第28話:過剰品質では?
そうして、なんとか工具や人を集め工事が始まった。
泥をさらい、崩れた石を削り直してはめ込み、水が滞りなく流れるよう勾配を整える。
「そこは、図面とは違うのでは?」
エレナが静かに尋ねると、ノミを振るっていた石工の老人が汗をぬぐい、泥のついた手で頭をかいた。
「ああ? ああ、ここか。お嬢ちゃんの描いた図面は完璧だが、このあたりの土は雨が降るとすぐ湿って競り出してくるんだ。図面通り真っ直ぐ組むと、半年もしねえうちに石が押されて崩れちまう」
石工の老人は、手慣れた手つきで石の角をわずかに斜めに削り落としてみせる。
「この辺りの土は雨が降ると膨らんで石を押す。図面通りきっちり組んじまうと、逃げ場がなくなって崩れるんだ」
石工の老人は石の角を削り、隣の石との噛み合わせを確かめる。
「こういう土地には、こういう土地の組み方がある」
エレナは小さく眉をひそめ、手元の図面と老人の手元を交互に見比べた。頭の中で計算を打ち直す。
「なるほど。粘土質の土壌膨張という変数を考慮していませんでしたわ。現場の経年劣化リスクを抑える補正案として、きわめて合理的ですね」
「何を言ってるのか、さっぱりわからん」
淡々と手帳に書き加えるエレナを見て石工の老人は笑い、周囲の職人たちと顔を見合わせた。現場の理屈が正しければ、素直に取り入れる。そんなエレナを見る職人たちの目も、少しずつ変わっていった。
それから数週間、エレナはアンとマルタと共に現場を訪れ続けた。
「おい、エレナ」
遠くからその姿を見つけたアルドが、声を上げて近づいてくる。
「お、お嬢ちゃん。今日も来たのか」
「毎日、熱心だな」
視線を向ければ、あちこちから職人たちの威勢のいい声が飛んでくる。フードを深くかぶった怪しい女は、いつの間にかこのスラム街の景色の一部と化していた。
「ご苦労様です」
エレナは、職人たちに声をかけた。そして、目の前まできたアルドに状況を確認する。
「問題なく経過していますか?」
「ああ。石工の爺さんと大工のおっさんが、現場を見てくれてるけど。今日、流せそうなんだ」
エレナが排水路を覗くと、まだ少し泥水は溜まっているが、生活ごみはきれいに取り除かれていた。そして、石は職人たちの手により、まるで王宮の庭園にでもありそうな整然とした排水路へと整えられていた。
「過剰品質では?」
思わず呟いたエレナに、職人たちは得意げな笑みを返してくる。
石工の職人は、口を開いた。
「お嬢ちゃん。ここは、今は俺らの街だ。下手な仕事はできねえ」
「俺らの街?ですが、この部分は歩行者から見えません。見えない箇所へ加工時間を割くのは非効率です」
「そこが、職人ってもんだ」
「理解できませんわ」
「じゃあ俺らの仕事を見てみな。全員、少し下がってろ」
石工の老人が、上流をせき止めていた仮の土嚢を崩した。
――すうっ、と。それまでドブ特有の嫌な臭いを放ち、どろりと淀んでいた汚水が動き出した。職人たちが手際よく組み直した灰色の石溝に沿って、水が小気味よい音を立てて流れ落ちていく。ほんの数メートルの、小さな排水路だ。スラム全体の環境が変わったわけではない。けれど今まで誰も直せなかった死んでいた水路に、確かに水が流れ始めた。
「……流れたな」
「ああ、ちゃんと流れてる」
職人たちが泥で汚れた自分の手と、流れる水面を交互に見つめる。彼らは、自分たちの技術がまだ死んでいなかったことへの静かな手ごたえを感じていた。
「すごい」
「わあ」
アルドとアンは感心したように声をあげた。
マルタは、流れる水を黙って見つめていた。
「予定通りの流速ですわ」
感慨に浸る全員の横で、エレナは淡々と告げた。
つづく




