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スカイピース〜空のレーサー〜  作者: 御影のたぬき


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第13話 特訓

 シンカとの練習は、翌日から始まった。


 場所は、スカイピースの外縁区画に隣接する練習用飛行エリアだ。


 一般には開放されていないが、シンカの名義で使用許可が取れた。


 広さは本番コースの半分程度。


 でも、必要な動作を確認するには十分だ。


 初日の練習は、速度の話じゃなかった。


「まず見せてくれ」とシンカが言った。


「お前が走る時、何を見ているか」


「前だ」


「どの前か。3メートル先か、50メートル先か、300メートル先か」


 ジールは考えた。


「場所による。障害物があれば近い。障害物がなければ遠い」


「スカイラッシュのコースには、障害物がない。ビルの壁はあるが、それはコースの境界だ。障害物として避けるものじゃなく、存在として意識する壁だ。その場合、どこを見る」


「遠い前を見る」


「どのくらい遠く」


「……わからない。考えたことがない」


 シンカが短く頷いた。


「それが今日のテーマだ。視線の置き場所が、タイムに直接影響する。速度が上がるほど、視線は遠くなければいけない。なぜかわかるか」


「速度が上がると、処理が間に合わない」


「そうだ。時速600キロで飛ぶと、1秒で167メートル進む。100メートル先に何かがあった場合、気づいてから0.6秒で到達する。人間の反応速度は平均0.2秒。余裕は0.4秒しかない。お前の反応速度は平均より速いが、それでも限界がある。だから視線は常に先にある必要がある。近くを見ていると、速度の上限が決まる」


 ジールはその説明を聞きながら、スラムパルクールのことを考えた。


 配管と廃材の迷宮を走る時、視線は自然と3段先を見ている。


 意識してやっていたわけじゃなく、体が覚えた。


 でも、上のコースとは速度が違う。


「上のコースでは、どのくらい先を見るか」


「最低でも500メートル。理想は800メートルだ」


「そんな先が見えるか」


「練習次第だ。走りながら身につける感覚だが、頭で理解してから走るのと、理解しないまま走るのでは、定着の速さが違う」


 ジールは、シンカの言い方がピカトと少し似ていると思った。


 余分なことを言わない。


 でも、必要なことは全部言う。


 1日目の練習で、3つのことを確認した。


 視線の置き場所、スラスターの角度制御、体重移動のタイミング。


 シンカが実際に飛びながら見せて、ジールが後を追う。


 何度もやった。


 シンカは、一度見せたことを二度説明しない。


 でも、ジールが間違えれば、間違えた部分を指摘する。


 そのやり方が合っていた。


 練習の後、施設の端に2人で座った。


「お前はスラムパルクールで、視線の技術を独自に持っている」とシンカが言った。


「ただし、上のスピードでは使えない技術と、使える技術がある。仕分けが必要だ」


「使えない技術は捨てるのか」


「捨てなくていい。上のコースを走った後でも、スラムを走る機会があるなら必要だ。ただし、本番で混同しないようにする必要がある」


 ジールは、それが大事なことだと思った。


 上のコースの走り方に染まれば、アンダートークでの走り方が変わるかもしれない。


「お前はアンダートークに帰るつもりか」とシンカが聞いた。


「帰る」


 即答した。


「レースが終わっても」


「終わっても」


 シンカが少し間を置いた。


「それでいい。帰る場所があることは、悪くない」


 ジールはシンカを見た。


 シンカには、帰る場所があるのか。


 上で生まれて、上で育ったなら、上が帰る場所のはずだが。


 シンカの言い方に、そこに何かがある感じがした。


 聞かなかった。


 今は聞く段階じゃない。


 2日目の練習では、ピカトが新しいデータを持ってきた。


 昨日の練習走行のデータを分析して、ジールのスラスター制御パターンを数値化したものだ。


「ここを見て」とピカトがシンカに端末を向けた。


「直線加速の時、ジールは左スラスターが右より0.03秒遅れて出力する癖がある。アンダートークでは問題ない。でも、時速600キロを超えると、この遅れが進路のズレを作る」


「修正できるか」


「スラスターの設定で補正はできる。でも、それよりジール自身の出力タイミングを揃えた方がいい。設定に頼ると、スラスターが変わった時に対応できなくなる」


 シンカがジールを見た。


「左右の出力タイミングを揃えるのは、意識してやるより、体に染み込ませる方がいい。今日の練習に組み込む」


「方法は」


「左だけで直線加速する練習と、右だけで直線加速する練習を交互にやる。左右の感覚の違いを体が認識すれば、自然と揃う」


 変なやり方だと思ったが、やってみると確かに効果があった。


 左だけで飛ぶと、右の出力がないことで感覚が鮮明になる。


 右だけで飛ぶと、左の感覚が際立つ。


 それを交互にやると、左右の違いが体の中でクリアになる。


 10回繰り返した後、両方を使って直線加速した。


「揃った」とピカトがデータを見ながら言った。


「0.03秒のズレが0.008秒になった」


「ゼロにはならないのか」


「ゼロは目指さなくていい。0.008なら、上の選手でも許容範囲だ。それより、他に直すことがある」


 3日目の練習で、立体カーブを集中的にやった。


 前回の練習走行で、ここだけタイムが落ちた。


 180の減速。


 シンカなら120に抑える。


 その差を埋めることが、今日のテーマだ。


「立体カーブは、減速をどこでやるかが重要だ」とシンカが言った。


「全体を通して少しずつ落とすか、入り口で一気に落として出口で戻すか、入り口では落とさず出口直前で落とすか」


「どれが最速か」


「人によって違う。俺は2番目だ。入り口で一気に落として、旋回中に加速を戻す。そうすることで旋回の精度が上がる。速度が安定していた方が、旋回の計算がしやすいからだ」


「俺は」


「まだわからない。今日、全部試す」


 1番目のやり方。


 全体で少しずつ落とす。


 旋回はスムーズだが、計算が複雑になる。


 ジールの体は計算を好まない。


 感覚で動く。


 合っていない感じがした。


 2番目のやり方。


 入り口で一気に落とす。


 シンカと同じやり方だ。


 ジールがやると、入り口の減速がシンカより遅れた。


 タイミングが体に合っていない。


 3番目。


 入り口では落とさず、出口直前で落とす。


 旋回中の速度が高い。


 遠心力が強くなる。


 でも、ジールの体はそれに耐えた。


 出口直前の減速は、一瞬で終わらせた。


「3番目が体に合ってる」とジールが言った。


 シンカが少し考えた。


「そのやり方は、通常の選手にはリスクが高い。旋回中の速度が高いから、失敗した場合、コースの外に出る。でも――お前の体なら旋回中のGに耐えられる。そして、出口直前での瞬間減速は、反応速度が高くないとできない」


「できた」


「そうだな。できた。じゃあ、そのやり方で練習する」


 シンカが自分のやり方を、ジールに押し付けなかった。


 それが、ジールには大事なことに思えた。


 5日目の練習の後、ピカトがデータを見ながら言った。


「オーバードライブを使うか使わないか、そろそろ決める必要がある」


 3人が外縁施設の中にいた。


「データ上は、オーバードライブなしで今の走りを本番まで磨けば、上位には確実に入れる。ただし、シンカさんに勝つのは難しい」


「勝ちたいのか」とシンカがジールに聞いた。


 ジールは少し考えた。


「正直に言う。勝ちたい」


「そうか」とシンカが頷いた。


「勝てると思うか」


「今のままでは、俺には届かない。でも――」


 シンカが少し間を置いた。


「お前がオーバードライブを使って、使いこなせれば、わからなくなる」


「わからなくなる、というのは」


「俺が勝てない可能性が出る、という意味だ」


 ジールは、その言葉を正直だと思った。


「ピカト、オーバードライブを使う前提で設定してくれ。ただし、本番までに1度試す機会をくれ」


「どこで試す」とピカトが言った。


「練習走行の最終日に、立体カーブだけオーバードライブで入ってみる。1回だけ。それで判断する」


「いつが最終練習だ」とシンカが言った。


「本番2日前。それが外部枠の練習許可の最終日だ」


「わかった。最終日に、立体カーブでオーバードライブを試す。ピカトが付く。俺も立ち会う」


 ピカトが端末に何かを記録した。


「それまでに、オーバードライブの起動と停止の手順を、ジールに覚えさせる。理論だけじゃなく、体で覚えさせる。3日ある」


「頼む」とジールが言った。


「頼まれたくない。一緒にやる」


 夜、工房に戻ってから、オーバードライブの理論をピカトに教わった。


 作業台の上にスラスターを広げて、どの部分がオーバードライブ機構かを指しながら、ピカトが説明した。


「起動すると、ここの弁が開く。5基のサブユニットが同時に作動して、推力が8倍になる。起動から0.3秒でマッハ域に達する」


「止める時は」


「手動で止める。足首の内側にあるスイッチだ。押せば即時停止する。ただし、マッハ域から通常域への急減速は衝撃が来る。腹に力を入れて耐えること」


「どのくらいの衝撃か」


「計算上は、急制動の時と同じくらい。でも、実際には試したことがないから、わからない」


 わからない、とピカトが正直に言うのは珍しくない。


 ピカトは、わからないことをわからないと言う。


 その方が信用できる。


「痛いか」


「たぶん痛い。でも、あなたの体なら意識を失うレベルじゃないと思う。思う、ね」


「根拠は」


「あなたのGデータと、オーバードライブの理論値の比較。ただし、誤差はある」


「わかった」


 ピカトがスイッチを指さした。


「ここだけ覚えておいて。起動する時は、足首を内側に倒す。止める時は、さらに内側に倒す。力の加減で起動と停止を区別する。軽く倒すと起動、強く倒すと停止」


「練習できるか」


「スラスターを外した状態でならできる。足首の動きだけ練習して」


 その夜、30分間、足首の動きだけを繰り返した。


 軽く内倒し、強く内倒し。


 起動、停止、起動、停止。


 体に入れた。


 ピカトが見ていた。


「ちゃんとできてる。でも――」


「でも」


「怖くないか」


「怖い」とジールは言った。


「それでいい」とピカトが言った。


「怖いのに無理してやるんじゃなく、怖いけどやる。その違いは大きい」


 ジールは、その区別がピカトの中で大事なんだと思った。


「ピカトは怖くないのか」


「怖い。でも、私がやることはスラスターを正しく作ること。それはできた。後はあなたの体の話だ。私にはできないことだから、あなたを信頼するしかない」


「信頼できるか」


「できる。2年間見てたから」


 ジールは床に足を伸ばした。


 足首の動きを、もう一度だけ確認した。


 軽く内倒し、強く内倒し。


 起動、停止。


 本番まで、あと5日ある。

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