第32話:地べたに座るお茶会へ案内されたのは、初めてですね
工事が一区切りついた日の夕暮れ。作業の確認を終えたエレナの前に差し出されたのは、欠けた陶器のコップと少し焦げた固い焼き菓子だった。
「これは何ですの」
「何って……まあ、その……帰るんだろ」
アルドはエレナと視線を合わせず、ぼそぼそと言いにくそうに呟いた。
「お嬢様、アルドからお茶会をしようと提案がありまして」
アンがアルドの様子に笑いをこらえながら、代わりに説明する。マルタに促され、エレナは工事区画から少し離れた路地の奥へと足を踏み入れた。案内に従って曲がり角を抜けると、そこだけ小さな魔石灯の灯りがともっていた。そこは、スラム街の外れの建物のない敷地だった。
「お嬢ちゃん、来たか」
石工の老人をはじめとする職人たちが、机を囲んで地べたで静かに酒を酌み交わしていた。
「エレナは、ここ」
エレナが腰を下ろした席には、高級な磁器も極上の紅茶葉もない。木箱をひっくり返しただけの粗末なテーブルに並べられているのは、スラムの広場で手に入れた安物のハーブティーと、アルドが妹と焼き上げた形の揃わないビスケットだった。
「地べたに座るお茶会へ案内されたのは、初めてですね」
「お嬢さま…!」
エレナの少し後ろに控えるように座ったアンが慌ててエレナに声をかける。
「椅子なんてねえよ」
「いえ、貴重な体験だと思っただけですわ」
「ははっ……! お嬢ちゃんは、世間知らずだな」
石工の老人が腹を抱えて笑うと、周囲の職人たちからも小さな笑い声が漏れた。
「興味のわかない情報に関心がないだけですわ」
「じゃあ、お嬢ちゃん。スラム流のお茶会を教えてやる」
エレナは、その言葉を聞きフード越しに目を少しだけ丸くした。
「手順があるのですか?存じ上げず、失礼致しましたわ」
「ねえよ、飲みたきゃ飲んで、食いたければ食う。それだけだ」
アルドが呆れたように肩を落とし、エレナを見る。
「合理的ですね」
思いだしたくもないが王都でも、お茶会という名の時間外労働には何度も参加してきた。だが、これほど風変わりで無作法なお茶会に招かれたのは初めてだった。誰もアドルシュタイン家の身分など気にせず、身なりを整える作法すら存在しない。王都では、エレナが座る席は、いつも役職のために用意されたものであった。
(……居心地は悪くありませんわね)
「懐かしいですね。この空気、私たちの親がスラムで死ぬ前まで、大人たちがこうやって騒いでいたことを思い出します」
「ああ……。だが、あの頃よりは、良い」
エレナの後ろに控えるように座ったアンは、隣にいるマルタに声をかけた。二人とも、懐かしそうに目を細める。
「お嬢様、王都でお茶会に参加していた時より疲れてませんね」
アンの声にマルタは、無言で頷いた。
木箱のテーブルを挟み、アルドとエレナは正面に向かい合って座った。エレナは硬いビスケットを一枚手に取ると、静かに口に含んだ。初めて口にする味だった。簡素で薄味、飾り気など一切ないビスケット。けれど、余計な要素の削ぎ落とされたその無駄のない味わいは、不快なものではなかった。
そんなエレナを見てアルドは、疑問に思ったことを口にした。
「……なんで、急にアドルシュタイン領に帰ることにしたんだ?」
「このような妨害に、いつまでもお付き合いするほど無駄なことはありません。構造そのものを変えないと何も進まないことが、よくわかりましたの。工事を進める正式な権限を王都で勝ち取ってみせますわ」
エレナは用意されたハーブティで口を潤して、ゆっくりと答えた。
「ついでに、未払いの退職金――いえ、過去の貸しを上乗せして清算して差し上げますわ」
エレナは、フードを外しアルドを真剣な眼差しで見つめた。アルドは、エレナの薄い紫水晶の瞳を緊張した面持ちで見つめ返した。フードを外したエレナの姿を見るのは、苦手だった。ドドッと心臓が跳ね、何だか落ち着かない。(てか、近い……)アルドは思わず半歩だけ後ろへ下がった。
そんな、アルドの様子に気がつくことなく、エレナは淡々と告げた。
「アルド、一つ仕事をお願いしますわ」
「なんだ?」
エレナは、役所から持ち帰った控えを要約した資料と名簿をアルドへ渡した。字が読めないアルドには、それが何なのかは、即座に理解できなかった。
「マルタと一緒に、この資料を託します。三年前からスラム街の治水工事を知る住民、職人、元作業員――できる限り全員の話を集めてください。字が読めなくても、問題ありませんわ。マルタを付けますから」
「話を聞いてどうするんだ?」
「いつ、どこで、何を見たのか。誰が工事に携わり、何が行われたのか。些細なことでも構いません。一人ずつ記録を残してください」
「……わかった」
アルドの額から一滴の汗が流れ落ちる。エレナは、マルタに視線をうつした。
「マルタ。後は、指示している通りにお願いしますね」
「承知致しました」
アルドとエレナが話している間に、少し席を空け離れた所で、お酒を飲んでいる石工の老人と職人の声が割って入る。
「お嬢ちゃん、気をつけてな」
「ええ、ローデル商会に目を付けられないように細々とお願いいたしますね」
「任せとけ」
「お嬢ちゃんたちがいない方が目立たないぜ」
職人たちが陽気に笑う中、エレナは静かに頷いた。
(では、拠点を一旦移すといたしましょう。アドルシュタイン侯爵家へ)
つづく




