第25話:いいでしょう。スープ一杯分のお芝居に付き合って差し上げますわ
「エレナ、逃げるか?」
「今、動けば目立ちます。じっとして、やり過ごしますわ」
「……おい、やり過ごすって。そんなフード三人で被って、隠れられると思ってんのか?」
「大丈夫ですわ。カイル殿下の動体視力と観察眼は、お花畑思考に関係するもの以外を認識しない仕様になっていますもの」
「仕様って言うな」
漆黒と金の馬車から優雅に降り立ってきたのは、カイル殿下とリリア、そして――付き従うゼーマン伯爵だった。カイル殿下とリリアが胸の前で手を組み、憐れみと善意に満ちた瞳でスラムの住人たちを見渡す。つい先ほどまでエレナと「ちゃん」付けで話していたふくよかな中年女性は、その憐れみに露骨に不快そうな顔をした。
「何なんだい、あのギラギラした奴らは……」
「ただの、四則演算ができない方々ですわ。お気になさらないでくださいませ」
(ゼーマンまで一緒なのは、少し痛いですわね)
「お嬢さま」
そう言い、マルタは前に出た。アンは、エレナの背後に立ち一歩だけ、エレナを路地の死角へと誘導する。エレナたちの前には、ふくよかな中年女性とアルドが立っていた。
「すごい衣装だね。あんなきらびやかな服は、初めて見たよ……」
「確かに派手ですわね。私とは、趣味があいませんわ」
(夜会や外交で何度か衣装を合わせましたが……色彩感覚が私とは合いませんでしたわ)
「今日は何をしに来たんだい?前回は、パンを配ってくれたらしいが」
「あれは、第三王子のカイル殿下らしいじゃないか」
「その横は、誰なんだい?婚約者か?」
「いや、カイル殿下の婚約者は、確か指名手配中ではなかったか?」
スラム街の人々は、こそこそと次々に噂話を口にする。「婚約者が指名手配中」という単語がアルドの耳に入り、思わずアルドは、エレナを見た。フード越しのエレナは動じる様子なく、見つからないように、じっとしている。――指名手配犯?本当に?一瞬、その言葉が頭をよぎる。だが、すぐに首を振った。
今一緒にいるエレナは、犯罪を犯しているように見えない。むしろ、3週間も泥とドブの臭いに耐えながら、足が棒になるまで歩き回ってスラムの環境を調査していた変な金持ちだ。
「まさかな」アルドは小さく呟いた。
隠れ潜むエレナたちの気配にも気づかず、カイル殿下はリリア嬢と共に、広場の中心へと進み出ていく。半歩遅れて、ゼーマン伯爵、さらにその後ろに護衛の騎士たちが警護をしている。そんな彼らをスラムの住人たちは、頭を少し下げ、目が合わないように観察していた。
「ゼーマン伯爵、現場を見なければ本当のことはわからない。案内してくれ」
「もちろんです。カイル殿下。しかし、僭越ながら環境も大切ですが、実際スラムにいる者たちが何を欲しているのか。交流して知ってみるのは、いかがでしょうか」
「まあ、カイル様!伯爵様のおっしゃる通りですわ。スラムの皆様とお話しして、私達の温かい気持ちをお届けしましょう」
リリアが手を叩いて喜ぶと、カイルも満足げに胸を張った。
人混みの後ろでフードを被ったまま、じっと耳を澄ませていたエレナは、フード越しに冷ややかな視線を送る。
(……お見事な誘導ですわね。工事の欠陥から目を逸らさせ、『民との交流』という名のおままごとにすり替える。殿下には、最初から工事を見せる気などありませんのね)
「殿下が交流できるようにイベントを用意させていただきました。もうすぐ荷馬車が届きます」
そう、ゼーマンが告げるとローデル商会の印がついた荷馬車が一台広場に到着する。あっという間に広場の中央には炊き出しの場が整えられた。湯気を立てる大鍋と、整然と並べられたパン。その迅速すぎる準備に、リリアは感嘆の声をあげた。
「まあ……!なんて素敵なお心遣いなんでしょうか」
「なるほど。素晴らしい考えだ、伯爵。書面や数字ばかりをこねくり回すどこかの誰かとは大違いだな。民の声を直接聞くことこそ、王族たる者の務めだ」
(……どこかの誰かとは?)
「さあ、スラムの皆さん!カイル殿下とリリア様からの温かいお恵みですぞ!」
カイル殿下がスープとパンを配る準備を終えた頃、ゼーマン伯爵が大袈裟に声を張り上げると、騎士たちは「こちらへ」「順番に」と声を張り上げながら、戸惑う住民たちを次々と列へ誘導していく。
「急に炊き出しなんて始めて、あいつら何気取りなんだ?まあ、確かに貰えば助かる。でも、気まぐれだよな」
アルドが呆れたように鼻で笑うと、ふくよかな中年女性も、配給のパンをチラリと見てため息をついた。
「パン一個でごまかされたってねぇ。確かに、貰えると助かるけどね。……雨が降れば、この区画は水に沈むんだよ。そっちも、いいかげん何とかしてほしいよ」
ふくよかな中年女性がため息をついたと同時に、騎士の一人と目が合う。「そちらの方々も」と促され、死角にいたはずのエレナたちは、配給の列に並ばされた。隣のアルドは「おいおい、冗談だろ……」と、引きつった顔で小声を漏らし、アンとマルタはエレナを庇うように警戒を強めている。しかし、ここで露骨に拒絶して騒ぎを起こす訳にはいかない、エレナたちはフードを被ったまま静かに並んだ。
(いいでしょう。スープ一杯分のお芝居に付き合って差し上げますわ)
「おい、エレナ。おまえみたいな金持ちが、スラムの炊き出しに並ぶって……」
「……逃げる方が目立ちます。住人になりきる方が合理的ですわ」
「おまえ、普通に並んでるつもりなんだろうけど、なんか浮いてるんだよ」
「お二人とも、静かに」
こそこそと雑談をしながら配給列に並ぶアルドとエレナに、珍しくマルタが小声で注意を促した。前方では、お玉を握ったリリアが「さあ、温かいスープです。お腹いっぱい召し上がってくださいね」と無邪気な笑顔を振りまいていた。
そして、ついに次の順番が、エレナたちへと回ってくる。
リリアは、満面の笑みでお玉を持ち上げ、深々とフードを被ったエレナの器へとスープを注ぎ込んだ。
「はい、どうぞ!遠慮なさらないで。温かいスープで癒されてくださいね」
「……お恵み、感謝いたしますわ」
エレナは、頭を低くし低姿勢でスープをリリアから受けとった。隣でスープを注いでいたカイル殿下が、ふと手を止め、不審そうに眉をひそめる。
「待て。そこのおまえ」
「……何か、お気に召さないことでもございましたでしょうか、殿下」
「おまえのその声を……どこかで聞いたことがあるような気がするな。フードを脱げ」
カイル殿下の言葉に、配給台の周りの空気が一瞬で凍りついた。静まり返る広場の中で、アンとマルタの体がわずかに緊張で強張る。アルドもまた、いつでもエレナを庇って動けるよう、無意識に足幅を広げた。エレナは、動じることなく答えた。
「お許しください、殿下。私は、火傷の後遺症で全身が爛れております。殿下のような高貴なお方の前で、その姿を晒すわけにはまいりません。それに、もし私の声に聞き覚えがおありとおっしゃるなら……それはきっと、殿下が日頃から分け隔てなく民の声に耳を傾けてくださっているからこその錯覚にございます」
「……」
「そ、そうか。俺が日頃から民の声を聞いているから……!」
「殿下、他にも並ばれている方がいらっしゃいます」
リリアの促しにより、列は前に進んだ。ゼーマン伯爵は、そのやり取りをするエレナたちを静かに見ていた。そして、去り際のエレナに声をかける。
「ずいぶんと聡明な物言いのお方ですね」
「……恐れ入ります」
「殿下がお好きな言葉を、よくご存じで。お気をつけて、お帰りください」
エレナたちは、静かにその場を後にした。
つづく




