第30話:爆薬?おもしろい発想ですわね
「承知いたしました。お久しぶりですわね。カイル殿下」
フードを外すと、顔や髪には少し泥が付き汚れているものの、薄い金髪があらわになり、全てを見透かすような薄紫水晶の瞳がカイル殿下をじっと見つめた。
その姿に、カイル殿下とリリアの顔は驚きに満ちている。エレナは汚れた服のまま、腰まであるフードの先を両手で摘まみ、華麗なカーテシーで挨拶をした。
「エレナ……」
「エレナ様」
呆気にとられたカイル殿下とリリア嬢は、何とか声を絞りだして、その名を口にした。
「……なぜ、おまえがここにいる。エレナ、おまえは今、指名手配中のはずだ」
カイル殿下の声色が厳しくなる。
リリア嬢は、自分に見せる表情と違う殿下の様子に困惑していた。
「ええ、そうですわね」
素直に認めるエレナに、一緒に作業をしていた職人たちも頭をさげたまま、「どういうことだ?」「アドルシュタインのお嬢さんじゃないのか」「そんな方がなぜ?」と小声で次々と呟いている。
カイル殿下は、護衛騎士に号令をかける。
「おい、エレナを捕まえろ」
その言葉にマルタは、戦闘態勢に入る。アンは、少し一歩前へ出た。しかし、護衛騎士の言葉は、カイル殿下の予想しないものであった。
護衛騎士は一瞬だけカイル殿下へ視線を向けると、静かに首を横へ振った。
「そのご命令には応じることができません。エレナ様が危害を加えてこなければ、逮捕をしないように、陛下から直属の命令が出ております」
「なに?」
「どういうことなんでしょうか……殿下」
カイル殿下とリリア嬢は、戸惑いながら二人で顔を見合わせる。アンとマルタも、その言葉に驚いた反応を見せるが警戒は緩めない。
(ヴィクトリアお姉さまですね……)
エレナは、ふっと小さく笑った。ヴィクトリアが出発前に、陛下に手紙を出したと言っていたことを思い出していた。
「危害があれば逮捕できるんだな……」
とカイル殿下は小さく呟き、エレナを見た。
職人たちは、静かに頭を下げている。殿下の護衛騎士たちは、ただ、二人の様子を警戒し見守っていた。
「ここで何の工事をしているんだ?また、爆薬を仕込んでいるのか」
「爆薬?おもしろい発想ですわね。爆薬を使用する合理性が見当たりませんわ」
「じゃあ、何をなさっているのですか?エレナ様」
怒りに震えるカイル殿下の手をぎゅっと握り、リリア嬢が口を挟む。エレナはリリア嬢とカイル殿下を冷静な目で見つめた。
「何って?見てわかりませんの?排水路の工事ですわ」
エレナは、しれっと答える。
「排水路工事……?スラムの環境計画に関する工事は、全てゼーマンの指示の元、ローデル商会が行っているはずだ!おまえは、誰の許可を得ているんだ?答えろ!エレナ・ヴァン・アドルシュタイン!」
「で、殿下……落ち着いてください」
カイル殿下は鋭い目でエレナを見つめ、そんな殿下をなだめようとリリアは優しく声をかけた。
「……許可?」
エレナは、ふっと口角をあげ少しだけ笑った。
「そもそも三年前に殿下ご自身がアドルシュタイン家へ、この地域の環境改善を正式に依頼なさったことをお忘れですの?」
エレナは、カイル殿下の目を見て怯むことなく続けた。
「私は、エレナ・ヴァン・アドルシュタインですわ。殿下の婚約者を降りた今、家に課された公務を遂行しているだけですわ」
「……さ、三年前だと……」
カイル殿下は顔を歪め、必死で言葉を絞り出そうと眉間にシワを寄せて考え込む。その横で、リリア嬢は不安そうにカイル殿下の腕に絡ませた手の力を強め、見守っていた。
「三年前の依頼など、すでに失効しているはずだ!だいたい、スラム街の環境改善の話を持ち出した時、おまえは断ったじゃないか!」
「ええ。そこへまわす人員も資金もありませんでしたので」
エレナは一切の動揺も見せず、フードのせいで乱れた髪に気がつき、それを整えながら淡々と返した。痺れを切らしたリリアが、おそるおそる一歩前へ出て、可憐な表情に困惑を浮かべる。
「エレナ様、スラム街の治水事業に関しては、ゼーマン伯爵様が介入してくださっています……。エレナ様が手出しすることではないのではありませんか?」
エレナは優雅に首を傾げ、冷徹な眼差しをリリアへ向けた。
「いえ、このスラム街はアドルシュタイン領の管轄でもありますの。スラム街が北方と王都の境界線にあり、協力体制で管理していることは、リリア嬢でもご存じのはずですわ」
リリア嬢は、泣きそうな顔をして黙り込んだ。それを見たカイル殿下が、エレナを睨みつけ怒りに満ちた声を出した。
「……役所からの許可がなければ、工事は許されない」
「そうですわね。アドルシュタイン家のヴィクトリア・ヴァン・アドルシュタインの名で、申請は許可されておりますわ」
エレナは鞄から一束の書類を取り出すと、カイル殿下の目の前で静かに広げてみせた。
それは、すでに役所へ提出され、正式な許可印が押されたスラム街の環境改善計画書だ。名目はあくまで――『区画整備』。あえて治水事業という言葉を使わずに申請を通すことで、ゼーマン伯爵やローデル商会の妨害を事前に回避していたのだ。
「殿下、リリア嬢。スラム街へは、『炊き出し』を振る舞いにおいでになったはずでは? 工事の妨げになりますので、どうぞ持ち場へお戻りくださいませ。これ以上の現場の滞留は、互いの作業効率の低下という明白な損失を生むだけですわ」
「殿下。エレナ様の言うことなど、気にする必要はありません。エレナ様は、何もお変わりにならないのですね!あんな冷血なお方、放っておきましょう」
リリア嬢は吐き捨てるように言い、呆然とするカイル殿下を誘導して、そそくさと炊き出しの広場へと撤退していった。
カイル殿下が退散したことに気がつき、職人たちは困惑した顔でそっと顔をあげた。
「まさか。指名手配犯とは……どういうことだ?」
「大丈夫なのか……ちゃんと金は払われるのか……」
「面倒ごとは、ごめんだ」
ざわめきと否定的な意見が職人たちの間で波紋のように広がっていく。
アンとマルタは、口を挟まずその様子を見守っていた。その否定的な空気を切り裂くように、アルドが声を張り上げた。
「何を今さら、びびってんだよ」
アルドの声にエレナは、少しだけ驚いた。
「おまえたち大人は、何も変えようとしないよな。いつもそうだ。そのしわ寄せが、スラムで生まれた子供にきてるってわからないのか?――逃げるなよ」
アルドは一歩前に踏み出し、逃げ出そうとしていた職人たちの背中に向けて拳を固く握りしめた。
「外から来たおまえらは、そうやって自分の技術を捨てて、スラムに逃げてただけだろ!そんなの、スラムで生まれてきた子供には迷惑なんだよ!今、逃げずに目の前で、スラムを良くするために、泥だらけになって歩いてくれたのは――」
アルドは息を荒らげ、思いっきり腕を伸ばし、エレナを指さした。
「この指名手配犯のエレナじゃないのかよ」
アルドのまっすぐな叫びが、路地へと鋭く響き渡った。
つづく




