第29話 「 無鉄砲が過ぎると若死にするぜ」
八階建てのマンションのエントランスは、割と広い。
三人は、エレベーターの脇へ身を寄せた。
「おまえんち、もう起きてるか?」
秋人が、小声で尋ねた。
「うーん、今日は締切日だから。終わってたら、奥園さんが来るまで、寝てる筈だけど」
答えながら、美少年は、髪の毛を思い切り絞った。
足下に、あっと言う間に、泥混じりの水たまりが出来た。
秋人は、うつらうつら船を漕ぎ始めた龍絵の頬を、軽くつねった。
寝起きの悪い龍絵は、不機嫌そうに眉を寄せた。
「コイツんち、妹が肺炎で入院してるから。母ちゃん、昼前まで戻らないぜ」
「とりあえず、コイツんち、行くぞ。鍵はポストに入ってる」
303号室の龍絵の部屋に避難することにしたが、提案者がエレベーター前に立った時、ドアが開いてレインコートを羽織った女性が、姿を見せた。
「げ、母ちゃん」
秋人は、顔をしかめた。
「あら、お早いお帰りで。今、迎えに行くとこだったのよ」
にこにこ微笑んでいる分、すごみも増していた。怒っているのは一目瞭然だ。
「か、母ちゃんこそ。お、お早かったねえ」
息子の顔は、引きつったまま硬直していた。
一週間、いや一ヶ月おやつ抜きかもしれない。
秋人は絶望した。甘党の秋人には、地獄である。
危険を察知したトイも、両腕に抱えていた赤いリュックを、そっと後ろへ回した。
睡魔に負けた龍絵だけが、ぼうっとした表情で、突っ立っていた。
三人は、302号室へ強制連行された。
「あなた達、こんな嵐の日に、どこへ行っていたの?いいえ、言い訳は聞きません。どうせ、とー君が言い出したことでしょう?すごく心配したのよ」
部屋に入ってから秋人の母親は、始終小言を並べていたが、行動は素早かった。
三人を玄関に立たせたまま、数分もしないうちに、バスタオル六枚を両手に抱えて現れた。
息子と、その友人には、見るからにゴワゴワした茶色くくすんだバスタオルを、投げ捨てるようにして渡した。
「自分たちで拭きなさい。泥を十二分落としてちょうだい」
怒りの籠る命令口調だったが、龍絵には丁寧だった。
「タエちゃん、怖かったでしょう。もう大丈夫よ。怪我はなかった?」
秋人の母親は、龍絵に優しく問い掛けると、ふわふわの白いバスタオルを広げて、頭からすっぽり包み込むようにして拭いてやっていた。
龍絵は、ねぼけまなこで大人しく拭かれていた。
母親は、息子をちろり見やった。
「アキ、どうして、とー君を止めなかったの?あなた、三人の中で一番、お兄ちゃんじゃない。」
秋人の誕生日は九月で、龍絵は十月、トイは十一月だ。見事に並んではいるが、そんな理由でトイの兄にされては身が持たない。
秋人は大いに不満を覚えながら、母親の言葉を耳に入れていた。
「タエちゃんに何かあったら、どうするつもりだったの?アキと、とー君には、後で、たァーっぷり、お説教してあげますからね。とにかく、あんた達は、お風呂に入りなさい。沸かしてあるから。タエちゃんは、こっちよ。着替えて髪を乾かしましょう」
小言が終わるや否や、二人、は猛ダッシュで風呂場へ駆けて行った。
「トイ、お前のせいだぞ」
「しょうがないよ。コレは、天鬼没塔を知る手がかりだったんだ」
腕の中の赤いリュックを、トイは見つめた。
「おまえさあ、無鉄砲が過ぎると若死にするぜ」
「アキのおばちゃん、今日は一段とキレイだね。顔はいいよね」
「話そらすなよ」
ビニール袋からリュックを取りだすと、トイは、用心深く洗面台の隅っこに隠した。バスルームに入ると視線を交わした。
「やるか」
「オッケー」
Tシャツを着たまま湯船に飛び込んだ。
髪に付く泥は、玄関であらかた落としたが、まだまだこびり付いていた。
Tシャツの汚れは特に酷く、湯船に、ぱあっと広がって透明な湯を濃い灰色に染めた。
風呂上がりに怒られる理由が一つ増えたわけだが、秋人もトイも気にしなかった。
散々泳いで体も温まり、Tシャツの汚れがほぼ取れた頃、短パン、パンツもろもろを脱ぎ捨てて、二人は浴槽から出た。
秋人が石鹸を泡だて始めたとき、トイはシャンプーのボトルを押していた。
「おまえ、頭から洗うの?」
「汚れは上から下へ流した方が、いいに決まってるよ。川の水だって、上流から下流に流れるじゃない」
「そうか?」
秋人は、次からは自分も頭から洗う事に決めた。
すっかりピカピカになった二人がお風呂場から出ると、新しいバスタオルと秋人の服が二着分、カゴに入れてあった。




