない超高速の"なにか"。
それに対応できたのはこの場においてたった1人。
僕の横でナイフを抑えていたサトネは一瞬でその"なにか"の前に躍り出ると、手に握った木刀を下から上に振り上げた。
それにより真っ二つに引き裂かれた"それ"は僕の脇を通り過ぎていく。
と同時にブワワワワッという非常に不快で耳障りな轟音が耳朶を打った。
「ウッ、これは!?」
思わず耳を抑えて膝を突く。
あまりにも大きな音でキーンという耳鳴りが鳴り響く。
そこに至り、"なにか"の正体に思い至った。
それは"音"。
あまりにも強烈な音が物理的な空気の振動となって襲い掛かってきたのだ。
高速を超えた音速。
さすがにそんな速度には僕は対応できない。
そしてそれは坂上も同様だったようだ。
目を向けると、坂上と少女は揃って床に倒れ伏していた。
2人は僕とは違い直撃を食らったのだ、気絶していてもおかしくない。それほどの威力があった。
そこまで見て、あることに気付く。
先程まですぐそこにいたサトネの姿が見えないことに。
「サトネ?」
耳鳴りが鳴りやまず、うまく声の調節が出来ないながらも彼女の名を呼び、姿を探す。
その姿はすぐに見つかった。
いつの間に移動したのか、離れた所に立つサトネ。
だがサトネは1人だけではなかった、その傍らにはもう1つ人影がある。
2人は抱き合っているのかと見まがうほどに至近距離で、しかし甘い空気とは正反対に強烈な殺気を各々の武器に乗せてぶつけあっていた。
「……ッ!」
「……」
耳鳴りが酷く、口は動いているが2人の会話は聞こえない。
だがそれでもサトネがこれ以上ないほどに激昂しているのがわかる。
身内贔屓ではあるが、あの状態のサトネに対して一歩も引かないっていったい何者?
今はサトネの影に隠れていて見えない相手について思案していると徐々に耳鳴りが収まり、2人の会話が聞こえてきた。
「坊ちゃんに対してあのような攻撃を加えるとは……原型も残らない程に斬り刻みます!」
「いいでしょう、来なさい。今のお前は岩神タツヤの管理から逸脱している、それなら私も何の遠慮もなく駆除できます」
ゾクッ
サトネと相対している者の声が聞こえると同時に背筋に悪寒が走る。
その声には聞き覚えがあった。
一度。
たった一度だが"彼"とは会ったことがある。
その一度で僕にこれ以上ない強烈な恐怖を与えた人。
「サトネ! 戻れ!」
「坊ちゃん! 気が付かれたのですか!?」
僕の言葉に嬉しそうな声を上げるサトネ。
しかし僕の指示には従わず、目の前の"彼"から視線は外さない。
「少し待っていてください、すぐにこの男を刻みますから。少々手強く……」
「そんなことはいいから早く戻れ!」
サトネの言葉を遮り、先程より強く指示を重ねる。
「ですが……」
「これは"命令"だ!」
「ッ! わかりました」
更に言い募ろうとするサトネに対し滅多に使わない命令権を使う。
命令によってサトネは"彼"から離れ、大きく跳躍し一跳びで僕の傍らにまで戻ってきた。
「おや、せっかくあの『サトネ』を大義名分を持って殺せるかと思ったのですが」
「すいません、僕にはまだサトネが必要なので……無礼を許していただけませんか?」
数メートル先に立つ"彼"に対して深く頭を下げる。
濃紺に染められた、軍服と似たデザインの制服を身に纏った青年。
その手にはアーチェリーなどで使われるような一張の洋弓を下げている。
顔立ちは非常に整っており、一見すればどこかのモデルや俳優かと思う人物だ。
だが、その正体はそんな甘く優しいものではない。
「――特殊安全警察局局長・SSランク能力者陸中リクさん」
名前を口にしただけで僅かに体が震えるのがわかる。
自分でも臆病だとは思うが、抑えることなどできない。
「一度会っただけなのに覚えていてくれるとは思わなかったよ、岩神タツヤ」
穏やかに笑みを浮かべながら答える陸中さん。
しかし彼の笑みは友好の表れだったり、敵対しないことの証明ではない。
この人はいつでも笑顔なんだ、まるで笑顔のお面をつけているかのように。
現に僕はこの人が今と全く同じ表情で人を殺すのを見たことがある。
『これでまたこの世界から害虫が駆除された』
かつて、返り血に塗れながらこの人が言った言葉だ。
この人にとっては人も特災も、自分の中の正義に反するものは等しく無価値で害虫なのだ。
そのことを知っていたからこそサトネを下がらせた。
あのまま続けていたらサトネが殺されていたかもしれないことが恐ろしく怖かった。
そしてその恐怖は未だ消えていない。
いつこの笑顔のまま攻撃を仕掛けてくるかわからない怖さがこの人にはある。
「――どうして陸中さんがここにいるんですか?」
だがその恐怖心を抑え、背にサトネを庇いながら問いかける。
今は少しでも彼から情報を引き出して活路を見出す他ない。
「それは逆だ岩神タツヤ」
けれども僕のそんな問いに返ってきたのは簡潔で不可解な言葉だった。
「逆、ですか?」
「そう。私に暇などない、君に会うために態々来るわけないだろう? 私が用があるのはそこの男だ。そいつを追って来たら君達がいただけだ」
そう言って彼が指差したのは地面に倒れ伏した坂上。
僅かに回復してきたのかモゾモゾと動いてはいるが、未だ立ち上がる様子は無い。
「では……なぜ攻撃を?」
「私は自分の職務を全うしただけだ。君達がいようといまいと関係ない、そこにいたのが悪い。むしろ先程君の飼っている特災の取った行動は公務執行妨害だぞ」
思わず反論しかけたサトネの口を視線でふさぐ。
頼むから今は黙ってていてくれ。
「そのことについては後ほど謝罪します。ですが僕達も被害者なので……」
「そうか、なら隅にでも隠れているかとっとと逃げろ。邪魔だ」
そう言うと僕たちに興味を失ったのか僕たちの前を通り過ぎ、坂上の元へと向かう。
ホッと一息つきつつ、額の汗をぬぐう。
ただ話すだけで凄まじいプレッシャーだった。
そのまま言われたとおりにサトネを連れて隅にでも行こうとしたが、信じられない光景が目に入ってきた。
陸中さんは手に持った弓に魔力で出来た矢をつがえ、狙いをつける。
――坂上に使役されていた特災の少女に向かって。
バシュッ ズガンッ
陸中さんの手から矢が放たれ、一直線に天井へと突き刺さった。
それと同時に矢を中心に先程同様の振動と音が撒き散らされる。
「……一体どういうつもりだ? 岩神タツヤ」
陸中さんが至近距離の僕に向かって問いかけてくる。
「この子を殺す必要なんてないでしょう?」
僕も陸中さんの弓を蹴り上げた足を戻しつつ答える。
恐怖が消えたわけではない。
今も変わらずこの人に殺されるかもしれないという恐怖はある。
だが、それよりもこの特災が殺されるのだけは我慢できなかった。
「犯罪者の武器を奪うのは当然だろう?」
「この子は武器じゃない、生きてるんだ!」
陸中さんの視線と僕の視線がぶつかる。
「特災が特災なら飼い主も飼い主だな」
笑顔を崩さずにため息をつく陸中さん。
「一度だけ警告する。お前が今していることは公務執行妨害だ、これ以上邪魔をするというのならお前も"悪"とみなして駆除するぞ」
本気の殺気がぶつけられる。
「……この子は殺させません」
怖い、だが引くことは出来ない。
ただ利用されただけの特災を、みすみす殺させるわけにはいかない。
「そうか、わかった」
僕の答えを反抗とみなしたのか、陸中さんの体がギュンと加速して動き出す。
いや、動きだそうとした。
その体が動く前に
「もしも~し、岩神君いますか~?」
ドアの吹き飛んだ入り口から、中に向かって場にそぐわない暢気な声が響いてきた。
その声に僕と陸中さんの動きが中断させられる。
「いませんか~?」
声の主はそのまま声を掛けながらビルの中へと入ってくる。
そこに至りその姿を確認できた。
杜宮高校の女子制服を着て、高い位置でポニーテールを作った女の子。
僕のクラスメイトで、恩人の妹。
師里レイさんだった。
感想・評価・ランキング投票(下部のリンクをクリック)お願いします。
(次回は土曜日~日曜日に更新予定です)




