↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
6/46

第6話:では、皆様。私は明日から旅立ちますわ




 一週間後、アドルシュタイン家の夕食。


 エレナは、すぐにでも出発しようと思ったが、イザベラに「十分に体を休めない奴が、戦いに勝てるはずがない」と散々止められ、渋々休養することとした。「体力づくりのため筋トレも一緒にするか?」と誘われたが、エレナはハッキリと断った。


 エレナはベッドから、のそのそと起き上がりアドルシュタイン家の夕食の席に着いた。


 食卓についたアドルシュタイン家の面々の前には、色鮮やかな夕食が並んでいる。しかし、侯爵家の食卓としては明らかに質素だった。


 ――この家の住人は、揃いも揃って食に執着がない。彼女らにとって食事とは、彩りこそあれど、ただ身体を動かすための燃料を補給する作業に過ぎないのだ。

 

「エレナ、だいぶ元気になったんじゃないか」


 ヴィクトリアの夫である北部騎士団副団長カシアン・ヴァラド・アドルシュタインが、エレナに声をかけてきた。


 長身で黒髪のカシアンは、整った容姿をしている。彼が通り過ぎるだけで女性たちが色めき立つ。しかし、エレナにとっての彼は観察対象の一つに過ぎなかった。五年ぶりに視線を交わしても、その印象は「以前と変わりない」という一点に尽きた。


「ええ、カシアンお義兄さま。いつまでも塞ぎ込んでいては、イザベラお姉さまが、出発を許可してくださいませんから」


「あたりまえだ。心身共に健康でなければ、戦えるはずなどないだろ」


「おまえは、元気すぎる」

「なんだと……」


 カシアンは、イザベラにいつものように反論した。イザベラは、北部騎士団所属の騎士だ。二人は同じ年であり、ライバルでもある。軽口をたたくことなど日常茶飯事だ。


「エレナああああ……本当に、スラム街に行ってしまうのかい。王宮での重要参考人の汚名は、晴れていないんだぞ?危険すぎる。父さんは、断固反対だ」


 父は熊のような巨体に似合わない所作で、上品に食事を済ませながら、エレナに話しかけた。父が娘の行動に反対するのは珍しいことだった。余程エレナが生気のない目をして帰ってきたのが、悲しかったのであろう。


「お父様、心配には及びません。エレナには帰る場所がありますし、アンとマルタがいます。身の安全くらいは、守られるでしょう。それに、指名手配書については、すでに手を打っております」


 エレナの代わりにヴィクトリアが、父をなだめるように答えた。父は、驚いた顔で、ヴィクトリアを見返した。


「どんな手なんだい?」

「王都へは、ガルダリカとの戦争の貸しがありますから。直々に私が手紙を書いておきました。今は完全に王都爆破の重要参考人の肩書を消すことはできませんが、調査の手を和らげることくらいは可能です」


 ヴィクトリアは食後の紅茶を飲みながら、ゆったりと話した。


(北部騎士団が出兵したことを貸しとして使うなんて。やはりヴィクトリアお姉さまは、カシアンお義兄さまが出兵したことを快く思ってなかったのですね)


 エレナは、頷いて聞いていた。


「私もエレナが心配だ。ついていきたい」

 イザベラはステーキを豪快に食べ終わった後、駄々をこねた。


「イザベラお姉さまがいらしたら、まず目立ちすぎます。自ら捕まる危険性を上げるようなこと、私にはできませんわ」


「北部騎士団の仕事は、どうするんだ。団長やイザベラの代わりに書類を整理することは、ごめんだ」


 カシアンとエレナに一喝され、イザベラは退屈そうに「わかった」とだけ告げた。


 エレナは、食事を済ませ、紅茶をゆっくりと飲んだ。

 そして、アドルシュタイン家の面々を見渡した。



「では、皆様。私は明日、旅立ちますわ。また、お会いする日まで、ごきげんよう」



 エレナは、退屈な王宮の花嫁修業で身に着けた上品な所作で、アドルシュタイン家の面々に別れの挨拶を交わした。




*******



 王宮、第三王子カイルの執務室。

 冬の午後の日差しが、カイル殿下の執務室を穏やかに照らしてる。


「ああ、なんて穏やかなんだ」


 カイル殿下は、執務室の机でだらだらと過ごしながら呟いた。

 目の前には、エレナが代わりに処理していた決裁すべき書類が山のように積まれている。


「あのデリカシーのない女がいなくなって、清々している。本当に情の欠片もない可愛げのない女だった。陛下も、なんで……あんな女を僕の婚約者なんかに」


 ブツブツと、独り言のようにカイル殿下は呟いていた。


「もう、良いじゃないですか。エレナ様は、お噂通りの方でしたね。王宮の敷地を爆破してしまうなんて、猛獣という言葉が真実であったと実感してしまいました。……でも、私が悪いんです。私が、殿下とエレナさまの間に入ってしまったから」


 執務室の来客用ソファに座っていたリリアは、可憐なる瞳をうるうるとさせている。その姿は、誰が見ても愛らしさを感じさせ、保護欲を掻き立てる姿だ。


「罪悪感で、胸が潰れそうです」

 そう訴えるリリアをカイル殿下は、後ろからそっと抱きしめた。


「リリア嬢、エレナのことなんか気にする必要ない。きみの献身的な姿には、誰も敵わないんだ。僕が君に惹かれるのも、当然のことなんだよ?」


 カイル殿下とリリアは、完全に二人きりの世界を作りあげていた。


 そもそも今は、執務の時間である。室内に二人ほど殿下の補佐官が、机で書類を捌いていた。二人の補佐官は必要最低限の会話しかせず、二人を無き者として業務を淡々とこなしている。


 一人の補佐官が声をあげた。


「カイル殿下。このスラム街の予算決裁は、どうしますか。ゼーマン伯爵から、来年の雨期に向けて治水工事の追加請求書がきています」


「スラム街は、良くしていくべき地域だ。国家予算で足りないのであれば、僕の年間予算を使えばいい。後で印を押しておく。僕の机に置いておいてくれ」


「リリア嬢、あと少しで君は僕の婚約者となる。きみの純真な心を傷つける者を僕は許さない」

「カイル様……嬉しいです」


 どうやら、ゼーマン伯爵の書類さえカイル殿下を現実に戻す効力はないらしい。


 (やれやれ、またカイル殿下の決裁書類が山積みになる……以前はエレナ様が処理してくれていたから何とかなっていたが……)



 補佐官二人は大きなため息を同じタイミングでついた。



つづく



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。