第34話:では、いってまいります
アンに髪を綺麗に結いあげてもらったエレナは、久しぶりに上質な日常着に身を包み、ヴィクトリアの執務室の扉を叩いた。「どうぞ」その声と共に、ヴィクトリアの執務室へ足を踏み入れる。
「座って下さい」
エレナはヴィクトリアに促され、執務室の来客用ソファに腰をおろした。メイドたちが、紅茶を給仕し「失礼します」と部屋を後にする。執務室には、ヴィクトリアとエレナの二人だけが残った。
「それでは、報告をお願いします」
ヴィクトリアは、向かいのソファへ静かに腰掛ける。
「はい。ヴィクトリアお姉さま」
エレナは資料をヴィクトリアに差し出した。ヴィクトリアは、渡された資料をぱらぱらとめくる。
「出発前に私が立てた仮説通り、スラム街の治水工事は、ゼーマン伯爵が利益を得るための構造であることは間違っていませんでした。しかし、想定を上回る規模でしたわ」
エレナは、ヴィクトリアを真剣な眼差しで見つめて続けた。
「人件費、材料費――ありとあらゆる手段を使い搾取が行われていました。工事が完成すると利益が止まります。毎年、補修し続けることが、この構造では最も利益を生み出しますわ」
「エレナが出発前にたてた仮説が立証されましたね。この、ローデル商会の関与はどうだったのですか?」
ヴィクトリアは、資料を指さしエレナに質問した。
「ローデル商会は、スラム街の物流を支配し、全ての業者の統括を行っていましたわ。物流を支配し、人も、資金も、記録も支配していました。そして恐らく利益は、ゼーマンの派閥へ循環し、ゼーマンがその中心にいます」
ヴィクトリアは、少し沈黙し考え込んだ。エレナは、言葉を続けた。
「治水事業は失敗していたのではありません。ゼーマン伯爵の利権としては、完璧に機能していたのですわ」
「エレナ、ゼーマン伯爵とゼーマン派閥、そしてローデル商会。この三点を結ぶ証拠が、弱いのではないですか」
「ええ、現状では見ての通り、仮説と状況証拠が中心ですね」
「つまり、このままでは裁けませんね」
「はい」
ヴィクトリアは、再度資料を見つめながら考えこんだ。
エレナは、紅茶に優雅に口をつけ、動じることなくヴィクトリアが言葉を発するのを待った。
「なるほど。私たちが証明する必要はない――そういうことですね?」
「はい。証明に時間を割く必要はありませんわ。もっと、合理的に進めたいと思います。私たちに辿れないのであれば、辿れる権限を持つ者に調べていただきますわ」
ヴィクトリアは背筋を伸ばした。そして、紅茶で喉を潤しティーカップを机に置いた。一呼吸置いたあと、眼差しをエレナに向ける。
「――王都の監査委員会ですね」
「はい。正式に告発するつもりですわ。ご協力いただけますよね?アドルシュタイン家当主、ヴィクトリア・ヴァン・アドルシュタイン様」
ヴィクトリアは、しばし無言でエレナを見つめたあと、ふっと小さく笑う。ゆっくりと立ち上がり、執務机の引き出しから、アドルシュタイン当主の印章を取り出した。そして、エレナが持参した調査資料の束の表紙に、躊躇なく捺印する。
「いいでしょう。勝算はあるようですね。……ですが、エレナ。仮説のまま、監査委員会を動かせば、己が破滅する場合もありますよ。その覚悟はできていますか?」
「もちろんですわ。私がどんな状況でも思考を止めることを、二度としないと決めた以上、ここで破滅するなど考えられませんわ。例え立証できなくとも、新たな仮説を立ち上げ、立証するよう動けばいい、ただそれだけのことです」
「監査委員会がでるとなれば、王家も黙ってはいないかもしれませんよ?」
ヴィクトリアの心配をよそに、何でもないことと言うようにエレナは口角をわずかに上げた。
「ちょうどいいですわ。私が王都の禁書を堪能する暇もなく、死んだことにされた五年間も、一緒に取り返して参りますわ」
エレナは、優雅に紅茶を飲みほし、カップを静かに机に置いた。
******
ヴィクトリアが、アドルシュタイン家当主として、王都の裁判所へ正式に告発状【スラム街治水事業に係る不正及び公金不正流用の疑い】を提出してから、一週間ほどが経過した。
ヴィクトリアとエレナが提出した告発状は、国王の元へ瞬く間に届けられた。すぐさま、王命による監査委員会が招集され、まず関係者への聴取が行われることとなった。
「エレナ気をつけて」
出発前のアドルシュタイン城門前で、父は心配そうに三人を見つめた。
「……私も行きたかった」
置いて行かれることがわかり、完全に拗ねたイザベラは、ぶつぶつと独り言のように呟いた。
「イザベラお姉様が一緒に来ると何か別の厄介事が舞い込んできますから」
エレナは、淡々と告げた。
「あ、そうだ。エレナ、間に合って良かった」
イザベラは、思い出したように小さな箱を取り出しエレナに渡した。エレナは、それを受け取り少しだけ笑った。
「イザベラお姉さま、ありがとうございます。あの偏屈な魔石師殿は、お元気でしたか?」
「ああ、でも良かったのか?今回、借りを作ったことで、また面倒なことになるぞ」
「ええ、かまいません。何とでもなりますわ」
馬車の最終的な安全確認が終了したカシアンが、エレナへ声をかける。アンは、静かに馬車の前に控えていた。
「そろそろ、出発の準備ができたぞ」
「はい。では、ヴィクトリアお姉さま、皆様。いって参ります」
「……本来であれば私も同行したいところですが、当主が領地を空けるわけにはいきません」
「承知しております」
ヴィクトリアは、周りには気づかれないが、心配そうな表情で、その場に立っていた。
「では、いってまいります」
「エレナ。もし、失敗したら、ゼーマンもろとも、全てを掃除してやる。安心して戦ってこい」
「イザベラお姉さまの手を煩わせることなく、自分で始末してきますわ」
エレナは、ふっと笑うと、アンと共に王都行きの馬車へ乗り込んだ。そして、ゆっくりと馬車が王都での最後の戦いに向けて動き出した。
つづく




