第40話:損失はきっちり回収されましたわね
陛下は残されたカイル殿下とエレナを見た。カイル殿下は、ただただ、拳を固く握りしめている。そして、リリアは、そんなカイル殿下の手を両手で強く握った。
エレナは、ただその様子を冷静に見つめていた。
「カイル、リリア、何か申し開きはあるか」
バンと審問の間に響くようにカイル殿下が机を叩き立ち上がった。リリアも、カイル殿下と腕を組み立ち上がる。
「エレナ!貴様……これで満足なのか?」
「エレナ様、なぜなのですか……もっと平和的に解決する方法があったはずです」
陛下は、黙って二人の様子を聞いていた。エレナは、挙手をし立ち上がる。
「そもそも、おまえが投げだしたことをゼーマン伯爵がやってくれたんだぞ?……感謝すべきではないのか」
「感謝ですか、その定義は間違ってますわ。被害を受けた側へ強要するものではありません――そもそも。殿下は、スラム街を改善しようと現場を視察されたことがありますか?」
「視察ならしたさ! 現場でも会っただろう?」
「そうです……エレナ様にもお会いしましたよね?」
すがりつくようなリリアの声にエレナは、深くため息をついた。
「ええ、お会いしましたわ。高価な靴を履き、汚さぬように気になさりながら、一時間ほどスープやパンを配って、お帰りになられた……おままごとのようなことですか?食事の提供に関しては、否定しませんが。私の考える視察とは、ずいぶん違うようですわ」
「なっ……!」
カイル殿下は声をあげた。気にせず、エレナは続けた。
「では、お聞きします。あの日の視察で、改善すべき点を一つでも見つけられましたか?」
「……スラム街の者は、身なりも貧しく、皆、助けを待つしかない者たちだった」
カイル殿下は、顎を引きエレナを睨みつけるように言った。
「私の見解とは、ずいぶんと乖離があります。――私が現地で対話したスラム街の住民は、己の課題を認識し、解決へと動く力を備えておりました。少なくとも、殿下やリリア嬢が、哀れで何もできない弱者と決めつけ、上から恵んで満足なさっているような存在では、ありませんでしたわ」
リリア嬢は、涙ぐみながらエレナを見た。
「……何がわかると言うのですか?エレナ様のような非情な人間に。住人たちの苦悩が理解できるはずが、ありません」
「ええ、情という観点でしたら、理解はできませんわね。ですから、現地で見て、聞いて、調べたことだけを申し上げています」
エレナは、一呼吸置いた。
「殿下は、哀れな民をご覧になった。私は、共に街を変えようとする人々を見ましたわ」
「……今さら何を言う。おまえは、俺が提案した時に何もせず、ただ見下しただけじゃないか」
「殿下は、ずいぶん過去に囚われておいでのようですね。私は、婚約破棄以降、スラム街の改善だけを見ておりました。見ていたものが違えば、話が嚙み合わないのも当然ですわ」
カイル殿下は、拳を震わせながら叫んだ。
「屁理屈をこねるな!あの時、おまえが俺の手をとっていれば……こんな事態になることも、なかったんだ!」
「何をおっしゃいますの。無知な殿下と手を取り合ったところで、破綻するのは目に見えておりますわ。それに、先に私の手を放し、リリア嬢に溺れたのはカイル殿下ですわ」
エレナは、冷徹な目で二人を見つめた。
「私は、婚約破棄の時にもお伝えしましたわ――『私という実務を捨て、彼女という情を選んだ結果。……待っているのは、貧しい現実かもしれませんけれど。よろしいのですね?』と」
エレナは、静かに目を伏せた。
「あの時の答えが、今日ですわ」
カイル殿下とリリア嬢は、返す言葉がなくなり力なく座席へ座り込んだ。エレナも静かに着席する。
陛下は、三人をみおろした。
「もうよい。十分だ」
「カイル、リリアとの婚約を許可する」
審問の間は、静まり返った。予想外の言葉にリリアとカイルは、驚いて陛下を見つめた。エレナも、さすがに言葉を失ったが、陛下の言葉を待った。
(……本当に何を考えているのか。相変わらず、読めない方ですわね)
「……父上?」
「カイルよ。無知と浅慮をもって、国家の公金及び自らの予算を流出させた罪は重い。己の非を認めるどころか。責任を他者へ転嫁する見識のなさは、見るに耐えん。そして、余がスラム街へ送り出した課題の答えも見つけられなかったようだな」
「父上……」
「カイル、王位継承権を永久に剥奪する。王族としての籍を抜き、特権と資産を没収とする」
「なっ……」
「リリア。カイルに同調し、ローデル商会から金品を購入し、曖昧な感情論で国法を軽視した罪は重い。男爵家におけるすべての権利および身分を剥奪し、除籍とする」
「そ、そんな……」
崩れ落ち涙を流すリリアたちに陛下は、視線を落とした。
「婚約破棄の会場で申していたではないか。二人とも、『貧しさに身を落とすことになっても後悔しないと』――二人の婚約を認め、スラム街の民に尽くすように命じる」
陛下の宣言とともに、左右から控えていた王都騎士団が進み出で、もはや貴族の衣装すら身に纏うことを許されぬ二人の腕を力づくで拘束した。
「――連れて行け。二度と王宮の敷居を跨がせるな」
審問の間でエレナと陛下は、視線を合わせた。
「エレナ・ヴァン・アドルシュタイン」
「はい」
「アドルシュタイン家への戦争の借りは返したぞ」
「アドルシュタイン家の当主へ伝えておきますわ」
「――そして、事の元凶たるゼーマンが去った今、エレナ・ヴァン・アドルシュタイン。不当に着せられていた指名手配犯の汚名は、今後の公式調査の完了をもって完全に解かれることとなる」
国王は重厚な座に深く背を預け、エレナへ告げた。
「不当に歪められ、奪われていた過去の功績や評価についても、すべて正しき形へと復元させよう。しかるべき権利が、あるべき主のもとへ戻るのだ」
エレナは、静かに姿勢を正した。
「不徳の糾弾、見事であった。――アドルシュタイン家の忠義に感謝を述べる」
エレナは、両手の指先でドレスの裾を優雅に持ち上げると、滑らかな動作で、深々と頭を下げた。
「ありがたきお言葉、謹んでお受けいたしますわ」
そして、顔をあげた。
「では陛下。最後に一点、申し上げてよろしいでしょうか」
「なんだ」
「私の五年間の労働に対する、退職金についてですわ」
審問の間に、わずかな沈黙が落ちる。
陛下はしばらくエレナを見つめた。
「ああ、あの件か」
「ええ、当然ですわ」
エレナは即答した。
「婚約期間中、私は王宮において数多くの実務を担いました。先ほど陛下がおっしゃった通り、その功績と評価も正しき形へ復元されますわよね?」
「ああ」
「でしたら、算定に必要な実績はすべて揃いますわね」
エレナは薄い紫水晶の瞳を陛下に向けた。
「王宮の職務規定に厳格に準拠し、過去五年間の功績を正当に査定した上で――退職金を正式に請求いたしますわ」
陛下は僅かに眉を動かした。
「国債の発行を含めた分割――そうお話されていましたけれど、今回の功績も手数料として、上乗せして、一括でお願いいたしますわ」
陛下は一瞬だけ沈黙した後、小さく息を吐いた。
「……金額に関しては正式な査定を待て」
「公の場でのお約束、お忘れないでくださいませ」
「承知した」
エレナは、再び優雅に頭を下げた。
婚約破棄をされたあの夜にエレナが回収できなかったもの。
五年間積み上げた功績。
不当に奪われた評価。
アドルシュタイン家としての誇り。
王宮爆破犯として着せられた汚名。
五年間の労働に対する正当な対価。
あの時、損切りしたはずの損失が、ようやく利益を生みだし、正しい形でエレナの元へ戻ることとなった。
(これでようやく――)
エレナは顔を上げ、真っ直ぐ前を見据えた。
(損失はきっちり回収されましたわね)
つづく




