第23話:イザベラお姉さま宛です
「お嬢様、あんなこと言って良かったのですか」
「何のことですの?」
北部騎士団の臨時宿泊所に戻ったエレナは、ソファに腰を掛け、のんびりと紅茶を飲んでいた。
「アドルシュタイン家の名前を使って、アルドや石工職人たちを雇うと言ったことです。ヴィクトリア様の許可もなしに……」
「問題ありませんわ。ヴィクトリアお姉さまは反対なんてしません」
アンは理解ができず、不安そうな目でエレナを見ていた。マルタも掃除をする手を止め、黙ってエレナを見ていた。心配そうな二人を見て、エレナはふうとため息をついた。
「環境改善には、元手が必要なのはわかりきったことですわ。アン、スラム街の管轄でアドルシュタインと国の間に摩擦があることは、出発前に説明しましたわよね?どちらが管轄するか、無法地帯になったのが今の結果ですわ。もういいかげん、はっきりさせてしまいましょう」
エレナは、冷徹な薄い紫水晶の瞳で二人を見据えた。
「責任の所在を曖昧にしたまま金を流すから、中間でゼーマン伯爵のような寄生虫に吸い上げられるのです。……私が仕組みを作って、利益が出る構造に変えます。そして、アドルシュタインの直轄地に組み込み、国へ正しく納税いたします。利益を生む以上、誰も反対する理由はありませんわ」
「そ、そんなにうまくいきますかね……」
アンは、少し不安になった。相手は、一度追い詰められたゼーマン伯爵だ。お嬢様の欠点を熟知している。婚約破棄の場で退職金を一括請求すると言い出した、あの日と同じ胸騒ぎがした。そんなアンの様子を気にすることなく、エレナは続けた。
「今はすべての予算計画を立てる必要があります。職人を雇用しながら、スラム街を周り、予算書をヴィクトリアお姉さまに送ります。利益の見込みが数字で証明できれば、誰も反対できませんわ」
エレナは、動じることなく紅茶を飲みほした。
そして、紅茶の隣に置いてあった封筒を手にし、マルタへ差し出した。
「現状を報告した手紙です。マルタ、お姉さまたちへ届くよう送ってきてください」
「かしこまりました」
「ああ、それと」
エレナは、残っていたもう一通の封筒へ手を伸ばした。
「こちらも一緒にお願いしますわ。」
「こちらは?」
マルタは確認のために小さく尋ねた。
エレナは、ふっと笑い答える。
「イザベラお姉さま宛ですの」
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スラム街のくすんだ街並みを抜け、都市に建つゼーマン伯爵の別荘は、これみよがしな金の装飾や悪目立ちする彫像が並ぶ、いかにもな悪趣味な邸宅だった。その別荘の豪奢な食卓へ、リリアとカイル殿下は招待された。
「カイル殿下、リリア嬢。よくぞ、おいでてくださいました」
「伯爵、このような温かいもてなしを感謝する」
「私まで、お招きいただいて、ありがとうございます」
テーブル一面に並べられた珍味や上質な肉料理の数々を見てリリア嬢は歓喜の声を上げた。
「まあ、カイル様! なんて素晴らしいお食事でしょう! 伯爵様はスラムの皆様だけでなく、私達のこともこんなに温かく迎えてくださるなんて……本当に心のお優しい方なのですね」
「ああ、リリア。ゼーマン伯爵のような誠実な貴族ばかりなら、この国ももっと良くなるのだがな……。どこかの冷血な誰かとは大違いだ」
アドルシュタイン家のことが頭をよぎったカイル殿下は、眉間に皺を寄せた。
「滅相もございません」
「ゼーマン伯爵も、よくこの地まで足を運んでくれたな。礼を言うぞ」
「いえ、もったいないお言葉。さあ、おかけください。食事が冷めてしまいますよ」
リリアとカイル殿下は、メイドたちに促されるままに着席した。
湯気を立てる極上のスープや極彩色の果物が盛られたテーブルを前に、カイルは満足げに頷く。自分たちが食べているご馳走が、スラムから流用された金であることなど、夢にも思わず、ただ目の前の料理を楽しんでいた。
「スラム街の視察は、どうでしたか?殿下」
「……やはり、スラムの現状を目にすると胸が重くなる」
ゼーマン伯爵の質問にカイル殿下は暗い表情を見せた。それに同調するかのようにゼーマン伯爵は、頷き呟く。
「ええ。あの地は、長年の課題です。毎年予算は投じておりますが、なかなか成果が出ません」
執事に帳簿を持ってくるように促し、ゼーマン伯爵はスラム街の環境改善計画の資料を開いた。
「今年だけでも石材費、人件費、輸送費……これだけの額になります」
「こんなにも……」
「まあ」
カイル殿下とリリアは、ゼーマン伯爵から見せられた数字の羅列と、赤字になっている決算書に驚いた。
「資材価格も年々高騰しております。ローデル商会にも随分と無理をお願いしておりまして」
「そうか……商人も大変なのだな」
ゼーマン伯爵は、少し悲しそうに笑った。
「政治とは、理想だけでは進まないものです」
「……伯爵。君のようにスラムの現実に胸を痛め、協力してくれる貴族がいてくれて助かるよ」
カイル殿下は、落胆するゼーマン伯爵を労った。
つづく




