第16話:ゼーマン伯爵との接続を、もっと深く調べる必要がありますわ
北部騎士団の宿舎へ帰宅後、魔石灯に照らされながら、エレナは資料を広げベッドへごろんと寝転がった。すでに資料は散乱しており、足の踏み場がない。
エレナは、考えるために一人で自室に引きこもっていた。ペンをとり、情報を資料に整理していく。
そして、ローデル商会の名に印をつけた。
ローデル商会と言えば、カイル殿下御用達の商会だ。ちょうどゼーマン伯爵がカイル殿下を保護し、リリア嬢が現れた頃から、殿下の道楽費用がここに消えていくのを、何度か目にしたことがある。
(何の関心もありませんでしたから、気にもとめてませんでしたわ)
エレナはローデル商会の名を、ペン先で軽く叩いた。
カイル殿下の道楽に使われている商会。
工事現場から倉庫へ運ばれた石材。
架空の人件費。
(偶然と判断するには、少し重なりすぎていますわね)
アドルシュタイン家で立てた仮説そのものは、間違っていなかった。
――治水事業を終わらせないことで、利益を生み続ける構造。
だが、現地で見えてきたものは、エレナの想定よりさらに悪質だった。
なぜ、抜き取られた石材がローデル商会へ流れたのか。
何らかの関連性がある可能性が高い。
しかし、現時点では、それを事実と断定できる証拠がない。
(この商会とゼーマンとの接続を、もっと深く調べる必要がありますわ)
エレナはローデル商会の名前の横にメモを残して、資料を散らかしたまま眠りについた。
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「カイル殿下、明日からのスラム街への旅行、楽しみですね!」
「旅支度に必要なものを、なんでも買うといい」
リリアは、カイル殿下に可憐な笑顔を向けた。
カイル殿下は、そのリリアの様子を見て、満面の笑みを浮かべる。
リリアとカイル殿下が座っているソファの前には、煌びやかなネックレスやイヤリングが、これでもかと並べられている。
「どれも、お二人にお似合いです。最近は、恋人同士でお揃いのブレスレットを付けるのが流行っているんですよ。お二人の瞳の石が使われたこちらは、どうですか」
商人が、緑色と金色のいかにも無駄に高そうなデザインのブレスレットをすすめる。『恋人同士でのお揃い』という言葉に過剰に反応して、リリア嬢は目を輝かせた。
「殿下、素敵です〜。お揃いだなんて」
「リリアが必要なら買うといい」
明日からの旅支度のために商人を呼んでいたはずだが、並べられているのは、旅には到底必要のない宝石類ばかりだった。付き添いしていた王子の使用人たちは、呆れながら二人を眺めていた。
「ローデル商会さんの商品は、昔からどれも素敵ですね」
「恐れ入ります、リリア様。流行を把握するために、日々いろいろな貴族の方と取引をさせていただいております」
殿下たちの真正面のソファに腰をかけたローデル商会の商人は、胸に手をあて深く頭を下げた。そして、頭を上げ言葉を続けた。
「殿下とリリア嬢は、明日からスラム街への視察に参られるとか⋯⋯」
「ああ、少し理由があってな。それに、リリアが以前から困っている民の暮らしを自分の目で見たいと言っていてな」
「まあ、殿下」
リリアは嬉しそうに頬を染めた。
「それは、素晴らしいお心がけでございます。あちらは足場の悪い場所も多いと聞きます。こちらの靴など、いかがでしょう」
商人が合図すると、今度は美しい装飾の施された革靴が運ばれてきた。
「素敵です!」
「では、それも」
あのような上質な革靴など、スラム街に履いていけば無用な反感を買うだけだというのに――その光景が容易に想像され、ヒヤヒヤしていた使用人の一人が、諦めたようにそっと目を伏せた。
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「ゼーマン様、報告があります」
一人の男が、焦りを浮かべた顔で執務室へと飛び込んできた。
そこは、執務室というより、まるで強欲を絵に描いたような一室だった。重厚なベルベットのカーテンが垂れ下がる室内で、磨き上げられた大理石の床が魔石灯の光を妖しく反射している。壁一面の棚は、高価な骨董品の数々で飾りつけられていた。
「何があった」
ゼーマン伯爵は部屋の中心に据えられた巨大な執務机の向こうに腰かけ、ただ、静かに窓の外を眺めていた。灰色の髪を丁寧に撫でつけ、口元には手入れの行き届いた髭を蓄えた、壮年の男の姿だ。
太陽はすでに沈み、窓の向こうには王都を覆う深い夜の闇が広がっている。
「エレナ・ヴァン・アドルシュタインが、スラムの治水事業の記録を閲覧しました」
「……どこまで見た」
「過去三年分の工事記録、支払い記録を中心に。複写も持ち出したようです」
ゼーマンは男と目を合わせることなく、窓の外を見ていた。声色からは、全く動揺している様子はみられない。
「そうか」
男は、そのあまりに静かな返答に、戸惑ったように顔を上げた。
「いかがいたしましょう」
「何もしなくていい、あの女はすでに社会的に死んだ人間だ」
「しかし……」
警戒を怠らない方がいいのではないでしょうか、そう続けようとした男は、ゼーマン伯爵の静かな圧力に口をつぐんだ。代わりに、一つだけ情報を付け加える。
「それと、ローデル商会の輸送車を何者かが追っていたとの報告も」
「……ローデル商会を?ふむ」
あの、エレナ・ヴァン・アドルシュタインのことだ。
何かに気づいているだろう――だが、遅い。すでに仕組みは完成しているのだ。婚約破棄され、指名手配犯となった、社会的に死んだ人間一人に何ができる。
(あの小娘が何を考えようが、全ては遅い)
「監視を続けろ」
「手は出さなくてよろしいので?」
「構わん。何を知ったのか。それを先に確認するだけでいい」
もうすぐ、陛下の命令で、カイル殿下がスラムへ行く。
(陛下に認められ、リリアがカイル殿下の隣に立てば、王宮への道は、さらに開く。そうすれば、より深く、その中枢へ入り込めるだろう)
「私は、高尚なお二人の目標達成のお手伝いをさせていただくだけだ」
ゼーマン伯爵は、少しだけ笑った。
そして、窓から太陽が沈んだ暗闇をしばらく見つめていた。
つづく




