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第30話「お義兄《にい》ちゃん、頑張ったのにね」

 


 上機嫌の二人が、リビングへ着くのと、秋人の母親がバスタブを覗くのと、ほぼ同時だった。

 鋭い悲鳴が聞こえた後、甲高い怒鳴り声が廊下に響いた。


 秋人とトイは、床に正座させられた。

 二人が、かんかんになった母親からガミガミと怒られている間、龍絵はソファに座って、手渡されたミルクたっぷりのホットココアを美味しそうにすすっていた。

 すすりながら、半分眠りこけていた。


「汚れた服のまま湯船につかる小学生が、どこにいるの?いつもそうでしょう?どうして、あなた達二人は、無茶ばかりするの?今日だって、そうよ。台風をなめてはいけません!あれほど言っているのに!台風で命を亡くす人は、沢山いるのよ?無鉄砲者は若死にすると、昔の人はよく言ったものです」


 最後は、秋人と同じことを言ったので、親子だなあとトイは思った。

 秋人とトイも喉が渇いていたのだが、とても言い出せる雰囲気ではなかった。


「アキ。あなた、お勉強は出来るんだから、台風の怖さくらい分かるでしょう?お勉強で得た知識は、実生活に役立てるようにしなさいって毎日言ってるでしょ。それに、もっと、お義兄にいちゃんらしい行いをしてちょうだい。義妹いもうとを危ない目に合わせるのが、お義兄ちゃんなの?違うでしょう?」


 秋人の母親がそう言った時、それまで眠りの世界へ飛んでいた龍絵が、勢いよく顔を上げた。


「アキ君、頭いいよ。今日も、私を助けてくれたの。とー君も、とってもカッコイイの。だから、もう怒らないで。次からは、ちゃんと言うこと聞くから。ごめんなさい」


 龍絵の謝罪に、秋人の母親は、怒るのをぴたりとやめた。


「あら。おばさん、怒ってなんかいないのよ。心配して注意していただけよ。でもそうね、もう十分注意はしたし、二人も反省してるみたいだから。タエちゃんに免じて許してあげましょうか」


 秋人の母親は龍絵に微笑むと、秋人とトイにも、ホットミルクを差し出した。

 すでにホットではなくなっていたし、ココアも入っていなかったが。


「アキと、とー君は、アキの部屋へ行って少し寝なさい。タエちゃんは、おばさんの部屋で一緒に寝ましょうね。お昼ご飯は、タエちゃんの好きな『銀のうつわ』を頼むから。アキたちも、十二時になったら下へおりてらっしゃい」


 トイは一度、洗面所に戻ると、リュックを抱えて階段へ走った。

 下で待つ秋人に「おまたせ。」と声を掛けると、秋人が溜息をついた。


「そんなに大事なのか、それ」

 

階段をのぼりながら、トイは秋人を気遣った。


「お義兄ちゃん、頑張ったのにね」


 そう言われて、秋人は、ちょっと照れた。


「うっせ。別に、いつものことだろ」


 頬が赤らんでいた。


「ねえ、アキのおばちゃん、いつから、龍絵ちゃんを、タエちゃんって呼ぶようになったんだっけ?」


 今更聞くことでもないだろと秋人は思ったが、丁寧に説明してやった。


「龍絵って、俺の母ちゃんが付けたんだよ。母ちゃん、自分が優絵ゆえだろ。娘が、欲しかったらしいんだよ。龍みたいに、凛々しく美しい娘に育って欲しいって。それで、龍絵だとさ」


「へえ。でも、それ普通は、実母か実父が付けるんじゃない?」


 不審がるトイに、秋人は苦笑いした。


「うちは普通じゃねーだろ。タエと俺の父親は、同一人物なんだから」


 部屋を開けると、アキはベッドに突っ伏して、トイは床へ寝転んだ。


「でも、アキのおばちゃんも、タエちゃんのママも、どっちも結婚してないよね??」


「よけーなコト詮索すんなよ、タエはデリケートなんだから」


 ベッドの上から、厚手のタオルケットが一枚降ってきた。


「ありがと」


 トイは起き上がって包まった。


「で、何でタエって呼ぶの」


 リュックサックのジッパーを下ろしながら、尋ねた。


「…名前負けしてるんじゃないかって、言い出したんだよ」


 言いにくそうに、秋人が答えた。


「大層な名前をつけたから、病気になったんじゃないかって。それに、父ちゃんの失踪した弟が、龍彦って名前らしんだよ」


「へーえ。あの海外に高跳びしたっていう?」


 自分から聞いておきながら、あまり気のない返事だった。


「ああ、ほんとのところは、奉公屋の仕事が嫌になって逃げたらしいぜ。死んだじいちゃんも、辰夫って名前だったらしい。辰と龍じゃ、漢字は違うけど、なんか縁起悪いだろ」


「うん、興味深いね」


 そう言いながら、新聞紙の安否をきづかっているのだから、あまり関心はないと見えたが、急に秋人に目を向けた。


「だから、ツを退けて、タエなんだ。なるほど~。病気にタエル、っていう語呂合わせみたいなものかな。ねえ、アキ」


 秋人は、掛け布団に包まって背を向けた。ベッドに横たわる銀髪を、トイは凝視した。


「…ねえ、『銀のうつわ』って、値段高いよね?アキんち、羽振りいいよね?うちの叔母さんも、金遣いあらいけど」


 秋人の家で初めて龍絵を預かったのは二つの頃だと、トイは秋人から聞いていた。

 その日たまたま頼んだ『銀のうつわ』の寿司桶を、龍絵が、「きてー(きれー)」と手を叩いて喜んだので、龍絵が泊まる日は、『銀のうつわ』注文日、『おすし屋さんの日』となったらしい。


 しかし、トイが泊まりに来た日は頼んでくれない。

 トイは、それが妙に悲しかった。


「台風ン中、出掛けるな、つっといて、宅配人の安否はきづかわねーんだから。出来た親だよ」


 秋人が毒づきながら、寝がえりを打ってトイを見た。


「こんな日に、宅配する身にもなってやれ、ってんだ、あのくそばばあ」


 秋人は、膨れっ面で唇をすぼめた。


「まあ、まあ。女って、そんなもんだよ」


 トイは肩をすくめながら、例の新聞を置いた。

 十歳ながらに、悟ったことを言う。


「タエちゃんのママは、僕らに優しいよね」


「俺の名付け親、アイツの母ちゃん、冬子さん。季節ん中で、秋が一番、好きって」


「ふ~ん、何で?食欲の秋だから?それとも、読書の秋だから?あ、芸術の秋かな」 


 一通り並べて、トイが言った。


「秋人が、一番好きだって風に聞こえるね。ずっと気になってたから聞くけど、アキの顔立ちは、冬子さんそっくりだよね。なんだか時々、冬子さんの方が、秋人の実母に思えるんだ。冬子さんて、我が子を慈しむ目で秋人を見るよね」


「そんなの知らねーよ」


 そっぽ向く秋人の顔は、トマトみたいに赤かった。


「僕の勘は当たってると思うよ。理由はどうでもいいけど、タエちゃんの本当のお母さんは、優絵さんだね。じゃ、おやすみ」


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