第11話 申請
申請書類は24ページあった。
シンカが端末に送ってきた書類を、ピカトが画面で確認した。印刷できないからだ。外部枠参加申請書、整備士同行申請書、機材安全基準確認書、保険免責事項確認書、個人情報取扱同意書、コース安全規定遵守誓約書。
「これ全部書くのか」とジールが言った。
「書く」とピカトが言った。
「でも半分は私が書ける。ジールが書く必要があるのは個人情報系と誓約書だけ」
「ピカトが書いていいのか」
「事務的な処理は私の方が速い。あなたが書いたら3日かかる。私なら1日」
反論できなかった。
書類の中に、機材安全基準確認書というのがあった。スラスターの仕様を記載する書類だ。最高出力、最大速度、安全装置の有無。ピカトが数値を入れていって、ある項目で手が止まった。
「オーバードライブ機構、どう記載する」
「正直に書くか」
「正直に書くと、審査が通らない可能性がある。マッハ域の瞬間加速を可能にする推進装置は、安全基準の想定外だから。でも、書かないと後で問題になる」
「シンカに聞く」
シンカに送信した。15分で返ってきた。
「オーバードライブ機構は、記載しなくていい。外部枠の機材基準は最低ラインを満たせばいい。上限はない。ただし、実際にレースで使用した場合、安全委員会の事後審査が入る。覚悟しておけ」
「使ったら後で調べられる」とピカトが言った。
「使うかどうかはまだ決めていない」
「じゃあ記載しなくていい。でも、使う可能性があるなら教えてくれれば、それなりの準備ができる」
「わかった。使うかどうかは、練習走行で決める」
ピカトが頷いた。
書類が完成したのは、翌日の昼だ。
シンカ経由で提出した。受理されたという通知が3時間後に来た。
「早いな」とジールが言った。
「シンカが裏で動いてる」とピカトが言った。
「推薦者の名前で処理が速くなってる。逆に言えば、シンカの名前を使ってる。あの人が本当に俺たちの側に立ってるかどうかの試金石でもある」
「今のところ、立ってるように見える」
「今のところ、ね」
その後、企業からの接触はなかった。シンカが言った通り、申請が受理された段階で運営委員会の管轄に入ったからだ。企業の技術部門は動きにくくなった。
ただし、諦めたわけじゃない。
マーカスから3日後に連絡が来た。
「企業側が運営委員会に問い合わせを入れた。外部枠制度の適用要件について確認しているらしい。直接的な妨害じゃないが、時間稼ぎをしようとしてる」
「どのくらいの時間稼ぎになる」
「わからない。問い合わせへの回答が滞れば、審査が遅れる。審査が遅れれば、練習走行も遅れる。最悪、レース本番に間に合わない可能性がある」
ジールはシンカに送信した。
「企業が運営委員会に問い合わせを入れた。知ってるか」
「知ってる。対処する。ただし、審査の一部が前倒しになる。機材確認を来週に早める。スカイピースに来られるか」
スカイピースに来い、という文章を、ジールは3回読んだ。
スカイピースに入ったことは、今まで1度もない。
入り方を知らないわけじゃない。外縁区画のゲートから、IDをスキャンして入る。IDがないから、入れない。それだけだ。
今回は、シンカが手配した一時IDが発行された。外部枠参加者用の仮ID。期限付きで、滞在エリアが限定される。それでも、IDだ。
受け取った時、ピカトが言った。
「持ってみて」
ジールが一時IDのカードを持った。薄いカードだ。軽い。たいしたものじゃないように見える。
「どんな感じ」
「普通だ」
「そう」
ピカトが少し黙った。
「私も同じカードが発行された。整備士として」
「どんな感じだ」
「普通、だと思う。でも——」
ピカトが言葉を選んでいる。
「このカードがあれば上に入れる。今まで入れなかった場所に入れる。それが、物としては普通のカードなのに、変な感じがする」
「そうだな」
変な感じは、ジールにもあった。カード1枚で、自分の人生に線引きをされていた。その線が、今は一時的に消えている。消えているのに、まだそこに線があるような気がする。
スカイピース外縁区画の機材確認は、翌週の午前中に設定された。
ゲートに着いた時、シンカが待っていた。
シンカはアンダートークで会う時と違って、上の服装をしていた。企業のロゴはない。でも素材が違う。動きやすそうで、しかし清潔感がある。
「来たか」
「来た」
シンカがジールとピカトを見た。ピカトは初対面だ。
「整備士の方か」
「ピカト」とピカトが言った。握手もしなかった。上の人間に媚びない姿勢は、ここでも変わらない。
「シンカだ。よろしく」
シンカは媚びられることにも慣れていない様子で、普通に返した。
「機材の確認は技術委員が行う。俺は立ち会う。何か問題があれば、俺が対応する」
「技術委員というのは」
「運営委員会の委員だ。企業の人間じゃない。中立の立場で機材の安全性を確認する」
ゲートを抜けた。
IDスキャンが通った。ビープ音が鳴って、ゲートが開いた。
それだけのことで、世界が変わった。
スカイピースは、見上げていた場所とは違った。
いや、見上げていた通りではある。ガラスのビル、ドローンの行き交う空中道路、ホログラムの広告、整備された空中公園。全部、中継や噂で聞いていた通りだ。
でも、足で踏んでいると違う。
空気が違う。匂いが管理されている。暑くも寒くもない。風が計算されている感じがする。自然じゃない。でも、快適だ。
人々が歩いている。スラスターを使っている人間が多い。飛行レーンを、慣れた様子で移動している。上を見ている人間がいない。下を見ている人間もいない。前だけを見て歩いている。
ジールは意識して、前を向いた。
技術委員は外縁近くの施設にいた。女性で、40代くらいで、白衣を着ていないのに白衣の雰囲気を持っていた。名前はアリンと言った。
「外部枠の申請者か。珍しい」とアリンが言った。褒めているのか確認しているのかわからない言い方で。
「珍しいことか」
「初めてだ。制度ができてから、申請が通ったのは。見てみよう」
スラスターを外して、テーブルに置いた。アリンが専用の計測機器で確認を始めた。
ピカトが横で見ている。目が細い。自分が作ったものを他人が触るのを、ピカトは好まない。でも今は黙っている。
「最高出力が、既製品の上位機種に匹敵する」とアリンが言った。
「どこのメーカーか」
「手製だ」とピカトが言った。
「手製」
アリンが顔を上げた。
「君が作ったのか」
「そう」
「何歳だ」
「17」
アリンが少し間を置いた。
「記録として残る。外部枠参加者が手製機材で参加するのも、初めてだ」
「安全基準は満たしてるか」とジールが聞いた。
「満たしてる。問題ない」
アリンがスラスターをジールに返した。
「ただし——これだけの機材だ。それを扱う技術があるか、コース上で確認したい。練習走行を2日前に設定する。来られるか」
「来る」
「整備士も同行を許可する」
ピカトが小さく頷いた。
帰り道、外縁区画のゲートを出た時、ジールは少し立ち止まった。
振り返って、スカイピースの縁を見た。
来た。入れた。用事を済ませた。
それだけのことで、何かが変わったような、変わっていないような感覚があった。
「何を見てる」とピカトが言った。
「今まで見てた場所を、今日は内側から見た」
「どう違った」
「同じ場所じゃないみたいだった」
ピカトが上を見た。
「スカイピースから見たアンダートークも、きっとそうだよ。同じ場所じゃないみたいに見える。どっちが本当かは、どちらから見るかによる」
「両方から見た人間は、どっちが本当だとわかるか」
「わからないと思う」
ピカトが歩き出した。
「でも、両方を知ってる人間の話は、たぶん今までとは違う話になる」
ジールはその背中を見ながら歩き出した。
帰り道のアンダートークは、いつも通りだった。
機械の音、人の気配、配管の振動。この音を知っている。
スカイピースの音は管理されていた。この音は管理されていない。どちらが好きかと聞かれれば、今はまだ答えが出ない。でも、どちらも知っている人間に、ジールはなりつつある。
それが今日起きたことだ。
工房に戻って、ピカトが最初にやったことは、スラスターの再チェックだった。
「上の技術委員が触ったから」とピカトが言った。
「別に何かされたわけじゃないと思うけど、確認する」
「神経質だ」
「神経質じゃない。丁寧なんだ」
ジールは横に座って、ピカトが作業するのを見た。
「アリンさんが言ってたな。記録として残るって」
「言ってた」
「外部枠参加が初めてで、手製機材が初めてで、17歳の整備士が初めて、か」
「多いね」とピカトが言った。
「最初が多い」
「重いな」
「重くない」とピカトがスラスターの部品を確認しながら言った。
「最初になることを、重いと思う必要はない。ただやることをやれば、後から最初だったとわかる。それだけ」
ジールはその言い方が好きだった。ピカトの言い方は、いつも余分なものがない。
「練習走行は2日前か」
「そう。それまでに、オーバードライブを使うかどうかを決めて。設定が変わるから」
「コースを実際に走ってから決める」
「わかった。でも——」
ピカトが作業の手を止めた。
「1つだけ言っていいか」
「言ってくれ」
「シンカより速く走りたいと思ってるなら、オーバードライブ以外に選択肢はない。機材の差がある。でも、シンカより速く走ることが目的じゃないなら、使わない方が安全だ」
「目的は何だと思う」とジールが聞いた。
「わからない。それはあなたが決めることだから」
「お前はどうしてほしい」
ピカトが顔を上げた。
「私は——」
少し考えた。
「あなたが走るのを見たい。本当に走るあなたを見たい。どのくらいの速度かは、関係ない。本当に走ってるかどうかが、関係ある」
ジールはその言葉を聞いて、胸の中で何かが少し決まった感じがした。まだ全部じゃない。でも、輪郭が出てきた。
「わかった」
「何がわかったの」
「まだうまく言えない。でも、わかった」
ピカトは答えを要求しなかった。作業に戻った。
ジールはその夜、スラスターの横に並んで棚に置かれたオーバードライブ設定ユニットを見た。
2週間後にレースがある。
走る。それは決まっている。
どう走るかが、まだ決まっていない。
でも、それは走り始めてからわかることかもしれない、と思った。
スラムを走る時は、いつもそうだった。走り出してから道が決まる。頭で考えるより、体の方が速い。
今回もそうかもしれない。




