第38話:アルドの欲を不快には思いませんでしたわ
監査委員会による調査が開始された。
エレナたちは監査委員会の要請に応じるため、マルタたちと合流すべく再びスラム街へ向かった。監査官が現地へ入れば、住民の案内や証言の整理が必要になるからだ。
王都からスラム街まで馬車を乗り継いで、ようやく辿り着いたスラム街の広場では、マルタとアルド、それに石工の老人たちが監査委員会を迎える準備を進めていた。
「エレナ!」
フードを被ったエレナを見つけたアルドと、マルタは駆け寄ってくる。
「アルド、マルタ。ご苦労様ですわ」
「お嬢様、首尾はいかがでしたか?」
「順調ですわ。連絡した通り監査委員会の方々が、明日より調査に訪れる予定です」
アルドとマルタは、ほっとしたような表情でエレナを見た。
「エレナは、どうするんだ?」
「現場の調査対応は、マルタと職人の皆様に託しますわ。私が前に出過ぎることは、検証の客観性を損ねますもの」
「承知いたしました」
エレナは職人たちの前に立ち、速やかに役割を振り分けた。そして、隣にいたアルドが何か言いたそうに視線を送っていることに気がついた。
「アルド、少し場所を変えましょうか」
心配するアンに「見える範囲にいますから」とだけ告げ、エレナとアルドは二人だけになった。二人が話をするために選んだ場所は、広場を見下ろすことができる高台だった。スラム街の職人――いや、アドルシュタイン領の住人たちが、監査委員会を迎えるべく生き生きと動き回っている。
アルドは、どこか誇らしげにその光景を見て言った。
「エレナ。俺は、悪いことをしてでも、今日飯を食えればいいって。そう生きていくしかないって考えてた。けど、違ったんだな」
「何が変わったのですか?」
「エレナが仕事を任せてくれて、正当な報酬をくれた。そして、アン、マルタ――職人のおっちゃんたちを見てると諦めなくてもいいって思えてきたんだ」
エレナは広場の職人たちを眺めながら、静かにアルドの話を聞いていた。
「俺は、もっと変わりたい。うまく言葉にできないけど――もっと働きたい。稼ぎたい。妹たちが胸を張ってスラム出身だって言えるように。この街を変えていきたい。そして――」
アルドはエレナの横顔を見た。
「――もっとお金持ちになって、エレナと対等に立てる人間になりたい。これって欲張りかな?」
エレナは、その言葉に少し驚いてアルドを見た。アルドは何事もなかったように、広場の方角を見た。その耳が少し赤いことにエレナは気がついたが理由はわからなかった。
エレナはアルドと広場を交互に見渡した。
――『欲張り』という表現が妙にエレナの心の中に落ちた。
(……欲)
ゼーマン伯爵は利益を求めた。そのために工事を完成させず、街から利益を吸い上げ続けた。自分の利益に忠実な欲。
カイル殿下は『スラム街の住人を助けたい』と願い、私財まで投じた。けれど、その善意がどのような結果を生んでいるのか、検証しようとはしなかった。リリア嬢は、カイル殿下の善意を肯定し続けて、現実を見る機会を奪ってしまった。正しい自分たちでありたい欲。
そしてアルドは、もっと働きたい、稼ぎたい、この街を変えたいと言う。
(同じ欲という言葉で分類するには、少し違和感がありますわ。じゃあ、私の欲は?)
「……わかりませんわ」
欲望とは、もっと単純なものだと思っていた。
欲しいものを得る。
失ったものを取り戻す。
より多くの利益を求める。
自分を認めてほしいとあがく。
(同じ欲でも、その先に残るものは違うのでしょうか)
「エレナ?」
「アルドの今言った欲を、不快には思いませんでしたわ」
アルドは、エレナらしい返答に笑い声をあげた。
「ははっ! じゃあ、俺はもっと欲張って生きるよ」
「ええ。その結果をまた、観測させていただきますわ」
「そこは、もっと応援するところじゃないのか」
「応援?応援してほしいのですか」
エレナは、まじまじとアルドを見つめた。
アルドは一瞬沈黙して首を横に振った。
「いや、いい。自分の力で、つかみに行くよ」
アルドは、広場を見下ろしながら静かに笑った。
「じゃあ、俺は戻るよ」
アルドは駆け足気味に高台を降りようとし、一度だけ振り返って大きく手を振った。
「エレナ! ありがとな」
そう言うと前を向いて走って行った。
(何に対しての感謝なのでしょうか)
エレナは、走り去っていくアルドの後ろ姿をしばらく見つめていた。
つづく




