第31話:三人だけでは、なかったようですわ
「お嬢様、また三人になっちゃいましたね」
アンは、少し困ったように笑った。
エレナたちは昨日まで行っていたスラムの排水路の現場に来ていた。昨日まで石を削っていた職人たちの姿は、一人もない。現場には、エレナとアン、マルタだけが立っていた。静まり返った現場を、冷たい風だけが吹き抜ける。
「指名手配犯と知られた以上、普通は離れます。合理的判断ですわ」
「……お嬢様」
(似ていますわね)
心配そうに自分を見つめるアンとマルタを前に、エレナは王宮を追われたあの日を思い出していた。
(……どんな状況になろうとも、二度と思考を止めないと決めましたわ)
混乱に呑まれ考えることをやめた瞬間に人は止まる。だからこそ自分は、どんな環境の中でも考え続けなければならない。エレナは動じることなく、今の状況をどう改善するかだけを考えていた。
「エレナ―!」
遠くから駆けてくる足音が近づいてくる。息を切らしたアルドだった。
「三人だけでは、なかったようですわ」
「もう一人いましたね」
アンとマルタは、アルドの姿を見て笑った。
アルドが戻り、現場の工事は四人で再開された。だが、人手が決定的に足りないという現実は何ひとつ変わらない。四人は、生活ごみを撤去し、詰まった排水路を掃除した。せめて雨水だけでも流れるようにと、今できる作業を一つずつ片付けていく。しかし、作業は遅々として進まなかった。アルドも泥にまみれながら、この四人だけでは到底終わらないことを痛感し、歯を食いしばる。
「エレナ、人を集めないと」
「ええ、わかっていますわ。できることをやりながら、次の手を考えます」
その時だった。そこへ、路地の奥から重々しい車輪の音が響いた。数台の馬車が泥を跳ね上げて現れた。中から屈強な男たちと、一人の身なりの良い笑みを浮かべた不気味な男が降り立つ。
「あの印は……」
アルドは、馬車に刻まれた見覚えのある印を見つけた。
「ローデル商会ですね」
エレナは男の胸元に縫い付けられたローデル商会の胸章へ視線を向けた。
「お嬢様」
エレナは馬車から降りてきた人たちに動じなかったが、アンは一歩前へ出る。マルタは静かに剣の柄へ手を添えた。屈強な男を侍らせた身なりの良いローデル商会の不気味な男が、高らかに告げた。
「無許可工事とは感心しませんな。エレナ様」
「何を根拠に無許可と言うのでしょうか」
(カイル殿下、ゼーマンに泣きつきましたね……)
カイルから報告を受けたゼーマン伯爵が、ローデル商会を使って圧力をかけてきたのは明白だった。エレナは顔色ひとつ変えず、鞄から事前に準備していた許可証や認可書を静かに提示した。
「ええ、ええ。あなたのおっしゃる許可証は、もちろん存じております」
ローデル商会の男は、エレナの差し出した許可証を手に取りもせず、一瞥して笑った。
「その許可証は区画整理の許可。しかし、現在行われているのは、資材搬入を伴う土木工事ではありませんか。アドルシュタイン領から、石材が搬入されてきておりますねえ。商業管理規則により、この地区はローデル商会の確認が必要です」
ローデル商会の男は、わざとらしく手をポンと打ち鳴らし、さも親切な助言を与えるかのように、エレナの顔をのぞき込んだ。
「ですから、本日より資材搬入は中止。確認が終わるまで、お待ちください」
(……尻尾を表しましたね)
「なんで商会が工事をとめるんだよ!」
黙って様子を見ていたアルドだったが、理不尽な工事の中止に思わず声をあげる。ローデル商会の男は、アルドに向けていやらしい笑みを向けた。
「商会だからですよ。資材の調達、輸送、保管、許認可の確認。全て、国から委託を受け――このスラム地区の物流は、全て我々が統括しております」
(……物流そのものを握っていますのね)
エレナの頭のなかで、読み込んだ資料が一気に繋がり始める。
排水路工事。
石材業者。
輸送会社。
本来なら、それぞれ別の理屈で動く独立した業者たちだ。
記録上、それらの代表者は全員、ゼーマン伯爵と繋がりのある別々の貴族だったはず――だが、目の前の男は『ローデル商会がすべてを統括している』と口にした。そして、カイル殿下は、『スラムの環境計画に関する工事は、全てゼーマンの指示の元、ローデル商会が行っているはずだ!』と言っていた。
(……繋がりましたわ。皆様、自ら証拠への道筋を運んできてくださるとは。カイル殿下と言い、ご丁寧な方が多いですわね)
フードの下でエレナは、静かにふっと笑った。個別の業者など、ただの飾り。ローデル商会という一つの仕組みに、全てが組み込まれていた。
(ローデル商会が物流を束ね、その先にゼーマン伯爵がいる)
心配そうに見守るアンとマルタ、悔しさに唇を噛んで黙り込むアルドをよそに、エレナは淡々と尋ねた。
「資材搬入中止の件、承知いたしましたわ。では、その確認と許可が下りるまで、資材の搬入は控えさせていただきます。申請を出してから、どれほどの期間で許可が下りますの?」
「――さあて、どうでしょうなあ?」
ローデル商会の男はわざとらしく肩をすくめ、嘲笑う。
「書類の精査には時間がかかりますからねえ。まあ、半年以上はかかるのではないでしょうか」
「承知いたしました」
エレナは、反論せず静かに答えるとローデル商会の人間たちは、その場を後にした。
「お嬢さま……」
「エレナ」
ローデル商会の者たちが去った後、慌てて三人が駆け寄ってくる。
「半年だぞ……なんで、あんな条件をのんだんだよ」
アルドが悔しそうに拳を握りしめ、アンとマルタからも不安そうな様子がうかがえる。しかしエレナは、『アルドにそれが?』と言うわんばかりに不思議そうな顔を向けた。
「アルド。話を聞いていましたか?私は、工事をやめるとは一言も申しておりません」
「えっ?」
「周りをご覧ください。幸いなことに、道具と石は届いておりますわ」
エレナが指をさした先には、この排水路の工事に必要な分の石材が積まれている。エレナは、少し乱れたフードの位置を軽く整えた。
「これで足りなければ、スラム内に放棄されている瓦礫や旧水路の崩落から、現地調達しますわ。加工の手間は増えますが、完成には十分届きますわ」
「……お嬢様。無謀です」
「そうだよ。だいたい、素人の俺たちじゃ無理だろ」
「お嬢ちゃん……アルド」
静まり返った路地の背後から、呼び止める声が聞こえる。路地の陰から歩み出てきたのは、去っていたはずの石工の老人たちだった。他の職人たちも、数人一緒に立っている。
「説得が遅くなって、すまない」
石工の老人は、気まずそうにエレナたちに近づいてきた。
「じいさん……」
「全く、アルドみたいなこの間までスリやってたガキに言われるとはな。まともなことを言いやがって『スラムに逃げてただけだろ』なんて……年寄りをいじめるな。はははっ」
石工の老人は豪快に笑いながら、エレナとアルドに向き直った。
「俺たちはな。首都では食えなくなった……。そして、この街へ流れてきた。もう歳だから、仕方ねえ。そんな理由を並べて、ここで細々と生活してたんだ」
石工の老人は、自分の手を見つめながら話を続けた。関節の節々は、大きく頑丈な職人の手だった。
「ワシらはこの街を見下してた。なのに食えなくなったら、ここへ逃げ込んだ。……アルドに言われても仕方ねえな。せめてこいつらが、ここで生まれたことを恥じなくて済む街にはしてやりてえ」
石工の老人は、自分の手をぎゅっと握り込んだ。アルドは、顔が見えないように下を向いた。
「この手は、まだ石が積める」
「俺の腕も腐ってないぞ」
「俺は、技術はないが力仕事はできる」
他の職人たちも気まずそうではあったが、次々と声をあげた。エレナだけは、表情一つ変えなかった。懐から手帳を取り出すと、淡々と人数をカウントしている。
「これで予定工期へ近づけますわね。では、契約を更新いたします。労働条件に変更はありません」
職人たちは、エレナのその言葉を合図に、当たり前のように泥の中に足を踏み入れ、石材を拾い集め始めた。エレナは手帳をパタンと閉じると、作業を始めた職人たちの背中を見つめた。
(……ですが、これで終わるようなゼーマンでは、ありませんわね)
現場を守っても、ローデル商会がスラムの統括を行っている限り同じことが繰り返される。
(工事より、ローデル商会の構造を解体することが、最優先事項ですわね)
つづく
いつもお読みいただき、ありがとうございます。
短編『誰が一番かわいそうかなんて、私には興味ありませんわ~実家に帰ったら、全員が被害者でした~』を投稿しました。
少し騒がしい家族のお話です。
よろしければ、そちらも覗いていただけると嬉しいです。




