第八話 義妹の親友
「晴斗せんぱーい!」
廊下で掲示板を眺めていると、朗らかなアニメ声に背中を叩かれる。
「あ、莉子ちゃん」
振り向くと可愛らしい八重歯が陽光を反射していた。
「先輩、この前はすみません。
心音ちゃんを押しつけちゃって……」
彼女は申し訳なさそうに両手を合わせる。
「別にいいよ。
うちのチワワがうるさいのはいつものことだし」
「先輩ってば、優しすぎます!」
莉子ちゃんはどさくさに紛れて俺に抱きつく。
彼女は俺の胸に顔を埋めた。
「くはー、疲れた体に染みるぜぇ」
この子……俺の匂いをめいっぱい堪能してやがる。
別に嫌ではないけどさすがに周囲の目が気になる。
「莉子ちゃん……こんなところでは……ね」
「きゃっ♡ 先輩にホテルに誘われちゃった♡」
「ちょ、どこの言語で翻訳したんだよ!」
……俺は彼女の姿を見て、一気に血の気が引いた。
小石川が呆然と立ち尽くしていた。
彼女の手から……教科書が滑り落ちた。
「ちょ、小石川、誤解だって……」
彼女は何も言わずに走り去っていった。
だめだ……莉子ちゃんが邪魔で追えない。
「先輩……もしかして、今の人、好きピ?」
「え、いや……」
俺は小石川のことが好き?
でも、振られたし……
昔から切り替えだけは早かった。
俺だって誰でもいいわけじゃない。
でも、振られた相手にいつまでも固執するのは男らしくねぇ。
けど、切り替えが早すぎるのも良くないのか?
「おーい! せんぱーい!
だめだ……固まっちゃった」
莉子ちゃんは突然、俺の制服をめくった……そして、シャツの中に頭を突っ込んだ。
「うっひょー♡ これはやばいッ♡
むふっ♡ むふふふ♡」
「おい、ハートを撒き散らすな!」
彼女の奇行でようやく我に返る。
「おい……貴様ら……公衆の面前で何をやっている?」
「はっ、佐久間先生!」
先生の青い瞳が細くなる。
「二人とも、後で職員室に来なさい」
「えっ、ちょっ……」
放課後、こってりと佐久間先生からお説教を食らった。
❀
俺たちが解放されたのは既に日が沈んでからだった。
流れで一緒に帰路に着く。
「ふぅ、まったく冗談の通じねぇ、せんせーですぜ」
莉子ちゃんはまったく悪びれる様子もなく、両手を広げ首を振る。
「莉子ちゃん、これからはほどほどにしてくれよ」
「むぅ……先輩のケチ」
「ケチもヘチマもないよ。
これ以上、誤解を生みたくないんだ」
「莉子は誤解されてもいいんだけどなぁ」
「えっ、本当に?」
それは話が変わってくる。
「ちょ、先輩、真に受けないでくださいよ。
冗談ですよ。心音ちゃんにバレたら莉子、殺されちゃいます」
「ははは、それなら同じ墓に入ることになりそうだな。俺も確実に殺られるから」
「……でも、先輩が莉子と駆け落ちしてくれるなら考えてもいいですけどね」
「え、駆け落ち?」
彼女が何を言っているのかさっぱり分からなかった。
「ふふ、じょーだんです。
また、本気にしちゃって……でも先輩なら本当に莉子を遠くへ連れてってくれそう」
「さすがにもう騙されないぞ」
「ふふっ、そうですよね」
莉子ちゃんの笑顔に影が差した気がした。
「この後、夜ご飯でも食べに行きませんか?
今日とこの前のお詫びです」
「お、いいね」
と言っても俺たち高校生が行く店なんてたかが知れている。
コスパの良いファミレスに二人で立ち寄った。
夕飯時ということもあって、店内は家族連れで賑わっていた。
「へぇ、ここが噂のファミレスですか」
「まったく、どこのお嬢様だよ……」
今日は一日中、彼女にからかわれてばっかりだ。
「ねぇ、これすごくないですか?
ハンバーグ二つ付いて、1200円、激安です!」
「そうか? 普通だろ……」
メニュー表を両手で持ち、目を輝かせている彼女が、どうしようもなく可愛かった。
「莉子、これがいい!」
「ええっと……梅茶漬け?」
まぁ、無難に美味いか。
「これが、噂の庶民の食べ物……」
「おい、お嬢様設定を盛るなよ。
俺はいつものおろししそハンバーグ定食かな」
注文だけ済ませて席を立つ。
「先輩?」
「ああ、俺、水とってくるよ」
「水?」
水と氷が注がれたグラスを莉子ちゃんの前に置く。
「へぇ、店員さん持ってきてくれないんですね」
「もしかして、セルフサービスをご存じない?」
「せるふさーびす?
セルフネグレクト的なやつですか?」
「なんでそっちは知っているんだよ」
この子本当にお嬢様なんじゃないのか?
ただ、その割には品行方正はあんまりよろしくない気が……いや、それはさすがに言い過ぎか。
「心音とか友達とご飯って行かないのか?」
「心音ちゃん、お兄さんの動向を把握しておきたいとか何とかで、まっすぐに家に帰るんですよね」
「ははは……それはありがた迷惑な話だ。
心音以外の友達と遊ぶことはないの?」
「莉子……友達、心音ちゃんしかいませんから」
彼女はそう言って顔を伏せた。
一瞬、騒がしい店内が静まり返った気がした。
「バカ言え、俺もいるだろう」
キメ顔で親指を立てる。
「友達でいいんですか?」
「えっ……それは……」
また冗談かと思ったけど、彼女の栗色の瞳は、
まっすぐ俺を見据えていた。
「莉子ちゃん……俺……」
「お兄さん。莉子と駆け落ちする覚悟はありますか?」
同じ質問が、さっきとは異なる表情で飛んできた。
「……」
結局、俺は喉まで出かかった言葉を飲み込んだ。
彼女がどうして駆け落ちなんて言葉を使ったのか、俺には分からなかった。
ただ、その問いに軽々しく答えてはいけない気がした。




