第15話:アン。もう、フードとってもいいですか。暑くて
冬とはいえ北方から比べれば、スラム街の空気は少し温かい。
落ち着いて報告ができる場所を探した結果、エレナたちはアルドの家へ案内されることになった。
到着した家は、エレナの育った環境を考えるとお世辞にも家と呼んでいいのか、怪しい場所だった。拾ってきた不揃いな木材を組み合わせた壁に、隙間風を防ぐためのボロ布。いつ崩れてもおかしくないその家は、まさにスラム街の貧しさを象徴するような佇まいだった。
しかし、重い木戸を開けて中に入ると、印象は一変した。
少ない家具や棚の上も、塵ひとつなく整頓されている。古い家特有の湿気臭さはあるものの、不快なゴミの匂いは一切しない。部屋の隅々まで行き届いた管理がなされているのが、一目で分かった。
エレナたちが家の中に入ると、幼い女の子たちが近づいてくる。
「おねえさんたち、だあれー?」
「なにしてるひとー」
「あやしい人たちだな……お兄ちゃん、何かまた危ないことしてるんじゃないの」
次々と話し続ける女の子たちに、エレナは困惑する。三人とも、アルドとは少しだけ髪の色や、瞳の色が違っていた。年齢は、様々なようだ。アルドは、そんな妹たちをなだめた。
「大丈夫だ。この人たちは、怪しいけど。ちゃんとお金を払ってくれる人たちだから。これから、大事な話があるから、ちょっと外で遊んでいて」
アルドが幼い三人の妹たちに声をかけ、外へ出るよう促す。
「はーい」と下の妹二人が素直に従う一方で、一番上の妹だけは、どこか警戒するような視線をエレナたちに向けていた。それでも、最後には兄の言葉に従い、おとなしく部屋を出て行った。
「……怪しいとは失礼ですね」
「フード被って、スラムをうろついてる金持ちなんて怪しいだろ」
「合理的な行動ですわ」
「ほら、そういうとこだよ」
アルドは笑った。エレナは、何がおかしいのか全く見当がつかなかった。ぐるりと、エレナは部屋を見渡した。
「アルドにご両親は、いらっしゃいませんの?」
「親はいるけど、出稼ぎに行ってるよ」
「それでは、この家を管理しているのは誰ですの?」
「俺たちだけど」
「掃除も?」
「当たり前だろ」
「食事は?」
「俺と一番上の妹」
「家の修繕は?」
「俺だけど。何でそんなにいろいろと聞くんだよ。変なやつだな」
「環境を改善した後に、それを維持できるだけの力がこの場所にあるのか。少し知りたいのですわ」
「……何の話だよ」
「こちらの話ですわ」
「まあ、立ったまま話すのもなんだから、汚いところだけど座れよ。椅子と机くらいは、あるから」
エレナたちは、古びた机を囲んだ椅子に腰を掛けた。
「この家だけですの?周囲の家でも、壊れた場所は自分たちで、修繕していますか?」
「ああ。一人じゃ無理なら近所のやつが手伝うけど」
エレナは窓の外へ視線を向けた。隣の家では二人の男性が、壊れた屋根を直していた。その横で別の女性が幼い子供たちを、まとめて世話している。
「では、この地区全体でも同様なのでしょうか」
「お嬢様。このスラムでは、若い大人たちが出稼ぎに出ることも多いのです。そのため、残された子供たちは協力して生活しますし、それが大人になってから、横の繋がりとなります。もちろん、流れ者もいますし、全員がそうではありませんけど」
(……なるほど。相互扶助は、成立しそうですね)
「おまえ、何でそんなこと知ってんだ?」
アンの口からスラスラと語られるスラムの現状は、本で読んだような知識ではなかった。世間の大人が抱くスラム街のイメージといえば、「誰もがその日暮らしで、他人を蹴落とし、自分の生活を守るのが精一杯」といった程度だ。
アルドは旅人相手に店番をすることも多かった。外の人間が、どれほど偏見で自分たちを見ているか、痛いほど知っていた。だからこそ、目の前のアンが語るスラムの実情に違和感を覚えた。
「私も昔、ここで暮らしてたからよ」
「私もだ」
アンとマルタが、あっさりとアルドを見て言った。
アルドは、驚いて返事ができなかった。目の前の二人は、スラム出身だという。しかし、明らかにこの金持ちそうなフードの女に雇われている。それが、不思議だった。
アルドが思考を停止している中、エレナが言葉を発した。
「脱線してしまいましたわ。本来の目的を果たしましょう。昨日のことを報告してください」
マルタは静かにうなずき、報告を始めた。
「荷車は到着後に、工事現場から都市部へ向かいました。途中で二手に分かれましたが、アルドの案内で一台を追跡しました。最終的にローデル商会が所有する倉庫へ運び込まれています」
「積荷は確認しましたか?」
「はい、石材でした。半分だけ、現場でおろして倉庫へ向かったようです」
エレナは少し考え込んだ。
「帳簿上では全ての石材が、工事に使用されたことになっていますわ」
(――でも、実際は違いますわね。工事に全ての材料を使用したように見せかけるために、わざわざ一度は現場まで運んでいる。そして、半分だけを下ろし、残りは再び都市へ戻す。荷車を二手に分けたのは、横流し先を特定されにくくするためでしょうか)
「……なかなか面倒な手順を踏んでますわね」
エレナが考えを口にした時に、マルタがぽろっと付け加え言った。
「なお、倉庫まで辿り着けたのはアルドのおかげです」
マルタが付け加えた言葉に、アルドは反射的に驚いた。
「えっ……俺?」
「途中で荷車を見失いました。しかし、彼が車輪の跡から進路を特定しました」
「そうですか。やはり適任でしたね」
「いちいち褒めなくていい。観察する癖がついてるだけだ」
「盗みの観察眼ですか?」
「……うるさい」
ちょっと失礼なことも言われた気もするが、アルドは自分が評価されたことが照れくさくて、精一杯の言葉を返した。
「ふう……アン。もう、フードとってもいいですか。暑くて」
唐突にエレナはそう言うと、ようやく深く被っていたフードを、初めてアルドの前で外した。
「お嬢さま!」
「もういいでしょう。アルドは、日雇いですけど、雇用してるんですから。依頼主の顔を知る権利がありますわ」
アルドは、フードを外したエレナを見て言葉を失った。
透明感のある金髪がきらきらと光り、薄い紫水晶の瞳が冷静にアルドを見ていた。アルドは、視線を外すことができず、呆然とエレナを見つめる。アルドの様子を何も気にすることなく、エレナは不思議そうに話を続けた。
「どうかしましたか?」
「……いや」
「?」
アルドのどこか気の抜けた返事に、エレナは首を傾けていた。
つづく




