第18話:アドルシュタイン家の利率で、きっちりお返しいただきますわ
「お嬢様、いいかげん起きて下さい」
アンの声掛けにエレナは、布団を深く被る。そんなエレナの様子を見て、アンの隣にいたマルタはエレナをひょいっと担ぎ、朝食の席につかせた。
エレナは、まだ眠い目をこすっている。
アンは、エレナの好きなアドルシュタイン領にしかない種類の茶葉を選択し紅茶を入れる。ふわっと良い香りが、エレナの鼻を刺激した。
「……目が覚めてきましたわ」
エレナは朝食に手を伸ばす。マルタがカーテンを開けると、冷気と澄み切った冬の光が部屋に満ちた。
エレナの朝食が終わった後、アンはエレナに声をかけた。
「昨日ずっと資料を見ていましたけど、何かわかったんですか?」
(……他者に説明できない仮説は、まだ整理されたとは言えませんわね)
「二人とも、こちらに」
「よろしいのですか?」
「思考を整理したいのです。座ってください」
エレナに促されたアンとマルタは、向かいの席へ腰を下ろした。
「まず、私がアドルシュタイン家で立てた仮説から確認しますわ」
「治水事業を続けることで、ゼーマン伯爵たちが利益を得ている、という話ですよね?」
「ええ。結論から言えば、その仮説自体は間違っていませんでした。でも、内容はもっと巧妙でしたわ」
エレナは手にしていた紅茶のカップを静かにソーサーへと戻した。カチャリと、繊細な陶器が少しだけ鳴ると、ピンと張り詰めた空気が室内に広がる。
「死人に給料を払っていたんですよね?」
「実際に石材の積み荷は、半分しかおろされていませんでしたが……?」
アンとマルタが、それぞれの調査で理解したことを口にした。
「当初の仮説では、複数の業者へ利益を分配し、治水事業そのものを意図的に赤字化していると考えていました」
「実際は、違ったのですか?」
「いいえ。間違ってはいませんでした。ただ、想定が甘かったようですわね」
エレナは、再び静かに紅茶へ口をつけた。
「存在しない人間への給与。現場から抜かれる資材。そして不完全な工事を繰り返すことで、再び投入される国家予算。彼らは利益になり得るあらゆる隙間から、金を吸い上げているようですわ」
「随分、徹底していますね」
「ええ。私が考えていた以上に」
アンとマルタは、真剣な表情でエレナを見つめている。
「そして、抜かれた石材はローデル商会へ流れていますわ」
「では、次はローデル商会を調べるのですか?」
エレナはカップを置き、一呼吸置いた。
「それだけでは足りませんわ。不正を暴いたところで、この街の水害が一回減るわけではありませんもの」
「……」
アンとマルタは、エレナが何を言いたいのか想像が付かずに黙り込んでいる。そんな二人の様子を見て、エレナは微かに笑い、いつもの冷静な目でアンとマルタを眺めた。
「それに、ヴィクトリアお姉様から命じられたのは、不正の摘発ではなく『スラム街を利益に変えること』です。不正を暴くだけでは、水害は収まらない。かといって、不正を残したまま工事を進めても同じことの繰り返し。……つまり、両方を片付ける必要がありますわ」
「では、どうなさるのですか?」
マルタは珍しく疑問に思ったことを口にだした。
「そもそも『工事を終わらせない方が儲かる』という構造自体が狂っているのですわ」
エレナは、どこか呆れたような視線を窓の外に向けた。
「私腹を肥やしたいのであれば、勝手になさればよろしいのです。ただし、終わらない工事から金を抜き続けるより、一度で完璧に終わらせ、浮いた資金と人材で新たな事業を生み出した方が、得られる利益は遥かに大きい。税収が増えれば、巡り巡ってゼーマン伯爵自身の懐も潤うでしょう」
エレナは、小さくため息をついた。
「――強欲なくせに、目先の利益しか見えていないのですわ」
「お嬢様」
アンが素直に首を傾げた。
「治水工事を完成させた方が、国が得なのは分かります。でも、それだと、不正で甘い汁を吸っていた人たちに『儲けを諦めて正しくなってください』と、お願いするだけになりませんか?」
アンは、人差し指を口元にあて、どこか遠くを見るように視線を上にあげた。しばらくそうして「うーん」と唸っていたが、ふと視線をエレナに戻す。
横ではマルタも、難しそうな顔で沈黙していた。
「――誰が、彼らに正しくなっていただくと言いましたの?」
「え?」
エレナはアンとマルタの様子を見て、不思議そうに首を傾げた。
「彼らを仕組みから排除しますわ」
「排除……?」
「ええ。ローデル商会を起点に、現在の利益構造をすべて切り離します。これまでのゼーマン伯爵の不正については――」
エレナは、少しだけ微笑んだ。
「アドルシュタイン家の利率で、きっちりお返しいただきますわ」
「……」
その言葉に、アンは驚いて少し目を見開いた。マルタも目を点にしている。そんな二人の様子を気にすることなく、エレナは会話を続けた。
「私は、利益の行き先そのものを変えようと思ってますの」
「行き先、ですか?」
「今は、国家がいくら予算を投入しても、利益は彼らの懐へ消え、この街には何も残らない。ならば、その逆にすればいいのですわ」
エレナは静かにカップを置いた。
「治水設備を残す。仕事を残す。商売を残す。そして、そこで生まれた利益が、再びこの街へ戻るようにする」
「つまり……」
パチパチと瞬きを繰り返しながら、アンが恐る恐る尋ねた。
「ええ。彼らが吸い上げていた利益を、この街に稼がせます。税を取るには、まず税を払えるだけの利益を生み出させる必要がありますわ」
「この街の人たちに、ですか?」
「ええ。まずは、働いていただきますわ」
エレナは胸を張り、自信たっぷりに言い放った。
「まず、ローデル商会とゼーマン伯爵の関係性を、どこまで辿れるか確認する必要がありますわ」
「もし、証明できなかったら?」
「その時は、その時ですわ」
エレナは何でもないことのように話を続けた。
「証拠が揃えば、制度をもって排除します。揃わなければ、彼らが利益を得られない構造に変える。どちらにしても、今の仕組みを残す理由は、ありませんもの」
「でも、それでは相手が黙っていないのでは?」
「ええ、ですから都合が良いのですわ」
「え?」
エレナは、アンの驚いた反応に不思議そうに答えた。
「治水工事を正常化します。資材と人件費の流れを変え、スラムの住民を雇用する。利益がこの街に残るようになれば――困る人間が必ず出てきますわ」
「……その人たちが、邪魔をしにきませんか?」
「ええ、好都合ですね。隠れている相手を探し回るより、自ら動いていただいた方が効率的ですわ」
そう言って、エレナは残っていた紅茶を優雅に飲み干した。
つづく




