第22話:あなたたちの腕を、アドルシュタイン家で買いますわ
「ここだ」
翌日、アルドに案内されて向かった先は、アルドの家がある通りから路地を三つほど行った所にあった。路地の隙間風がエレナの肌を刺す。日の光が届かない狭い路地は、スラムの中でも、冷え込みが激しい。
「あのボロ屋に、例の石工の爺さんが住んでる」
アルドが指さした先には、今にも倒れそうな小さな小屋があった。その軒先には、大小さまざまな石が積まれている。その傍らには、粗末ではあるものの、丁寧に磨かれた石皿や砥石が並べられていた。
エレナは、その一つを手に取った。
「これは、この方が?」
「ああ。じいさんは、売るのが苦手だから俺たちが店番を手伝ってる」
エレナは、手にした石皿を隅々まで眺めた。表面は滑らかに削られ、厚みに大きなむらもない。
王都の治水計画に参加した際、工事現場で見た石工たちの仕事を思い出す。排水路に使われる石材は、ひとつひとつ精密に加工され、水の流れを妨げないよう組み上げられていた。
(この加工……素人ではありませんわね)
「おい、爺さん。いるか?」
アルドが声をかけると、奥から一人の老人が姿を現した。白髪交じりの灰色の髪は、手入れもされず後ろで雑に束ねられ、節くれだった太い指先の爪の間には石粉がこびりついていた。
「なんだ、アルドか。今日は店番じゃなかったのか」
「この人が、じいさんに聞きたいことがあるって」
老人は、フードを被ったエレナたちを不審そうに眺めている。
「なんだ。その怪しい集団は」
「ああ、こいつはエレナ。今の俺の雇い主だ」
老人はアルドの一言を聞いて、すぐに視線をアルドに向き直した。
そして、眉間に皺をよせる。
「こら!アルド、怪しい仕事をしているんじゃないだろうな。スリとか、犯罪まがいのことはやめろと。あれほど……」
「ちげーよ。じいさん。こいつは、見た目ほど怪しい仕事は言ってこない」
「犯罪行為を依頼したことは、一度もありませんわ」
「だから、そういう言い方をするから怪しいんだよ」
アルドと石工の老人が言い合ってるのを見かねたアンが、声をかけた。
「初めまして。疑うかもしれませんが、私たちは怪しいものではありません。こちらは、アドルシュタイン家のエレナ・ヴァン・アドルシュタイン様です」
エレナは、フードを外し石工職人に挨拶をした。
手入れの行き届いた薄い金髪と薄い紫水晶の瞳が、真剣な眼差しで老人を見つめた。アルドは、そのスラム街に似つかわしくない異様な姿に慌ててエレナのフードを再び被せた。
「……なんですの?アルド」
「じいさん、顔わかったからいいだろ」
石工の老人は、目を見開いた。アドルシュタイン侯爵家と言えば、北方を領土とする大貴族だ。全く政治に興味がない自分でも名前だけは、知っている。そんな貴族のお嬢様が何でこんなスラム街に……?石工職人は、一旦、深呼吸をして落ち着こうとした。
「老人をからかうもんじゃない」
「からかってませんわ。私は、エレナ・ヴァン・アドルシュタインです。あなたに確認したいことがありますの」
エレナは、驚いた石工の老人を無視して続けた。
「あなたは、三年前まで石工として働いていましたね?」
石工の老人の顔つきが変わった。それまでの驚きは一瞬で消え去り、老人の目に鋭さが宿る。
「……アルドから聞いたのか」
「ええ。仕事がなくなったとも聞いています。なぜですの?」
「なぜって……?突然、全く仕事が来なくなった。三年前から、でかい仕事は、よその連中に持っていかれた。それだけだ」
(三年前。カイル殿下とゼーマン伯爵の繋がりが深くなった時期とも一致しますね。私が退けたカイル殿下のスラムを立て直したいという要望を、ゼーマン伯爵が利用した?)
エレナは、フード越しに石工の老人に冷静な目を向けた。
「その『よその連中』とは、どこの業者ですの?」
「知らん。俺たちみたいな職人に、そんな話まで回ってくるもんか。ただ、元請けが変わってから、ぱったり仕事がなくなった」
石工の老人は、吐き捨てるように言った。
「元請けが?」
「ああ。それまでは仕事ごとに石工や大工、荷運びの連中へ声がかかっていた。だが三年前から、まとめて、どこかが請け負うようになったらしい」
エレナは、アルドが書き込んだ地図を思い出した。
石工、大工、荷運び――職種が違うのに、三年前に仕事を失った者が集中していた。
「あなた以外にも、三年前に仕事を失い都市から移り住んできた者がいますね?」
「いるさ、腐るほど。ワシたちは、腕が悪くて仕事を失ったわけじゃない。ある日、突然切られただけだ」
エレナは、フードを被ったまま腕を少し組み、考え込んだ。石工の老人は、何でそんなことを聞くのか、わからないままエレナを見ていた。
「ちなみに、三年前までは、どうされていましたの?」
「そりゃ、普通に仕事をしていたさ……街道の補修も、スラムの隣の都市の水路も。大規模な工事は、地元の土木組合に声がかかってたんだ。みんな隣の都市で生活してたんだが、仕事がなくなって、こっちへ移り住んできたんだよ」
「では、スラム街の環境改善事業が始まった時期から、仕事が減った?」
「ああ。スラム街の工事も、俺らがやるもんだと思っていたら干されたな」
石工の老人は、そう答えながら深く頷いた。その目は、やるせなさで溢れていた。
(スラムだけではありませんね。叩けば、いろいろな埃が出ることは間違いなさそうですわ)
***
エレナは、三年前のカイル殿下とのやり取りを思い出していた。
カイル殿下の執務室で、エレナは殿下のやり残した数々の書類を手伝っていた。そんなエレナの隣で、カイル殿下は、ぼーっと窓の外を眺めている。王都は、過ごしやすい春の陽気に包まれていた。
「殿下、今年のスラム街の予算に目を通してください。殿下が管轄すると陛下に直談判したものですわよ」
エレナに促されて、カイル殿下は嫌々スラムの予算書類を見てため息をついた。確かに俺は、管轄を申し出た――幼き頃、母に連れられて訪れた水害直後のスラム。泥にまみれ、絶望に打ちひしがれる人々の光景は、今もカイルの胸の奥底に重く沈み込んでいる。
救うべき哀れな人々。王族として手を差し伸べるべき弱者たちがそこにいる。
カイル殿下は突然何かを閃き、真剣な眼差しで婚約者のエレナを見つめた。
「なあ、エレナ。今年こそ、俺たちの手でスラムの環境を改善しよう」
「具体的には?」
「……スラムの水害を改善するんだ。予算を増やそう」
「ですから、どのような手段で、いくらの予算を投入し、どの構造から着手なさるおつもりですか?……スラムもそうですが、この王都も、雨期の時期の排水経路が脆弱です。同じ環境改善計画をやるなら、こちらが先ですわ」
エレナの言葉にカイル殿下は、むっとして口を閉じた。その後、カイル殿下はスラム街についての話を一切しなくなった。
そして、エレナは、王都治水や外交、崩壊寸前の財政再建、さらにはカイル殿下が起こす日々の尻拭いや花嫁修業、学位取得という名の雑務を淡々と処理していた。公務の山を片付けるうちに、あの日、カイル殿下が口にしたスラム改善の話など、いつしか頭から抜け落ちていた。
エレナが退けた殿下の要望を、ゼーマン伯爵は別の形で実現していた――その善意を利用して。
***
エレナは、フードを被ったまま誰にも聞こえないようなため息をついた。まさか、自分が多忙のあまり突っぱねて放置していたカイル殿下の「お花畑なご要望」が、悪徳貴族たちの格好の資金源に化けていたとは。
エレナは思考を切り替え、目の前の石工職人を見た。
「あなた、道具は持ってますの?」
「この加工品を見ればわかるだろ」
石工の老人は、答えた。エレナは、その答えを確認しフード越しに少しだけ微笑んだ。
「あなたたちの腕を、アドルシュタイン家で買いますわ」
その場にいた全員が、突拍子のないことを言うエレナを呆然と見つめた。
つづく




