第4話:査定、ですか。……望むところですわ
アドルシュタイン邸の食堂へ足を踏み入れるなり、爆音が部屋を揺らした。
「エレナぁぁぁぁ!我が愛しき末娘よ……!無事だったか?怪我はないか?今すぐ王都に北部騎士団を差し向け、その不敬な手配書をすべて回収してやるからな!!」
涙と鼻水で顔をぐちゃぐちゃにした巨漢の男。エレナの父が、転げ落ちるような勢いで駆けてくる。感動の再会――普通なら抱き合って涙する場面だが、その突進は冷ややかな一言によって、制止された。
「お父様、お静かに」
食卓中央の椅子に深く腰掛けた長姉ヴィクトリア・ヴァン・アドルシュタインが扇子をパチンと閉じた。漆黒の髪に、エレナよりも深い紫水晶の瞳。その姿は『女帝』と比喩される彼女に相応しい。
「ヴィクトリア、エレナが帰ってきたんだぞ?王宮爆破の重要参考人など理不尽な」
「お父様。今は、一分一秒が重要な局面です」
ヴィクトリアの冷徹な視線が、エレナに注がれる。
五年ぶりに実家に帰ったエレナの姿は、五年前よりも鋭く、どこか虚ろだった。
「ヴィクトリアお姉さま、ただいま戻りました」
「ええ。改めて見ると、酷いものですね。五年前、貴女を王宮へ送り出した時よりも、さらに人間を辞めてきたようですね」
ヴィクトリアは席を立ち、エレナの頬を指先でなぞる。王宮に搾取された、抜け殻を査定するためだ。
「労働による精神的摩耗、あるいは過剰な最適化の結果でしょうか?年頃の娘が、戦場帰りよりも、殺風景な目をしているなんて。これでは、令嬢としての市場価値は暴落していますね」
エレナは表情を変えず、淡々と自分の状態を報告するように口を開いた。
「すべてを論理で切り分けなければ、あの環境では死んでいたでしょう。これは、生存のための不可避な処置ですわ」
エレナのその言葉に、背後で控えていたアンが痛ましそうに目を伏せる。
「エレナ、そんな哀しいことを……!」と、父が再び駆け寄ろうとしたが、ヴィクトリアの合図一つで、マルタが影のように動いた。
「お父様。今は非論理的な会話は時間の無駄です。申し訳ありませんが、お部屋に軟禁させていただきます」
「な、何を!!待て、離せ! 私は、まだ、エレナぁぁーっ!」
父がマルタに連れられ物理的に退場する。そして、食堂にはアドルシュタインの実務担当である三姉妹とアンだけが残された。
「さて、本題に入りましょうか、と言いたいところですが。その前に、その小汚い姿を何とかしてきてください。話は、それからにしましょう」
ヴィクトリアの視線が、ぼろぼろになったエレナに注がれた。
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エレナは、アンとマルタの手によって、入浴と着替えを済ませた。用意されたのは、アドルシュタインの家紋が刻まれた、無機質だが最高級の黒い礼装。彼女は、五年ぶりの自室で休息した後、すでに姉たちが集まっている夕食の席へ着いた。
(……さあ、地獄より活気のある姉妹の対話の時間ですわ)
ヴィクトリアは、テーブルの上に置かれた一枚の紙を汚物でも見るかのような目で、指し示した。
そこには、王家の紋章とともに【王宮爆破の重要参考人:エレナ・ヴァン・アドルシュタイン】という文字と、エレナの似顔絵が描かれている。
「……お姉さま。改めて見ても、私は国家公認の犯罪者ですわ。アドルシュタインの名を汚したこと、申し開きができません」
エレナが沈痛な面持ちで告げると、ヴィクトリアは少しだけ笑った。
「エレナ、本気で言っていますか? 」
ヴィクトリアは扇子の先で似顔絵を叩いた。
「ご覧なさい。まず、この顔。あなたの造形から、大幅にズレていますよ。次に、罪状。……爆破?エレナが本気で爆破を計画するなら、中途半端に壊すなんて非効率なことは、しないはずです。周辺の汚職官僚の宿舎と、証拠隠滅用の地下通路まで、一括削除するのがアドルシュタインの流儀ですね」
「そうだな。本当に爆破するなら建物ごと消えている」
イザベラも横から手配書を覗き込み、ふっと笑う。エレナは、姉たちの言葉に小さく息を吐いた。
「……確かに、おっしゃる通りですわ。私が実行犯なら、爆発の余熱でコーヒーを淹れるくらいの余裕は持たせます」
「エレナ、こんなゴミを真実として受理した、お前の知能を疑うぞ」
姉たちのツッコミに、エレナの胸の内にあった絶望が散っていく。
「……失礼いたしました。私、低次元な王宮に五年間も浸かっていたせいで、目詰まりしていたようですわ。こんな手配書、即座にゴミ箱へ送るべきでした」
「気づくのが遅いですよ」
ヴィクトリアは、手配書をその場で破いた。
その様子を見て、少しだけエレナの口角があがった。
「エレナ、私はアドルシュタイン当主として、あなたが助けるに値する人間か確認する必要があります。こんな、くだらない手配書だとは思っていますが。国から要請があれば、あなたを差し出さねばならないのも事実です」
「査定、ですか。……望むところですわ、ヴィクトリアお姉さま。今の私には、失うものなど何もありませんもの」
エレナの即答に、ヴィクトリアは扇子で口元を隠し微かに笑った。
「ははははっ!威勢だけはいいな。エレナ」
ヴィクトリアとエレナのやり取りを見ていたイザベラは、豪快に笑いながらエレナに近づいた。そして、ぐしゃぐしゃと頭をなでた。
「イザベラお姉さま、もう」
と言いながら、エレナは髪を整えヴィクトリアを見つめた。
「では、口先だけではないことを証明してもらいましょうか。これが資料です」
ヴィクトリアが差し出したのは、分厚い一冊の計画書だった。表紙には「スラム街の環境及び治水改善計画」と記されているが、その数字の羅列は、素人が見ても絶望するほど真っ赤に染まっている。
「エレナ、これに見覚えがありますね」
「はい、ヴィクトリアお姉さま。これは以前、カイル殿下が『スラム街をもっと見直す必要がある。より良い街にしよう』と。カイル殿下が情に絆されて、持ってきたお仕事です」
エレナは、ヴィクトリアを見たまま言葉を続けた。
「発想は悪くありませんでしたが……私は、スラム街より王都を優先すべきだと考え、こちらに介入するのは止めましたわ」
(これが、なぜアドルシュタイン家にあるのでしょうか。しかも、赤字ばかりですね)
「エレナ、スラム街の管轄でアドルシュタインと国の間に摩擦があるのは知っていますね?そして、そこにゼーマン伯爵が関与していることは理解していますか」
「ゼーマン伯爵。いえ、スラム街の問題からは手を引いたので、興味がありませんでした」
「スラム街が北方と王都の境界線にあることは、知っていますよね。実は、あなたが投げ出した後、アドルシュタイン領で整備するようにと。三年ほど前に、カイル殿下から依頼がきていたのです。しかし、治水計画など私の手には余ります。当主として、今管理すべきではないと考え、放置していました」
ヴィクトリアは、エレナをしっかり見据えた。
「スラム街の治水計画は、負債の吹き溜まりです。そして、恐らくゼーマン伯爵が介入しているのではないでしょうか。無に帰ったのであれば、実績をスラム街で、作ってみせてください。ここを再建し、利益に書き換えるのです」
ヴィクトリアの査定。それは、アドルシュタインの血を引く者への、生存試練だった。エレナは、ヴィクトリアに差し出された資料を抱きしめた。
「……わかりましたわ。しかし、思考する時間が必要ですわ。夜明けまで、時間をください。ヴィクトリアお姉さま」
「良いですよ。夜明けに答えが出ないのなら、そのまま雪の中に埋まっていてください」
ヴィクトリアの表情は、女帝から姉に戻っていた。
窓の外では、北部の雪がいっそう激しさを増し、アドルシュタイン邸の壁を叩いていた。だが、食堂に流れる空気は、それ以上に鋭かった。
「アン、マルタ」
エレナの声に、二人のメイドが即座に膝をついた。
「お嬢様の労働を世界で最も高価な時給へと書き換えられるよう、お手伝いします」
マルタは言った。そして、アンは涙をぬぐった。
その光景を見てヴィクトリアは、少し微笑んだ。
「エレナ、お父様は適当に泣かせておけばいいのですが。ゼーマン伯爵には、アドルシュタイン家流の計算の基本を教えてあげてください。イザベラも、何かあれば、エレナを補助する準備はできていますか」
イザベラは、凶暴な笑みを浮かべた。
「ああ。エレナが指差す先を整頓してやる。王宮の騎士団だろうが、実績泥棒の伯爵だろうがな。掃除の時間は、私の最も得意とする分野だ」
「いいでしょう。それでは、夕食をはじめましょうか。準備してください。あ、お父様とカシアンも呼んでくださいね」
ヴィクトリアは、メイドたちへ給仕を命令した。
【王宮爆破の重要参考人、エレナ・ヴァン・アドルシュタイン】
社会的には死んだも同然の彼女は今、この雪深い北部の城で、より巨大な猛獣へと復活した。
「ゼーマン伯爵。貴方が、私の名前を書き換えたそのインクの代償、アドルシュタインの利率で計算させていただきますわ」
エレナの瞳に宿る紫の炎は、冷たく。
けれど、消えることのない執念を燃やしていた。
つづく




