アレは燃えるゴミの日に出しちゃったよ
アヤと伯爵、2人の視線が空中でぶつかる。
アヤの眼には決死の覚悟の光が点っているが、反対の伯爵のそれはまるで羽虫を見るかの様に意に介していない。
その視線のぶつかり合い、最初に逸らしたのは伯爵であった。
「……まぁいい、貴様などに構っている暇は吾輩にはない。
未だこの身は完全ならぬ。出来るだけ多くの血が必要だ」
そうしてゆっくりと視線を天井へと向け――
パチン
彼が1つ指を鳴らした瞬間 カッ という短い音が部屋に響いた。
「うむ、良い夜空だ」
視線を上に向けた伯爵が呟く。
その言葉通り、既にそこには天井は無かった。
直径1メートルほどの円が、上に存在した6階をぶち抜き ポッカリ と外まで続いていた。
金属防御壁などまるで関係なく、その断面は ツルリ と滑らかに切り取られている。
「逃げる気か!?」
そのことにアヤが鋭く言葉を放つ。
「逃げる? 愚かな、実力差も分からぬ輩が喚くな。
……だがそうだな、捨て置くというのも性に合わぬ。ふむ、こやつに相手をさせるか。
おい、起きろ」
顎に手を当てて思案した伯爵は、台座にへばりついていた影の触手を足で軽く蹴った。
すると、影はわずかに ブルブル と震える。
何発も四十万から金の弾丸を食らっていたはずなのに、まだ生きているようだ。
「よくぞ吾輩を復活させた。褒めてつかわす」
[……アリガタキ オコトバ]
伯爵が『影』へと声を掛ける。しかし『影』は辛うじて生きているだけの様で、返すその声は限りなく小さい。
「だいぶ弱っておるな。ほれ、力を分けてやろう」
その言葉と同時に、信じられない量の魔力が伯爵から『影』へと流れ込んだのを、アヤの眼はハッキリと捉えた。
[オ……オォォォォォ!]
ほんの数秒。
僅かそれだけのことで、部屋中に散らばっていた『影』の残骸が伯爵の足元に集まり新たに姿を作った。
それは先程までの忍者装束ではなく、中世の甲冑騎士。
真っ黒な騎士が右手に剣を持ち、左手に盾を構え咆哮を上げる。
変わったのは姿だけではない、その身から立ち上る魔力も先ほどの比ではない。
今のアヤ1人の手におえる範囲を優に超えている。
最低でもランクSの特殊災害だ。
「では『影』よ、その者を殺せ。
吾輩は狩りを行い、力を取り戻す」
膝を突き、頭を垂れる影騎士に伯爵はそう命じる。
[御意]
その命令に、明瞭な声で影は答えた。
声も、先程までと違いハッキリと聞き取りやすいものに変わっている。
だが――
「そう簡単に行かせるわけねーだろうが! 『影繰・大鍬』!」
アヤが吠える。
同時に両手を複雑に組み合わせ、印を作った。
一瞬でその印が完成すると、アヤの背後に真っ赤な魔法陣が出現する。
次の瞬間アヤの影が真っ赤に染まり、そのまま2つの大きな刃へとその姿を変えて伯爵へと襲い掛かった。
伯爵を鋏むかのように両側から迫る刃はしかし――
ガギンッ
と伯爵に当たる前に止まる。
左の刃は剣に、右の刃は盾によって止められていた。
「ふむ、この技どこかで……あぁ、そうか」
影騎士によって止められた影の刃をしげしげと眺めた伯爵が、得心いったように頷く。
「貴様、我を封印した〝勇者〟の仲間だな。確か暗殺者と言ったか」
「……ケッ、今更思い出したかよ」
「だがこれはどうしたことだ? あの時よりも随分と弱くなっておるではないか……まぁどうでもいいか。
憎き相手とはいえ、この程度の相手に吾輩が手を下すまでもないだろう。
吾輩が直接手を下したいのはあの憎き金色の男のみだ」
興味を失ったかのようにアヤから視線を外す伯爵。
「では吾輩は行くぞ」
[どうぞ、行ってください我が主]
その言葉に、アヤの刃を受け止めた影騎士が伯爵に向かって頷く。
「うむ」
それを見届けた伯爵は、アヤに目を向けもせず フワリ と空中へと浮き上がり先程開けた天井の大穴へと消えていった。
「クソが! 邪魔すんな『影繰・繭玉』!」
アヤが手の印を組み替える。
それに連動して、鋏の様だった影が細い糸となり騎士へと殺到した。
瞬時に、騎士の体がまるで繭に包まれたかの様に赤い影によってグルグル巻きにされる。
「待ちやがれコウモリ野郎!」
そうして騎士を拘束したアヤが天井の穴に向かおうとする。
だが――
ビリッ
そんな音と共に自分の影が破られるのをアヤは感じた。
[行かせるわけにはいかない。主命だからな]
右手に握った剣で影の繭を斬り破りながら現れた騎士が、神速でアヤの行く手を遮ってそう告げた。
「チッ! 邪魔だって言ってんだろうがぁぁぁ!」
大きく舌打ちをして、再びアヤは両手で印を結んだ。
☆★☆
「やはりいい夜だ。満月なのがまた良い」
穴を抜けた伯爵が『特究』の開けた屋上へと姿を現し、大きく息を吸い込んだ。
そうして気持ちよさそうに月光を浴びる。
「だが、あまりこの近くには人の気配を感じないな」
そう呟いた伯爵はキョロキョロと屋上から見える景色を見回す。
「ふむ、あそこだな」
そうして、1つの場所に視線が定まる。
視線の先には街があった。
ここらへんで一番大きな街。
深夜ということもあり半分ほどは明かりが消えているが、それでも濃厚な人の気配を感じた。
『特究』はその性質上、その街から少し離れて作られているが――
「ここからは3キロといったところか……吾輩にとっては大した距離ではないな」
浮いたままそう呟いた伯爵はそのまま街へと向かって飛ぶ。
ドンドンと加速をし、その速度は上がっていく。
このままでは数分もしないうちに街へと到着してしまう。
そう思われた時だった――
バキッ
横から唐突に現れた拳が、高速飛行をしていた伯爵の顔面を的確に捉えた。
ガッシャァン
と伯爵の体は自身の速度と拳の威力によって、横へと吹き飛ばされ屋上を取り囲んでいたフェンスへと激突する。
「よぉ、久しぶりだな」
その伯爵に向かって、軽い声がかけられる。
「……誰だ貴様は。死にたいのか?」
口から垂れた赤い血を手の甲で拭って立ち上がった伯爵が誰何する。
「あれ、覚えてないのか?」
「知るか。ただの人間如きが――いや待て、その輝き……」
伯爵は自らを殴った拳の主――黒いスーツに赤いネクタイを締めた男――の体から立ち上る金色の光に気付いた。
「貴様……もしやあの時の勇者か?」
「思い出してくれたようで嬉しいぜ」
ニヒルに笑いながらスーツの男――師里アキラは答える。
「クククッ、よもやこうも早く会えるとは思わなかったぞ勇者。
だが鎧はどうした?」
「アレか? アレは燃えるゴミの日に出しちゃったよ」
笑いを抑えきれないような伯爵の問いかけに、惚けた答えを返すアキラ。
「ククッ、相変わらず惚けた奴だ。
だが、鎧が無いからと言って容赦はせぬぞ。
吾輩を四分割にした報い、その身で受けて貰う。
――八つ裂きにしてやろう」
言葉と共に、両手の爪を刃の様に鋭く変化させる伯爵。
「こっちこそ、悪いがまた眠っててもらうぞクソ蝙蝠」
対するアキラも体中に勇者光を滾らせ、構えを取った。
次の瞬間、『特究』の屋上で凄まじい力がぶつかり合った。
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