第13話 深淵からの声
暗い。
どこを見ても、暗い。
海面から差し込んでいた光は、もうずっと前に消えていた。
上下の感覚すら曖昧になるほどの暗闇の中を、俺はゆっくりと泳いでいた。
「……深いな」
思わず声が漏れる。
もちろん返事なんてない。
聞こえるのは、遠くから響いてくる海流の音と、自分の身体が水を掻く音だけだった。
以前の俺なら、この場所には絶対に来なかった。
少しでも暗い場所を見つければ、そこに何が潜んでいるのか分からないだけで恐怖を感じていた。
だが、今は違う。
俺はもう、あの頃の弱い小魚じゃない。
捕食して、戦って、生き残って。
何度も死にかけながら、それでも生き延びてきた。
だからこそ、今まで避けていた場所にも足を踏み入れられるようになった。
「……とはいえ」
俺は周囲を見回す。
「暗すぎるだろ、ここ」
何も見えない。
自分の身体すら、輪郭が分からない。
さすがにこれは困る。
何かが近づいてきても、見つける前に食われる可能性だってある。
少し浅いところに戻ろうか。
そう思った、そのときだった。
――ぽつ。
暗闇の中に、小さな光が浮かんだ。
「……ん?」
最初は気のせいかと思った。
しかし、光は消えなかった。
むしろ、ゆっくりとこちらへ近づいてくる。
ゆらり。
ゆらり。
まるで水中を漂う小さな炎のように。
「何だ、あれ……」
警戒しながら距離を取る。
光が近づく。
さらに近づく。
すると、その光の下から何かが姿を現した。
大きな口。
鋭い牙。
そして、異様に大きく開いた顎。
「うわっ!」
反射的に後ろへ飛び退く。
しかし、その魚は俺を襲わなかった。
ただ、こちらをじっと見つめている。
頭の先には、奇妙な器官が付いていた。
それが、さっきから光っていた正体らしい。
俺は目を細める。
「……チョウチンアンコウ?」
その瞬間。
目の前の魚が、ニヤリと笑った。
「ククク……」
「……?」
「よくぞ来てくれた。」
妙に低い声だった。
「我が『魂の灯火』に導かれ、この煉獄の底まで辿り着いたか……」
「……」
「名も無き小魚よ」
「いや」
俺は即座に突っ込んだ。
「普通に光に釣られて寄ってきただけなんだけど」
「……」
「それに、お前」
俺は目の前の魚を指差す。
「ただのチョウチンアンコウだろ」
沈黙。
アンコウの表情が固まった。
「……」
「……」
「フッ」
突然、アンコウは笑った。
「凡百の眷属には、我が真なる姿を理解することなどできぬ」
「いや、姿も何もアンコウじゃん」
「我が名は――」
アンコウは大きく身体を反らした。
そして、堂々と名乗る。
『常闇を照らす叛逆の堕天魚!』
「長ぇよ!」
思わず叫んだ。
「あと魚って入っちゃってるじゃねえか!」
「細かいことを気にするな!」
「お前が一番気にしてそうな名前だろ。」
なんなんだ、こいつ。
俺は今まで、それなりに変な生物とも遭遇してきた。
だが、ここまで面倒そうな奴は初めてだ。
「さて……」
アンコウは再びこちらを向く。
「貴様、名を何という?」
「……阿部」
「アベ……」
アンコウは意味深に呟く。
「なるほど……」
「何が?」
「やはりな」
「何がだよ」
「貴様には、深淵の力が宿っている」
「宿ってない」
「隠しても無駄だ」
「隠してない」
「ならば証明してみせろ」
「何を?」
「貴様の力を」
アンコウの提灯が、紫色に明滅する。
俺は呆れながらも、少しだけ警戒した。
こいつ、ただの変な奴ではないのかもしれない。
深海という環境で生きている以上、それなりの力はあるはずだ。
俺は周囲を見回す。
そのときだった。
暗闇の奥から、何かが近づいてきた。
複数の影。
こちらへ向かってくる。
アンコウが笑う。
「ククク……」
「……何だ?」
「どうやら、歓迎されているようだな」
「いや、絶対違うだろ」
俺は身体を低くする。
暗闇の中から、牙を持った魔物が姿を現した。
その数、五匹。
俺は身構える。
だが、隣にいたアンコウは――。
「下がっていろ」
「え?」
「我が深淵を見せてやろう」
提灯の光が、ふっと消えた。
完全な暗闇。
次の瞬間。
闇の中から巨大な口が現れた。
そして――。
ゴクリ。
「……」
魔物の一匹が消えた。
「…………」
さらに一匹。
ゴクリ。
「………………」
アンコウが、ゆっくりとこちらへ戻ってくる。
提灯が再び光った。
「これが、我が力だ」
俺はしばらく黙っていた。
「……お前」
「何だ?」
「普通に強いな」
「フッ……当然だ」
アンコウは得意げに笑う。
「我は深淵を統べる者――」
「ただのアンコウだけどな」
暗い海の底に、俺のツッコミが響いた。
こうして俺は、妙な魚と出会った。
第13話どうだったでしょうか?新キャラも出てきましたね!ぜひ次回も読んでください!
???「お前たちも我が『魂の灯火』に導かれ、この作品にたどり着いたか」




